しっかり染まっとるんや

やたこうじ

しっかり染まっとるんや

「ゴメン、石川県ってどこにあるの?」


 君との出会いはそんな言葉から始まる。

 東京に上京してから5年が経った。大学を卒業してそのまま就職した僕は、友達が開いた飲み会で、そんな会話を彼女とした。

 どの辺にあると思っているの、と僕が聞いても君は、

「新潟県の隣にある?」と聞いた富山県と

「琵琶湖の上にある?」と聞いた福井県の場所を

「石川県だよね?」とか真面目な顔して言う。

 あいだを外すなんて、わざとじゃないかと思ったけど、それに気づいてか本気で申し訳なさそうに話す君に、僕は苦笑するしかなかった。


 そんな彼女のことを気になり始めていた頃、実家で母親が倒れてしまい、僕は会社を辞めて帰省することになった。

「そうなんだ、さみしくなるね」

 その頃は、すこしずつ僕と君との間が縮まっていたような気がしていたから、この言葉は僕にとっても寂しかった。

 だけど石川と東京は直線距離でも300キロ、とても近いとは言えない距離、例え彼女から分かったと言ってもらえても、時間もお金も大変だと予想していた。だから遠距離で付き合って欲しいと、その時僕は言えなかった。


 そんな僕の転職先が決まり入社してみると、実は1、2週間単位の東京出張が多かった。仕事柄それなりに出張することがわかると、僕は君に時間が合えば会って欲しいと伝えた。

「うん、時間が合えばいいよ」

 そんな言葉から、もう一度2人の関係が少しずつ始まる。

 僕が出張に行くことが少ない時期には、彼女が東京から電車で、高速バスで、飛行機で会いにきてくれる。今なら新幹線が走っているけど、当時はどうやったら安く行けるかを工夫していた。

 でも、彼女が石川に来る日程が決まると、僕はどこに連れて行こうかと事前調査をする。地元の人が近くの観光地になかなか行かないのと同じように、僕も調べてみて改めて知る事が多かった。


 石川の観光地としてははずせない、兼六園、ひがし茶屋街、近江町市場に連れて行った。そしてそれぞれ、お団子、ハヤシライス、海鮮丼。それぞれはそんなに遠くない距離にあるけど、これら場所を一度に楽しむことはしないで、それぞれのゆっくり回ることで観光地を小出しにする。

 僕は君と、それぞれの場所の歴史と食をセットで楽しんだ。


 秋には白山スーパー林道・・・今は白山白川郷ホワイトロード、に向かう。買ったばかりの車、それで君と白山から連なる山々を染める紅葉、さらさらと流れる渓流、道すがら見えるいくつもの滝。少し元気のない横顔に、初めて彼女が高所恐怖症だと知った。

 そんなことを知らずにいた君に、僕はごめんね、と伝えたけど

「遠くのほうの紅葉もきれいだよ」

と笑ってくれる君が嬉しかった。


 そんな僕たちは何年かして、結婚した。

 両親、親戚、友達、同僚。周りから、よくまあこんな遠い所に、東京に比べれば何もないところに、と散々言われることになったけど、そんな言葉をうまく聞き流して、君はどんどんこの土地に慣れていく。僕も色々大変なんじゃないかって、心配したけど、慣れればそんなもんだよ、と答える君。


 僕たちは結婚した後も、少し数は減ったけど、いろいろと回った。

 冬には能登に行き、雪がちらつく景色をお店の窓から眺めながら牡蠣を食べた。

 夏が始まる頃には、千里浜のなぎさドライブウェイにいき、海岸線を車で走ってみた。

 近くを通った時に時々立ち寄るようになった近江町市場では、竹輪や惣菜を買って帰る。

 次はここに行こう、今度はあそこで食べよう、ひっそりとある場所、小さなお店、色々話し合い、訪れ、色々食べた。


 そんな僕たちにも男の子が生まれる。

 笑顔がみたい、驚く顔がみたい、そんな気持ちも一緒に連れて、定番のように、石川動物園でカバを見て、のとじま水族館でイルカに触る。

 小学生になり、息子が習い事で習字を始めれば、21世紀美術館で開かれている展覧会に見に行ったりもした。


 最近子供も休みになれば、友達と遊びに行くようになり、また夫婦二人だけの会話も増えてきた。

 そんな時に、出会ったときの会話をそれとなく聞いてみると、あの後ちゃんと家に帰って地図で調べたんだからね、と自慢げに話す君の顔に、僕はやっぱり苦笑しながら聞いている。

 普通に知っててもいいと思うんだけど、と思ったけど、まあ、今隣にいるからいいかなって、僕はその顔を見ながら思う。


 先日、こっちに来てからも標準語で話している君から、石川の方言には、なかなか慣れないし、しゃべるのは難しいんだよねって聞いた。でも、僕は知ってる。君の話し方が、ここの方言の特徴の一つにある、語尾が伸びているのだ。


「あのぉ~」

「それでぇ~」


 僕は黙ってそれを聞いて、また内心苦笑する。

 なんだかんだ言って、君は石川ここに染まっとるんや。

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