再会
「ねぇ、先生たちなにかあったのかな?」
「うーん、わからないなあ。どうしたんだろうね?」
朝。いつまでたっても来ない担任である山ちゃん先生に、ざわめきのおさまらない教室で、あたしは前の席に座る青木さんに話しかけた。ちなみにうちのクラスは席じゅんは春から1回も変わっていない。名前のじゅんだ。
友達の多い彼女はけっこうな情報通で、1学年10クラスあるこのとう合されたばかりの小学校で頼れる存在だから。しばらく考え込んだ後、やっぱり思いつかないと首を横に振った彼女に、ありがとうとあたしはお礼を言った。
にしても今朝の男の人だ。怖くてたまらなかったとあたしは爪をかんだ。なにかあるとすぐに爪をかんでしまうのはあたしの悪いくせで、昨日ママに整えてもらった爪を台無しにしてしまった。
「まいちゃん、宿題やってきた?」
「もちろん。・・・ってまさか」
「ごめん! 見せて!」
「えー・・・次からは自分でやるんだよ?」
「ありがとう!」
そんなやりとりをしながら3時間目に使う算数のドリルを机から引っ張り出したときだった。山ちゃん先生ががらりと扉を開けて入ってきたのは。
途端、ぴたりと止むざわめきと、それに紛れてさりげなくドリルをあたしの手からさらっていった青木さんはやるなと思った。
「先生、どうしたんですか」
学級委員長である鈴木さんがメガネの端を持ち上げながら先生に尋ねる。そういえば学級委員長、それなりにゆう等生だったあたしに最初はおはちが回ってきそうだったのだ。
あたしを涙目でにらむ鈴木さんの視線にたえかねて立こうほにしたらどうですか言った瞬間、彼女のメガネがきらりと光った。それ以来彼女が委員長なのだ。
そのおかげであたしは飼育委員になれたし感謝はしている。ちょっぴり今もまだこわいけど。
「・・・今日は休校になった。お休みだ。皆、まっすぐ家に帰るように」
「なんでですか?」
「会議で決まったんだ。それと・・・
「え?」
「校長先生がお待ちだ」
頭が真っ白になる。え、校長先生ってなに? あたし悪いことしてないよ。青木さんが信じられないものを見る顔であたしを振り返る。
そうだよね、校長室に呼び出しされた子なんて1学期にふざけてまどガラス割っちゃった子たちしか知らないよね。でもあたし悪いことしてないよ!
「先生、あたし悪いことしてないです」
「ああ、わかってる。誰も悪くないし、むしろ喜ばしいことだ。ってことで今日は解散!」
早々にかいさんせん言すると、先生があたしの席まで来てあたしを待つ。急いで机の中のものを横にかけておいたランドセルにいれて、背負い立ち上がると、ランドセルは置いていくようにと苦笑される。そうだよ、これから校長先生のとこ行くんだもんね。邪魔になっちゃうよね。
先生がこっちだ、と言って開きっぱなしの前の扉から一緒に出る。みんなふしぎそうな顔であたしたちを見送った。
階段を下がってひんやりとした廊下を進むこと5分。その間ずっとお互い黙り込んでいた。いつもようきな先生らしくないむごんにあたしは首を傾げた。
よろこばしいって言ったんだからうれしくないの? それにしてもどうしてあたしなのだろう。あ、この間の絵画コンクールに出した絵が賞もらったとか? あれ、青木さんの方が上手だったんだけど。
それとも夏休みに書いた作文が街の新聞に載ったとか? いや、それだけなら教室で十分な気がする。あっ、まさか弟か妹が出来たとか! それも家族内で話せばすむよね?
わからなくてぐるぐる考えている間に、ついたぞと山ちゃん先生から声がかかる。上を見上げれば「校長室」のプレート。いつの間にか校長室の扉の前に立っていた。
「失礼します、お連れしました」
「どうぞ」
コンコンコンと3回ノックして、先生が重そうな木の扉を開ける。大きくとってある窓から入る光に一瞬目をやかれてきゅっと閉じたものの、再び目を開けて、あたしはこおり付いた。
コチョウランの飾られた大きなデスクとその後ろに置かれた数々のトロフィー、そして応接用だと思われるローテーブルと黒いソファー。
そこに座っている人を見て。
固まったあたしをまっすぐ見つめてくる今朝の変な美青年がにっこりとまんめんの笑みで笑いかけてくる。入り口で立ち止まったあたしに扉を開けてくれている山ちゃん先生が「中に入りなさい」と言う。
本当はこわくてやだったけど、おそるおそる赤いじゅうたんのひかれた室内へと一歩ふみ出す。と、座っていた美青年が立ち上がり、近づいてきた。それに恐々ふるえていれば、あたしの前で立ち止まったその人は、赤いじゅうたんの上でひざまずいた。
「主、ご足労いただきありがとう」
「あ・・・あの。主って・・・」
「その説明もするために呼び出したんだ。・・・校長、場をお貸しいただけるか」
「も、もちろんです。はい、ごゆっくりどうぞ」
そう言って山ちゃん先生と校長先生はぱたんと扉をしめ出ていった。絶望した。味方(?)が誰もいなくなってしまったことに。
美青年がふわりときれいにほほえんで失礼、と声をかけてからあたしにくっついたかと思うと抱き上げられた。突然の浮遊感に思わず抱き着けば、ちょっとだけ美青年の身体が固まる。なんなの?
