お隣さん

チューハイ

お隣さん

ただいま、です。あ、やっぱりいらっしゃいましたか。

どうも、こんばんわ。へへ。

もしかして、いま、お忙しかったりしますか?ほら、明日の授業の準備をしなくちゃならないとか……あ、大丈夫ですか。すみません、毎晩毎晩。お話しするのがすごく楽しいから……。

それにしてもいいものですね、縁側ってのは。冬になると寒そうでちょっと憂鬱ですけど、今みたいにほら、暑くなってくる季節だと、風呂上がりには直行しちゃいますね。昔の日本人は機械がなくても涼しく過ごす知恵があった、なんて話は聞いたことあったんですけど、そんなん嘘っぱちだと思ってました。案外、本当に涼しいんですよね。

……夏になると虫が……?……今から何か考えておかないといけないですね。まあ、その時は、それらしい蚊取り線香でも買ってみますよ。あの、ほら、うずまきのやつ。はい。

あなたは虫は平気なんですか?……へえ、すごいなあ、女の人はみんな虫がダメなのかと思ってました。……別に男がみんな虫平気とは言ってないですよ、ええ、僕は男で、虫が得意じゃないですよ?ええ。……なんですか、もう。

あ……月が綺麗ですね、ほら。

あ、ごめんなさい、変な意味で言ったんじゃないです。すみません、普通に、月が綺麗だってことです。……あ、えと、あれ、通じてないか。よかった。いえ、なんでも。……あ、猫が入ってきた。

……いいですね、この貸家は。もちろん、文明の利器に囲まれた家ほどには快適じゃないですよ。でも、僕はこっちの方が向いていたみたいです。

はい。そうです。覚えててくださったんですか、そうなんですよ。僕はもともとは、普通のマンションに住む予定だったんです。大学にもっと近くて、歩いていけるような距離にあるところの。ここからの方が実家からは近かったりしますから、親もまあ、そこそこ嬉しそうにはしているんですけど。

あ、実家、電車で四十分くらいなんですよ。そういえば、ご実家はどのあたりなんですか?……え、結構近所に住んでたことありますよ!途中で引っ越しちゃいましたけど……懐かしいなあ……。

……ここに住む理由ですか?

もともと和風建築に憧れがあったのもあるんですけど、それよりも……。痛い奴だと思わないでくださいね?僕ね、『ご近所づきあい』っていうの、したかったんですよ。

いや、もちろん、便利な今時のマンションでもご近所付き合いができなくはないですよ。

ただ、今日び、防音もそこそこしっかりしてて、同じ家のなかですら鍵を閉めるようなこの現代社会において、わざわざ隣の人とかに話しかけにいくとか、そんな攻めた真似できませんよ。

ご近所付き合いが当たり前の空気って、結局、昔ながらの家屋のところとか、ちょっと下町だったりとか……この辺も、割とそんな感じで、ご近所づきあいも多いとこですよね?ましてや大きな日本家屋の貸家なんて、もうシェアハウスに近いかなって、だから、来たんですけど……。

……大丈夫かなあ、僕とあなたがお喋りできてるんだから、ほかの部屋にも聞こえそうなもんだと思うんですけど……階が違うから大丈夫ですかね。

あの……皆さん、どちらかというと趣味人……の方が多いじゃないですか。しかも、人と馴れ合いたがらないっていうか。大家さんのおばさんは料理もおいしいし愛想もいいからお話してるんですけど、ほかの方々が全く……それこそ普通の便利マンションの方がまだ挨拶するんじゃないかってくらいで……家のたたずまい自体はすごく好きだったし、街の雰囲気も気に入ったんですけど、正直、来た日は、本当に寂しくなっちゃって。あなたもだんまりだったし。挨拶に来ても、扉を開けてくれなかったじゃないですか。あれ結構へこみましたからね。

そしたら、その次の日の朝!はい、あれです!

