護法祭の夜

@mms

 岡山県の山奥で、ひっそりと深夜に行われる祭りをご存知だろうか。地獄の釜の蓋が開き、先祖が現世に里帰りをする盆の夜。

 小さな駅から地域住民のコミュニティバスに乗り込み、数十分。「護法祭に行きたいんですけど」そう運転手に声をかけると、とある山中の路上で下された。

「この道をまっすぐ歩いていくと、たどりつくから」言って指さされた先はうっそうとした木々が茂った登り道である。しかもその日は霧が出て、先が全く見渡せなかった。「護法祭、今日あるんですか?」「さあねえ」とにもかくにも進むしかあるまい。ぶんぶんと蚊にたかられながら、昼だというのに薄暗い道を登る。数十分歩いたところで、不意に前方から軽トラが姿を現した。「あんたたち、こんな中どこいくんね」「護法祭です。今日はやるんですか?」「さあねえ」先ほどと同じ会話に、ため息。

 確かに今日のはずだ。夏の初め、旅行計画を立て始めた時に直接寺に確認の電話を入れたのだ。「今年は護法祭はやりますか?」「やらんと、たたるから」そう、電話口の男は答えた。

 数メートル先も見えない視界不良の中、きつい傾斜を登って行く。まとわりつく湿気に汗だくになりながらふと視線をあげると白い霧の中にぼんやり赤い灯りが等間隔に並んでいるのが目に入った。提灯だ。祭りの象徴を見た気がして、足取りが軽くなる。

 たどり着いた山頂の寺院では、地元の方が祭りの準備を進めていた。「おう、どこから来た」その様子を眺めていたら、白髪の男性に話しかけられた。

「関東です」「祭りははじめてか」「はい」「まだ時間があるから、うちに来い」冗談かとも思える位、早くて強引な誘いに有難く乗っかり、車で数分、同じ山中にあるその人の家までお邪魔した。どうやら祭りの実行委員メンバーらしく、道中はハンドルを持ち、家についてからはビール片手に祭りの伝説を語ってくれた。

 曰く、依代に鬼が憑依して、境内を「遊ぶ」祭りだと。鬼には不浄の者が見えて、それを捕まえようと走り回ると。鬼に捕まった者は、三年以内に死んでしまうと。

「実際最近も若者が死んでるからなあ」

 朗らかに笑いながら物騒な事を言う男の言葉に、苦笑いを返すしかない。

 そんなことがあってたまるか、という気持ちと、こんな山奥だからもしかしたらありうるかもしれない、という気持ちと。なにせ、携帯の電波も入らない、隠れ里だ。


 祭りのプログラム自体は五時から始まった。地元住民の盆踊りやカラオケ大会が行われ、どこにでもある地域の祭りといった風情。数時間にわたる演目をぼうっと眺めていると、にわかに人影が増え始め、時刻は十一時をまわった。まずは山奥に籠っている依代を、迎えに行くという。境内横、狭い階段に人が列をなし、松明をかかげ依代を一目見ようと細い山道を辿る。

 頂上のひらけた場所についた時にはすでに潔斎を行う小屋から依代の男性は出てきており、先頭の僧侶一団にだらんとその身を預けていた。七十代ぐらいの、痩せた老人だ。両脇を抱えられ、山を下って行こうとする。それに合わせ、割れる人がき。どよめく群衆。依代は既に、トランス状態に入っていた。本堂の中へとおさまると、そこに群がる群衆に「下がれ!」と怒号が飛んだ。これから本格的に鬼をおろすのだ。以前、NHKの撮影スタッフが入った際は、どうにもうまく憑かなかった、らしい。

 何十分たったろうか。本堂よりかすかに聞こえていた、子供が走り回るような足音が止まった。異様な緊張感の中、電球が全て消され燃え盛る松明の輝きのみとなる。闇の中にわんわんと大きな音でお経が響いた。

「出るぞー!」

 男の叫び声とともに、本堂の扉が勢いよく開いた。途端、中からぴょんと勢いよく何かが飛び出してくる。鬼だ。面をつけ、みのをまとった鬼が、群衆の中へと突っ込んでいく。その迫力に、思わず悲鳴をあげた人々に、伝説が脳裏にちらついた。

 鬼に捕まった者は三年以内に死んでしまう。

 本当だと、思った。老人だったはずの肉体は鬼を迎えてもはや年相応の衰えを全く感じさせない。倒された松明の、燃え盛る炎を足蹴にし、群衆を割り悲鳴でその位置がその素早さが、手に取るようにわかった。近くを横切った際は思わずその異様な雰囲気に身をよじって避けてしまう。上がる悲鳴は、けして面白がっているわけではない。本物の、声なのだ。

「捕まったぞー!」

 と、闇夜に野太い男の怒号が響いた。花が咲くように、人々が丸く空間をあけ、中央にがっしりと若者の腕を掴んだ鬼と、その脇をかためる鬼たちが暴れる若者を本堂の中へと引きずり込んでいく。再びわっとそこによじ登りはじめた野次馬に、下がれの怒号が飛び、有無を言わさず若者を引っ張ってきた鬼一行は、本堂に入るとばたんとその扉を閉めた―……。


 「お祓いすれば大丈夫だから」その後家に誘ってくれた白髪の男性は、にやにやと笑いながらそう言った。「記念に、掴まってみたら?」とも。

 丁重にお断りして、結局その日、鬼は深夜の二時まで境内を遊びまわった。捕まった不浄の者は三名。

 生ぬるい夏の異界の雰囲気に、彼らの寿命が長らえるようそっと胸中で祈りをささげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

護法祭の夜 @mms

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