かわいそうなんかじゃないよ。
おばあちゃんとおじいちゃんは二人ずついるもんだと知ったのは、私が小学1年生のときだった。
「ねえねえ、お年玉どれくらいもらった?」
冬休み明け、久しぶりの学校。
朝からそれぞれが休み中の楽しかったことや嬉しかったことを自慢げに語る中、誰かのひと声でみんなの話題はお年玉のことになった。
「私はねー、お母さんとーお父さんとー」
「おばあちゃんとおじいちゃんがいっぱいくれた!」
「いとこのお母さんとお父さんも」
「親戚のおじちゃんおばちゃんがいっぱいいてさー」
みんな口々に喋り出す。
しかしその報告のどれもが「金額」ではなく「くれた人」。
私もそうだったのだけど、もらったお年玉はおそらくみんな親が管理するため、正確な金額ももちろんその価値も分かってはいないのだ。
「ハルちゃんは? お年玉どうだった?」
クラスで中心的な立ち位置にいるカヨちゃんが笑顔で私の方を振り向く。
「私はね、お母さんとおばあちゃんとおじいちゃんと、あと親戚のおじさんおばさん!」
お年玉をもらって嬉しかったときの気持ちそのままにハツラツと返事をする私に、カヨちゃんは小首を傾げる。
どうしたのだろうとこちらも小首を傾げると、すぐにカヨちゃんは、ああ! と手を打った。
「そっか、ハルちゃんお父さんいないんだっけ? その分お年玉もらえないんだね、かわいそう~」
「そ、そうかな?」
私にパパがいないことは、みんな知っている。
家族のことというのは友達との会話の中で頻繁に話題にのぼるからだ。
別に私はパパがいないことを隠してはいないし、そのことについてしつこく聞いてくる子もいない。
というより、たぶんみんな、いまいち理解していなかっただけだと思うけど。
だからこそ、さっきのカヨちゃんの「かわいそう」という発言も、カヨちゃんに特別悪意があったわけではないことを私は知っていた。
知ってはいたけれど。
カヨちゃんの何の気なしの言葉。その考えもしなかった事実に私は幼いながらも驚愕していた。
――そっか、みんなはお父さんからもお年玉もらえるんだ。パパは今頃どこで何をしてるのかなあ。ちゃんと風邪ひかないようにマフラーに手袋、してるかなあ。
黙る私を気に留める子は特におらず、そのまま話は続いていく。
だけど本当の驚愕は、この後に待っていたんだ。
「俺はおじいちゃんとおばあちゃん、二人ずつからもらった!」
やんちゃ坊主のヒロくんの言葉に、思わず思考が停止する。
――二人ずつ、ってどういうこと?
「えーいいなあ」
「私はおばあちゃんからは二人とももらったよ」
「俺はおじいちゃんだなー」
「えっ、あのさ……ふたり、いるの?」
私の一言にみんなが一斉におしゃべりを止め、私の方に注目する。
「何が?」
「おばあちゃんとおじいちゃん」
「うん、そうだよ」
「俺はおじいちゃんだけ二人で、おばあちゃんは一人だけど」
「そう、なの?」
「ハルちゃんは? どっちも二人いる?」
「え、いや、一人しかいないけど……」
「そうなんだー」
何かがおかしい。私はそう感じていた。
おばあちゃんやおじいちゃんって、二人ずついるものなの?
お母さんやお父さんはみんな一人ずつなのに、なんでおばあちゃんやおじいちゃんだけ、みんな二人いたり一人いたりするんだろう?
そのときの私にとってその事実は本当に不思議で仕方なかった。
その話の後すぐ先生が教室にやって来て、みんなが自分の座席に戻った後も、私は一人もんもんとその謎について考えていた。
――そもそも、おばあちゃんって何だろう?