僕、普段はそんなに寝坊しないんですよ。そんなにっていうか、もう、はっきりいって、寝坊したことないんです、あれが初めてだったんですよ。

ほんとですって、だから、あのときも、パニックになって、ろくにありがとうも言えなかった。

あ、あの日起こしてもらえたお陰で、どうにか間に合いましたよ。本当にありがとうございます。壁ドンで隣の部屋の人起こすって、たぶんこの家じゃないとできないですよね。

ああ、この家に来てよかったなあって、思ったんですよ。

……あ、あなたも入学式だったんですか!え、じゃあ、ここに来てからまだそう日にちは立ってないんですか?なんだ、そうだったんだ。じゃあ、もしかして……ああ、やっぱり、同い年なんですね。

そういえば、美術系の専門学校に行ってらっしゃるんでしたっけ。すごいですね!

……何がって……えーっと、まあ、何て言うか……専門学校にいくって言うのが……?

うーん、僕、道を絞るのがすごく苦手なんです。

優柔不断だし、何か決めることが、怖くて仕方ないんです。背水の陣とか、退路を絶つとか、そういうのが、できないんです。

重いことを担うのも苦手で……人に担がれなければ、何か提案するのも苦手です。

人から話しかけられるのは平気だけど、人に自分から一声かけるの、ものすごく嫌だし。

でも、大きな変化も嫌いなんです。

ダメなやつでしょ、僕はダメなやつです。

だからね、大学受験も、自分で無難なところ目指しました。

でも、自分で目指しときながらね、なーんにも、嬉しくなくてね。

で、受験終わると、学校いかなくなるじゃないですか。友達に会わなくなるでしょ?

そうなってみると、僕に残ってるものなんか、一つもなかったんです。

やりたいことも見つからなくて、寂しくもなんともなくて、なんだか案外一人でもやっていけちゃいそうで。余計、怖くなってしまって。

進路も変えられないし、やりたいことも特にないから、住む家だけ、冒険したんです。

親は不思議がってました。「ご近所付き合いなんか、めんどくさいよ」って。

めんどっちいこと、したかったんです。自分は毎日、何かは「してる」って、思いたかった。

……将来の夢ですか?

本当に、なれればいいなって、思ってるものは、なくはないですよ。

え、そんな、急に食いつかないでくださいよ、わかりましたから。

芥川賞。

芥川賞をとることです。もう、こんなん、ほんと、妄想ですよ。夢なんてそんな全うなもんじゃないんですから。

……笑わないでくださいよ、本気みたいじゃないですか。……え?……一回二回、書きかけたことはありますよ。でも、なんか、自分では良し悪しがわからなくて、そのまま放り出しちゃいました。ただ、一応、読書感想文とか、作文コンクールとかは、ちょくちょく取り上げてもらったことがあるので、文を書くこと事態はそこそこ得意な方……なのかな。

……夏目とか、好きなんですよ。あの頃の文章って、構成はもちろんだけど、文自体がとても美しいじゃないですか。

だから、僕も書いてみたいと思ってます。でも、それ一本で絞って、失敗したら嫌じゃないですか。そこまでかけられるほどの夢じゃないんです。だから、適当に文学部に入ってお茶を濁してるんです。そんな奴なんですよ、僕は。

あなたは何の悩みもなかったんですか?専門学校に行くのに。そうだ、美術系って言っても、どういう美術ですか?

……アニメイタ―さんですか!なるほど…僕、アニメ好きですよ。あ、いや、深夜のも見るんですけど、どちらかといえば、夕方に見れるような、子供も見れるような奴で、安直なヒーローものばっかりなんですけどね。

……笑わないでくださいよ。

普通の……と言ったら失礼なのかな。でも、その、西洋画とか、抽象画とか、そういうものは描かないんですか?

