第12章 星辰の石版
“ここの館の名はなに?”
それが、二つ目の問いかけ。
1
人の世が夜になる頃、
少年を呼び出させた。
「名は力であり、
そして支配じゃ。
妾(わらわ)はノゥスィンカ。
この名を知る者に、
妾は力をおよぼし、
逆に支配もされる。
そのいずれかなるかは、
いずれの意志の強きか」
「では、二つめを与える。
この館はいかなる名か?」
宏大な黒曜石の館の内部は、
絡繰り仕掛けの迷宮であり、
夜と氷の女王の宮殿だった。
2
「わ、私が地下迷宮の鍵を持っています」
そこへの入口があるそうです。
「その一番奥に、真名を記した石版があります。
そ、それがこの館の礎(いしずえ)をなすものです」
したがって、その護りはこれ以上になく厳重で、
いままで誰もそこに辿りついたものはいません。
「けれど、私ならご案内することが出来ます」
3
透き通った銀の鍵を使って、
迷宮への銀の扉を開きます。
「七つの転移魔法陣を使って、
順番に七つの部屋の扉を開け、
夜明けに変遷の起こる前に、
最深部である最後の広間で、
二体の守護獣を倒すんです」
下女が左足を引き摺りながら、
ひょこひょこ急いで走ります。
「だったら、武器がいるんだろうか?
扱いこなせるかはわからないけど」
少年が呟きます。
「あなたがお持ちの“虹蛟(こうきょう)の珠”を使って、
“水月の鏡”と“灯火(ともしび)の剣”を召喚しましょう。
あの鏡は盾として使えます」
彼女がいいました。
「そんなこと出来るかい?」
少年は驚きます。
「私だって魔女なんですよ。
できそこないではあっても、
あの方の作られた人形です。
そんな魔法くらい使えます」
下女は笑みました。
4
アーチ型の入口した、
最後の扉を開けると、
星が瞬いていました。
開いている扉からは、もとの通路がみえているのに、
そこは上も下も同じく全天全周の壮麗な夜空でした。
床は水晶のように澄んだ氷で、
湖の中に立っているようです。
氷の湖の中央に、
複雑な図形をした、
魔法陣が浮かび上がり、
青い光が溢れました。
その光が薄れていくと、
白い冷気で出来ている、
八つの頭を持った蛇が、
そこにあらわれました。
透けてみえる蛇の体の、
心臓にあたる部分には、
青い宝珠のような核が、
絶えず燦(きら)めいています。
少年は盾と剣とを持ち、
その蛇に身構えました。
背後に赤い光が迸りました。
入口の前に魔法陣が浮かび、
炎の蠍(さそり)があらわれたのです。
蠍の心臓の所にも、
赤い熾火(おきび)のような、
核が耀(かがや)いています。
「こちらはおまかせ下さい」
下女が蠍に向かい、
箒(ほうき)をかまえました。
背中合わせになり、
守りをかためます。
向こうが近づくと、
二人を中心にした、
波紋のような魔法陣が、
蛇と蠍にまで達すると、
漆黒の炎を吹き上げ、
それが絡みつきます。
『
我は汝らを呪う。
鈍(のろ)くなれ、弱くなれ、脆くなれ」
下女が呪文を唱えます。
真名による支配でした。
少年は牙を盾で防いで、
剣で蛇の首を刎ねます。
七つの首を刎(は)ねると、
鏡の盾が割れて砕け、
力を使い切った剣が、
光の欠片になります。
下女は鋏を箒の柄でいなし、
その穂先で一薙ぎしました。
星屑のような光が捲き散らされ、
蠍の身体が大きく仰(の)け反ります。
蛇が最後の首で襲いかかり、
蠍がその尾を振り上げます。
「いまです!」
下女が叫びました。
少年が彼女に覆い被さり、
いっしょに身を伏せます。
蛇の牙は炎の核を咬み砕き、
蠍の針が氷の核を刺し貫き、
氷と炎がぶつかったせいで、
どちらも共に爆散しました。
彼女が気づかせずにかけた、
“幻惑”の魔法のお陰です。
一つは水月の鏡の召喚に、
一つは灯火の剣の召喚に、
一つは氷炎のから守りに、
三つの使用回数をすべて、
虹の珠は使い切りました。
5
「は~っ! うまくいきましたね」
下女が、ほっとして息を吐きます。
チェスの詰めのような策略は、
彼女の智慧によるものでした。
「しくじったらどうしようかって、
こっ、こわくてチビっちゃい……」
きまりわるげに衣裳の裾を摘みます。
「きみはだれよりも人間らしいね、
きみはだれよりも人の心がある」
少年はくすりと笑います。
けれど、彼女は――。
6
「私は魂のない人形です。
心だってありませんよ。
あるような振りしてるだけ、
人の真似してるだけです。
形を真似したら中身も、
そうなれるんじゃって」
下女は俯(うつむ)いている。
「私は魂がほしいです。
人間になりたいのです」
陰りのある面持ちは、
平素と打って変わり、
仄かな灯りの中で、
妖しく美しかった。
7
「ついでにパンツもほしいです。
きれいなのとはきかえたいです。
とっ! そ、そんなこと
してるひまないでした」
蛇の出て来た魔法陣に黒い櫃(ひつ)が現れました。
蠍の消えた跡に炎のように耀く鍵が落ちていました。
鍵で櫃を開けます。
中には星座図の綺羅(きら)めく、
夜色した石盤が入っていて、
不思議な文字が刻まれています。
8
「黒曜石と絡繰り仕掛けで迷路になった、
館の真名は、“星辰宮ユラリウム”です」
未明、少年は魔女の前に立つ。
「
だが、それだけで支配することは出来ぬ。
この館の名を知り、
妾の魂の名を知るものだけが主となれる。
なれど、最後のそれは、
誰も知らぬ、何処かも知れぬ。
妾も知らぬ」
魔女は吐息をついた。
「安心するがよい。そなたにそれを求めはせぬ。
そうじゃな。そなたに妹をみつけてもらおうか」
囁くような声がいう。
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