私のおばあちゃんについて、お母さんが言っていたことを思い出す。
「おばあちゃんはね、お母さんのお母さんなんだよ」
――ああ、そういうことか。
私はそこでようやく合点がいった。
お母さんのお母さんがおばあちゃん。
お母さんのお父さんがおじいちゃん。
と、いうことは。
みんなはお父さんにも同じようにお母さんとお父さんがいて。
だからその人たちが、もう一人のおばあちゃんとおじいちゃんなんだ。
分かってしまえば至極単純なことなのだけれど、当時の私にはその事実は本当に驚きでしかなくて。
ぐん、といっぺんに世界が広がったような、それでいてその世界からは私という存在がはじき出されているような、何とも言えない複雑な気持ちになった。
――パパのお母さんとお父さんは、元気にしてるのかな。
約1年前、5歳のとき突然姿を消したパパ。
私の中のパパの記憶は、驚くほど少ない。
そしてパパのお母さんとお父さんという存在に、おそらく私は会ったことがなかった。
だから私はこんな単純なことにすぐには気づくことができなかったのだ。
その日、授業中も休み時間も私はずっと上の空だった。
楽しみにしていたはずの久しぶりの学校は、なんだかふわふわとしたまま終わってしまった。
◇
「お母さん」
夕食の時間。
二人分の食器の音を、賑やかなテレビの音が時折かき消していく。
「なあに? ハルちゃん」
私の呼びかけにお母さんはふわりと優しい笑顔を向けてくれる。
お仕事をしながら家のことも完璧にしてくれる、私の自慢のお母さんだ。
「あのね、聞きたいことがあるの」
「うん。言ってごらん」
お母さんの優しさに後押しされ、私は意を決して口を開く。
「私には、おばあちゃんとおじいちゃん、一人ずつしかいないの?」
すっとお母さんの顔から表情が消えた。
どっとテレビから楽しそうな笑い声が響いてくる。
お母さんが手に持っていたお箸とお茶碗を机に置いた。
それから何事もなかったかのように笑顔を取り戻して、優しい声音でゆっくりと問いかけてくる。
「学校で、何か言われたの?」
私は見ていた。机に乗せられたお母さんの手が、ぎゅっと握りしめられるのを。
お母さんがいつも、私が悲しい思いをしないよう、考えてくれていることを私は知っている。
パパがいないことで、私が悲しい思いをしないように。
「ううん、違うよ、そうじゃなくてね」
幼いながらも私は必死に言葉を選ぶ。
私もお母さんを悲しませるようなことはしたくなかった。
「おばあちゃんとおじいちゃんが二人いるっていう子がいてね、初めはなんで二人いるのか分からなかったんだけどね。そっか、パパの分だって気づいたの。パパにもお母さんとお父さんがいるんだって。だから、パパのお母さんとお父さん、元気にしてるのかなあと思って。お母さんのお母さんとお父さんみたいに」
お母さんは、何も言わなかった。
私の目をじっと見つめるお母さん。
その瞳に映る私がゆらゆらと揺れているのに、私は気づいてしまった。
「……お母さ、」
何か言わねばとする私を遮るように、私の視界はベージュ色に覆われた。
お母さんの着ているセーターの色だ。
私は、お母さんの腕の中にすっぽりと収まっていた。
いつもは食事中に立ち上がっちゃダメというお母さんが、自らその決まりを破って私の隣にやって来ていた。
「……ごめんね」
ぼそりと聞こえてくる、お母さんの声。
お母さんの胸に顔を埋めると、私の大好きなお母さんの匂いがした。
「どうして謝るの?」
「お母さんね、パパのお母さんとお父さんのこと、よく知らないの。パパはね、自分にはお母さんもお父さんもいないって言ってたんだけどね」
「パパには、お母さんもお父さんもいないの?」
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」
「そうなんだ」
私には正直、よく分からなかった。
でもその時、どうしても一つだけ、私には聞きたいことができたんだ。
「お母さんとお父さんがいないパパは、かわいそう?」
引っ付いていた胸から顔を上げて、お母さんの目を見つめる。
それに応えるようにお母さんは私に回す腕にぎゅっと力を込めて、力強く答えた。
「かわいそうじゃない。かわいそうなんかじゃないよ」
「……ほんとうに?」
「ほんとうだよ」
私の頭にお母さんの手が乗せられ、そのままお母さんの胸に引き寄せられる。
少し息苦しかったけど、温かくて安心した。
「なら、よかった」
私もお母さんの背中にそっと手を回して、それから力いっぱい抱きしめた。
その後食べたご飯の味は、食べ始めたときよりも少しだけしょっぱい気がした。
だけどお母さんと二人で食べるお母さんの作ってくれたご飯は、最高においしかった。
「そっか、ハルちゃんお父さんいないんだっけ? その分お年玉もらえないんだね、かわいそう~」
今日、学校でカヨちゃんに言われたことを思い出す。
あの時はあいまいな返事しかできなかったけれど、今の私ならはっきりとこう返すことができるんだ。
「私もパパも、かわいそうなんかじゃないんだよ」
……ってね。
――そうだよね、パパ?
おやすみ、パパ。 真白なつき @mashiro_natsuki
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