可動橋を超えれば

つかさ すぐる

1話完結

 国道11号線は

高松から徳島県庁までで、

そこからは国道55号線になる。

小さな町が点在しているのを

抜けながら、県境を越えると

渦潮うずしおで有名な鳴門市に入る。

右に切り立った阿讃あさん山脈を見ながら、

左は瀬戸内海が広がり、晴れた日は、

対岸の本州の陸地が見える程近い。

風車の並んでいるのは淡路島で、

その手前には、

ワカメの養殖でもしているのだろう、

ブイやいかだの、

浮遊物で何かを囲んでいるのが見えている。

その辺りになると、

海産物かいさんぶつを売る土産物みやげもの屋とか、

海鮮かいせん料理を割と安く食べさせてくれる

料理屋とかが点在するくらいで、

大した集落はない。

それでも、休日になると、

関西方面から来た客が、

その店ゝに行列を作っているので、

割とにぎやかに感じる。

 以前はその辺りに

うまい竹輪ちくわを売っている店があって、

よく車を止めて買っていたのだが、

御主人が亡くなった様子で、

暫くは高齢の奥さんが、

やっていたのだけれども、

結局いつの間にか閉めてしまった。

この辺りの竹輪は、

穴に竹が刺さっている状態で

売られているので

「竹ちくわ」と言う看板が出ている。

まるかぶりすると、

竹の匂いが焼きたての竹輪の香ばしさを、

更に引き立てて何とも言えずうまい。

その店が無くなってからは、

旨い店に当たらないので、

また探さなければと思いつつ、

そのままになっている。


 子供の頃は、美容師の講習会に行く度に、

母親が土産によく買って来てくれたので、

なにか懐かしい味がして、

ふと折に触れて食べたくなるのだ。

  

 西の方の田舎町で育った母は、

生まれてすぐ祖父が死んだので、

中学を出ると市内の美容院へ

丁稚奉公でっちぼうこうに出された。

戦後間もない頃の話で、

5人兄弟を育てるには、

祖母ができる事は限られていた。

細々とうどん屋を営んでいたらしいが、

そんな事では末っ子の母までを

上の学校にやる事は出来ず、

手に職をと、その当時、市内ではそこそこ

有名だった美容院に預けられた。


両国橋の近くの新町川のほとりで、


「50年も前には、

母もこうやってこの川を

見ていたのだろうか?」


と思いながら、

鳩にパンの食べかすを投げる事が

最近の休日には多くなっていた。

 とにかくその辺りに行けば、

日曜日には「マルシェ」とかいう

日曜市をやっているし、

春や秋の気候の良い頃には、

「マチアソビ」という

アニメのイベントが開催されていて、

おじさんになった僕にはよくわからないが、

何かのアニメのキャラクターに扮した

コスプレイヤーがうろうろしている。

色とりどりの派手な服装は、

わからなくても何か気持ちを

明るくさせてくれる。

もちろん夏には、

「阿波踊り」で人がごった返すのも

この辺りだが、

残念ながらその頃は暑すぎるので、

日中にこの辺りでぼーっとする事は少ない。

気が向いたら、

この辺りの川から海を周遊してくれる

ボートに100円払って乗り込むくらいだ。

「阿波踊り」は、

その季節には県内のどこでも踊っているから

何も無理してその辺りで見る事も無い。

テレビに映せば何処どこの祭りも

大通りを踊り歩く風景が映るから

同じ様に思うのだろうが、

スーパーの中にまで躍り込んでくる

無礼講ぶれいこうが許されているのは、

おそらくこの国の踊りだけだろう。

まさに「踊る阿呆あほう」に、

「見る阿呆」である。

その様子をうまく表現できないから、

実際に見たことのない人からすれば、

地方の踊りの一つに過ぎないと

思われているのにこの国の人々は

気づいているのだろうか?と

時々考えてしまって、

鳩にパンを思い切りぶつけて

はっとする事がある。


 左手の海が見えなくなると、

切り取られた山の中を走る

バイパスを暫く走り、

鳴門から徳島市内に入っていく。

今日はもう日が暮れているから、

そんな風景も一切見ずに、

前の車のテールランプばかりを見て、

ここまで帰って来た。

頭の上を高速が横切って、

その道が周り込んで下りてくる辺りから、

車が多くなった。

合流してくる車に気をつけながら、

右車線を取って踏み込んで行く。

暫く走ると、バイパスが下りになって、

街の明かりが見えてくる。

遠くに徳島東部の有名な山「眉山びざん」が

見えてくるのもこの辺りだが、

夜はまだその辺りまで見る事は出来ない。


 さだまさしは何の縁があって

「眉山」と言う小説を書き、

それが映画化までされたのだろうか?

確かに、徳島市内周辺では象徴的な山で、

どこからでも見えて目印になるし、

登れば、遠く高野山の辺りまで

見える絶景ではある。

けれども徳島で一番高い山は「剣山」で

登山家などにはその方が有名だろうし、

徳島県民であっても西の人達は

香川の「讃岐富士さぬきふじ」の方が

おそらく馴染みがある。

なのに、さださんが「眉山」を選んだのは

何故だったのか?

小学校の時に県外に転校をして、

阿波弁をからかわれて

泣きべそをかいていた僕を、慰めてくれた

案山子かかし」と言う歌を作った

この歌手の気持ちを、

何かの機会があれば是非聞いてみたい

と思い続けている。


 新加賀須野橋かがすのばしに差し掛かると、

大きく車が上向く。

東にある加賀須野橋は可動橋で、

船が通る為に

持ち上げられる様になっているから、

この橋の下もきっと

大きな船が通るのだろう。

大げさなほど弓なりになっている。

だから、

頂上を超えて下りに差し掛かった時、

宝石の様にきらめく、

市内の街明かりが一遍に目に入ってくる。

と同時に、

眉山の姿がくっきりと浮かび上がる。

 

 「あゝ、やっと帰って来た。」

僕は独り車の中で呟いて、

大きな欠伸あくびをした。

             了

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