非色の俟ち

弦巻

 どこにでもある小さな田舎の筈・・・だった、その事件が起こるまでは。それは数キロ離れた町で起こった通りすがりの切り裂き事件がきっかけで最初はすぐに捕まると誰もが思っていた、とあるひとりを除いて全員が。


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 目の前の池の対岸には、大きな集合住宅があった。異様なのは集合住宅のどのベランダにも数人が押し合うように池の対岸を息を殺して窺っていることだろうか。

 最初は小さな事件だった切り裂き魔の話はいつの間にか通り魔と呼ばれ、ほんの数カ月の内に町の人口は半分にまで減少した。それを雑誌や新聞やテレビが嗅ぎつけて取材に来ていたのだ。

 誰もが自分こそは一番に事件の解決をしてやるんだと野望に駆られて犯人に繋がるなにかを探していた。そして探している内に通り魔という死神に自分が餌食にされて居なくなっても、すぐにそこに替わりの誰かが来てなにも無かったかのようにその異様さは変わらずに続いた。


 その池の前で露店が並び始めて、ショ場の取り合いで、ネタの取材で、掏りや置き引きで喧嘩が絶えなかった。誰もが狂っていた。誰もが狂っていたのに、それを誰も気がつかなかった。

 被害者だろうか。包帯やガーゼで体を所々蔽った小柄な少年がそれを指摘してそれに怒った大人に殴り飛ばされていた。派手に転んでも誰もなにも言わない。時折助けるのは記者か報道の人間で、助けた振りで少年に話を聴く為のきっかけでしか無かったが、少年も少年でどれだけ派手に転んでもどんなに酷い殴り方をされてもうめき声も上げないし、痛い素振りも一切しなかった。

「それはどこで怪我したの?」小柄な少年に向けられたマイクや言葉は、瞬時に近くにいた住人が奪って代りに喧嘩の話や、自分が解決するという自慢や主張を声高に喋っていた。


「すいません、ちょっと良いですか?」と少年に珍しく丁寧な言葉を向けた同じように小柄の中年の男が居た。いつもと同じ様に野次馬と化した住人が少年と男性の間に割り込んだ。が、珍しく「僕はこの人に話を聴きたいので」と割り込みを遮って、少年と話のできる場所に行きたいとからと少し離れた原っぱまで歩いた。

 幾許かの話の後礼を言って立ち去る男性に少年は、「ここは原っぱじゃなくて田んぼ、それもそのど真ん中だよ」それと、声色を低くして此処から速く立ち去った方がいいと告げた。男ができない旨を言うと、人の少ない所に行くなとだけ言って少年は田んぼの中を歩いて行った。


 速く立ち去らないと『恐ろしい事が起こるよ』と。


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非色の俟ち 弦巻 @yutahu

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