第5章 縛鎖の魔狼

ノゥスィンカの住む夜の館へは、

逃げ水のようにつかまえられぬ、

湖を渡らなければならなかった。



   1



賢女が塵になった跡には、

円い鏡が残っていました。


曇っていて何も映らないのですが、

少年は持っていくことにしました。



少年が、夜中に目覚めると、

鏡から月のような光が溢(あふ)れ、

漣(さざなみ)のように広がっています。


彼が眠っていた木の虚(うろ)ではなく、

どこか別の場所にいるような感じでした。


そこは大きな泉のようでもあり、

薄暗い部屋の中のようでもありました。



そこには三人の女がいました。


一人目は糸を紡いでいました。

二人目は機を織っていました。


三人目は暗がりにいて、

何をしているかわかりませんでした。



   2



糸を紡ぐ女がいう。


「私達はノルン、運命の女神です。


それは水月の鏡、聖なる泉ウルザブルンの力を分有します。

ただ一度だけ、その力で貴方に道を示すことができます」



機を織る女が言葉を継ぐ。


「あの魔女の館は幻の湖の向こうにあります。

それは場所のさだまらぬ、さ迷える湖です。


遠くからはみえますけれど、

近づけば消えてしまいます」



暗がりの女が告げる。


「そこにいくには、

昔、その凶暴な力を怖れた神々によって封印された、

魔の狼の縛(いまし)めを解かねばならない」



   3



少年は水晶洞のような氷の洞窟に入った。

中はさらに冷たく、凍えた手から血が流れる。


奥では氷の狼が魔封じの鎖グレイプルニルに縛られ、

眼を瞑(つぶ)った儘(まま)で眠るように横たわっていた。



少年の前には一本の剣が突き立っている。

金床に刺さったそれは、半ば透明だった。

そして、灯火の揺らめきのような光を発していた。


少年が束(つか)を掴(つか)むと、彼を待っていたかのようにするりと抜けた。

それは灯火(ともしび)の剣、世界を焼き尽くす炎の枝レーヴァテインの力を分有する。



彼は狼を縛っている鎖に剣を振り下ろす。


打ち込んだ箇所を中心に虹色の魔法陣が展開し、

衝撃に手が痺れて剣を取り落としそうになった。


二度三度と振り下ろす。

腕から全身へと痺れは広がっていった。


七度目で剣が砕け、細片となって消えた。

鎖はまだ半ばまでしか切れていなかった。


少年は力尽きて倒れ伏す。



   4



そのとき、狼の赤い眼が開かれた。

四肢に力を込め、身を震わし唸(うな)る。

蜘蛛の巣のように鎖が千切れた。



蝙蝠のような、

飛膜が拡がる。


魔狼の体より、

すべて氷らす、

冷気が放たる。



「世界ヲ滅ボス我…ヲ、

解キ放ッタ…ノハ何故…ダ、


望…ガアルナ…ラ、

叶エ…テヤ…ロウ」


聞き取りにくい耳障りな声がした。

その口は人語を発するには向いていないのだろう。


だが、紛れもない知性が感じられた。



   5



引き千切れた魔封じの鎖は、

虹のような珠に姿を変える。


「ソノ虹珠ハ、神々ノ国アースガルド…ヘト架カル、

虹ノ橋ビフロストノ、力(チカラ)…ヲ分有スルモノダ。


氷ヤ炎ノ脅威カラ、三度(ミタビ)マデ、

オ前ノ身ヲ、守レ…ルダロウ」



   6



咽(むせ)び泣くように歌うように、

長く尾を曳(ひ)き遠吠えが続く。


魔の狼は氷の国ニヴルヘイムから、

極寒の嵐を呼び寄せた。


それは空と時を氷らせ、

幻の湖を氷りつかせる。



   7



その背に乗せられ、

その首に縋りつき、


幻の湖を駆け渡る。


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