日曜日のメロディー

ボンゴレ☆ビガンゴ

第1話

 冬の日。

 僕は憂鬱な気分のまま自転車を走らせ、花奈との待ち合わせ場所に向かっていた。

 手はかじかむほど冷たくなっていたが、心の冷たさに比べれば大したことはなかった。

「ごめん、まった?」

 ファーストフード店の客席。白いコートにえんじ色のロングスカート。少しヒールのついたブーツ。私服姿の花奈は普段見ている制服姿よりも大人っぽく見えた。

「もう遅いですよ! ……なんて、うそうそ。本当は私も今来たところなんです」

 悪戯っぽく笑う彼女。胸が締め付けられる。

「……で、センパイ。どうなるんですか?」

 あまりの単刀直入さに言葉につまる。

「……うん。結局、家族でオーストラリアに行くことになった」

 僕は父親の仕事の都合で、海外に移住することになってしまったのだ。

「そうですか……」

 花奈の顔を直視できず窓の外を見る。葉の落ちた八重桜の並木路に銅像が並んでいる。サザエさん一家の銅像だ。

 東急田園都市線桜新町駅。「サザエさん」の作者である長谷川町子がこの街に住んでいた縁で町をあげて「サザエさん」推しだ。

「でも、もしかしたらまた日本に帰ってくるかもしれないし、外国に行くからって別れる必要はないだろ」

 わざと明るく振る舞う。

「先輩、優しさは人を傷つけるんですよ」

 まっすぐ目を見つめられて、僕は耐え切れず再び目を逸らした。

「ねえ先輩。美術館行こ?」

「美術館?」

「そ、すぐそこにあるじゃないですか。長谷川町子美術館」

「ああ、そういえば。てか今から?」

「はい」

 まあ、この気まずい雰囲気が解れるならどこだっていいか、と僕は頷いて店を出た。


 商店街を歩く。サザエさんのキャラのパネルがそこここに置かれ、街頭スピーカーからは「サザエさん」のBGMが流れている。さすが「サザエさん商店街だ」

 歩く事五分。長谷川町子美術館に着く。

 入場料を払って中に入ると、磯野家の精巧なジオラマや長谷川町子が集めた美術品が並べてあった。

 他愛のない会話をしながら館内を回っていると、サザエさんのアニメが流れる部屋があったので、椅子に腰掛け二人で画面を見つめる。

 平日の昼。お客さんはまばらだ。

「なんでここに来たの? そんなにサザエさん好きだったっけ」

「うーん。別に普通ですよ。よく見ますけど、大好きで欠かさず見てるわけじゃないし、別に見逃してもなんとも思わないし、夕食前にテレビつけてやってたら見るでもなく流しとくって感じですよ」

 まあ、そんなもんだろう。僕だって同じだ。

「でも、多分、日本人の心の中にはサザエさんが確実に根を張ってると思うんです。一回も見たことない人はいなさそうですし、磯野家の家族構成なんて今じゃ中々ないですけど、でも、わざわざ疑問に思ったりもしないじゃないですか。昔はそうだったんだろうなって。それって、意識の奥底に根を張ってるってことだと思うです」

 うつむきがちに言葉を紡ぐ花奈。

「オーストラリアに行ってもサザエさんのことは忘れないでしょ。なら今日ここに来たこともきっと忘れないでしょ。そうしたら、別れても私のこと忘れないよね」

 無理に笑顔を作る。瞳はうっすらと滲んでいる。

「別に海外に行くからって別れる必要なんてないじゃん。忘れるも何もずっと気持ちは一緒だよ」

「でも、会えなくなります」

「会えなくたって関係ないよ」

 花奈の手を握る。彼女の手は冷たかった。彼女は僕の手を振り払う。

「会えなくなったら付き合ってるとは言えないです。先輩もあっちで好きな人ができるかもしれないし……」

 花奈は鼻をすすり顔を伏せる。テレビから流れるサザエさんのBGMだけが場違いな陽気さを振りまいていた。

「別れたいってこと?」

「別れたいなんて言ってない。でも……」

 震える小さな声に、僕は何と返せばよかったんだろう。

「……わかった。別れよう」

 僕は、小さな声で呟いた。本当は死んでも言いたくない言葉だった。

 僕は花奈が好きで、花奈も僕のことが好きだった。

 ずっと一緒にいたい、そう思っていた。

 それなのに。僕は親の都合で来月から海外だ。

 自分の無力さにただただ打ちひしがれた。

「ごめんなさい」

 彼女は泣きながら謝った。


 僕の初恋はあっけなく終わってしまったのだった。


 ☆


「はーい。回鍋肉、完成です。ほらほら、お箸とか出してよ」

 彼女に急かされ立ち上がる。

 食卓に夕食が並ぶと、エプロンをとって彼女は僕の隣に腰を下ろした。

「サザエさん見ると日曜日が終わっていく感じがして、なんかユーウツ」

「サザエさん症候群だね」

「なにそれ?」

「パブロフの犬と同義だよ。鈴が鳴るだけでご飯があると思ってよだれ垂らすアレさ。サザエさんを見るだけで次の日の労働が頭に浮かぶんでしょ」

「そうそう、なんだ。ちゃんと名前がついてたんだ。私だけの感覚かと思ってたよ。あー、特にこれ! このBGMとか聞くとキツいなぁ。月曜が攻めてくるーって思う」

 画面を指差し本当に憂鬱そうに彼女が言う。

「春輝はそうでもないの?」

「僕にとってサザエさんの音楽って恋のメロディだからね」

「なにそれ?」

「俺の初恋の話だよ。サザエさん商店街ってのが地元にあるんだけど、初めて出来た彼女がその近くに住んでてさ。いつもサザエさんのBGMを流してたんだと。僕はいつもその音楽を聴きながら大好きな彼女に会いに行っていたんだ。だから恋のメロディなのさ」

「ふーん。で、その子とはどうなったの?」

「親の都合で海外に行くことになってね。別れちゃった」

「そうなんだぁ」


 しばしの沈黙。

「……で、大学受験で日本に帰ってきて、その初恋の相手を探し出して告白して、付き合って苦節七年。ようやく先週、籍を入れたってオチね?」

 目の前の花奈が笑う。

「そ。これからもよろしくね。花奈」

「こちらこそ。迎えに来てくれてありがとう。私、今が一番幸せだよ」


『……なんじゃ、まったく! 人騒がせな奴じゃ』


 画面の中で波平さんが呆れたように笑っていた。

 窓の外、慣れ親しんだ桜新町の空に、恋のメロディは今日も流れていた。



 完

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