「・・・主、どうぞこちらに。おい、紅茶とクッキーを」
そうっと黒いかわでできたソファーに優しく下ろされる。あたしの横にこしを下ろす美青年。それにきょとんとしていれば、コンコンコンと扉がノックされ、それに美青年が応えると。
メイドさんの格好をした女の人がティーカップとポッド、クッキーが盛られた2つの皿を持って入ってきた。なんで学校にメイドさん? あたしと美青年の前にそれぞれ湯気の立った紅茶とクッキーを置くとそそくさと退出していった。
早い。それを目を丸くしてみていれば、美青年がにこにこと笑っているのが見えてむっとする。
「あの、だれですか。なんで笑うんですか」
「すまない、主があまりに可愛らしすぎて。・・・俺の名前は
「さ・・・いおんじ」
ざっと顔から血の気が引いていくのが分かった。「西園寺」。この地に恵みをもたらしたといわれる
この街の名産品の漆工芸を再興させ、8割を国に買い取ってもらうように手配したのも、この街の収入をそうして安定させたのも全部西園寺家。ついでにいうならこの街の学校という学校はすべて西園寺家の寄付によって成り立っている。この街の子どもは自分の家の名字より先に「西園寺」という漢字を覚える。
でもここまでのことをしているのに、西園寺家はあまり噂にならない。さわらぬ神にたたりなし。おだやかな人が多いという西園寺だが、ひとたび怒らせれば街にいることはできないだろう。
というより、住民たちが許さない。噂するのも恐れ多いのだ。そんなカリスマ性が西園寺家にはある。
そんな高貴な方を、あたし無視しちゃった。にらんじゃった。恐怖にかたかた震えていれば、寒いのか? と西園寺さんが心配そうにきれいな顔を歪めてあたしを見た。
「だ、大丈夫、です」
「しかし君・・・」
「西園寺さんは」
「
「え」
「唯真と呼んでくれ」
「い、いさな、くん」
「なんだ、主」
にこにこが深くなる。まんめんすら通り越した笑みに恐ろしさがつのるが、それを気にしないようにして。びくびく怯えながら、あたしはいさなくんにたずねた。
「あの、いさなくん。主ってなんですか?」
「だから敬語はやめてくれって言っただろう? そのままの意味だが」
「ご、ごめんなさい」
「あぁ、怯えさせたいわけじゃないんだ。俺こそすまない、主」
となりから手が伸びてきて、思わずぎゅっと目を閉じれば。一瞬ためらったようにしゅんじゅんしてから、いさなくんはあたしの茶色い猫っ毛をふわふわと撫でた。落ち着かせるような優しいそれにゆっくりと目を開けば、ちょっと悲しそうに笑っていた。
「あ、あの」
「何度も怯えさせてすまない、俺は君を大切にしたいのに」
「う・・・あの、こわくないです。こっちこそごめんなさ・・・ごめんね」
その笑顔があまりにも悲しそうだったから、頭をなでてくれている手を捕まえて、きゅっと胸に抱きしめる。ごめんなさいの意味を込めて。いさな君は驚いたみたいに目をまん丸くさせた後、まるで女神さまみたいに神々しく、きれいに笑ってくれた。
「じゃあ、説明させてもらってもいいだろうか」
「うん、よろしくね」
「任された」
ほがらかに笑って、いさなくんは話し始めた。
いわく、主というのは西園寺家に生まれてくる
あたしに一目ぼれだったと語り、照れ笑ったいさなくん。一目ぼれというのは恋愛的な意味ではなくて、獣神さんが主人を見初める行為の事をいうらしい。なかなかおもむきがある表現だよな、といさなくんは灰色の目をかがやかせてあたしを見た。あ、そうそう。この七色に変化するひとみと、けものの姿になれることが獣神の特ちょうなんだとか。
っていうかけものになるってなに? わんちゃんみたいな感じになれるっていうこと? 可愛いな、それなら。思わず想像上のけもの姿にへにゃりと笑えば、いさなくんが嬉しそうにとろんとした笑顔を見せてきた。なんか気恥ずかしくて、もじもじしていれば。いさなくんがうちに来たいと言い出した。
「だめだよ。パパもママもまだいないもん」
「主と2人っきりというのも心惹かれるが、大丈夫だ。西園寺から連絡がいってるだろうから、仕事どころではないだろう。もう家にいるさ」
「そう、なの?」
「あぁ」
クッキーと紅茶をすすめられ、すっかりくつろいでいたあたし。さっきまでこわかったいさなくんはやさしいし自分の分のクッキーもくれるし。すっかりいさなくんに対するけいかい心を、あたしはといてしまった。
「うち、来ても面白いのないよ?」
「君がいれば俺はそれだけでいいんだ。それに」
「それに?」
「ご両親に挨拶をしなくては」
「あいさつ?」
にっこり笑って、いさなくんは答えてくれなかった。
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