……あ、そういうわけでもないんですね。

じゃあ、すごくアニメがお好きだったとか……では、ないんですか。

……ああ、ああ、なるほどね。小学校の時に、消しゴムね。絵描いたりすること、よくありますね……

……あの、今のご実家って、ずっとそこですか?つまり、小学校に行っていたとき、あなたはそこにお住まいでしたか?……そうですか。

あのね、また僕の話になってしまって、申し訳ないんですけど。

僕も小学校の時に、消しゴムに絵をかいてもらったことがあるんです。

大好きだったアニメのヒーローの絵を。とても、上手だった。

隣に座っていた女の子が消しゴムを忘れて、半分カッターで切って渡したら、休み時間に絵を付けて返してくれたんです。

僕は嬉しかったけど、急にそんなことをしちゃうような、少し不思議な感じの女の子だったから、クラスでは、宇宙人みたいな扱いでした。

……ああ、ごめんなさい。別にあなたのことをそうだといったわけじゃないんですよ、そもそもあなたはその子じゃないんだから、そうに決まってるでしょう?

それにね、その子が浮いていた理由は、そういう、行動のせいばかりじゃないと思うんです。

異質な空気があったんですよ。今思うと、結構可愛かったかもしれないなってわかるんですけど、それよりは、暗いひんやりした、妙な静かさが目立つような……、あなたはどうだか、分からないですけど。僕はあなたの顔を見たことがないし。あなたがどうだかなんて、分かりませんけど。

でも、僕、嬉しかったんですよ。……なんとなく、もうバレちゃってると思いますけど、僕、関わり合いになりたくなかったからわざわざ消しゴム切ったんです。だってそうでしょ、普通、共同で使うでしょ。机くっつけたりして。一応、「いいよいいよ、しょっちゅう声かけるの面倒くさいだろうし」って言ったんですけど。……僕は昔から、半端で小ずるい人間だったって、こういう事思い出すたびに、嫌になる。

……泣いてます?

……あ、そうですか、すみません。……僕ですか?泣いてませんよ。どうしてそんなこと聞くんですか?

……そうでしょうね。その子もきっと、気づいていたでしょうね。

……さあ、それは、ちょっと都合よすぎるかな……。言葉だけ優しくったって、結局は自分を馬鹿にしてる相手のこと、そんな風に思えますかね。

……断言しますね。変な人だなあ。赤の他人のくせに。

……不思議ですね。あなたは何の関係もない、本当に、赤の他人のはずなのに、あなたが断言するならそうなんだろうと思えます。

嬉しかったんですよ。

話したこともないし、どちらかといえば、避けようとした女の子が、僕の大好きなキャラクターを知ってて、それを、小さな消しゴムの端っこに上手に描いてくれた。

嬉しかったし、自分が恥ずかしくなった。でも、恥ずかしいけど、何か、こう、その恥ずかしさすらうれしくて。

大げさに言うと、世界が明るく見えたんです。自分の下らないものを全部壊してもらった気がして。

……しつこいなあ、泣いてないですよ。

それで、僕、その子にお返しを上げようと思ったんです。あまり絵とか上手じゃないから、もう一つ大きい消しゴムを買って、そこに何か可愛い絵でも描こうと思って。

そしたら、友達に見られました。

その子に消しゴムに絵をかいてもらったことを話したら、「気持ち悪い」って、みんな笑ってました。「こんな気持ち悪いの使いたくないから、新しいの買ったのか」って。

僕は何したと思います?

笑ってそいつらに乗ったんですよ。

その子は見ていないし、別に、陰でやり過ごすくらいいいだろって。そもそも、消しゴムに絵を描くなんて変わったマネ、僕がたまたま嬉しく思っただけで、普通は気持ち悪いとか言われて当然だし、仕方がない事なんだって、そう思おうとしました。

僕、乗っかるの得意なんですよ。みんなを説得するのはあんまり得意じゃなくて…いや、そもそもそんな立場になったことがないんですけど。みんな僕を担いで乗せようとするし、僕もそれに乗っかるのが好きなんです。落ち着くんです。

いつの間にか、絵つきの消しゴムもって、ごみ箱の前で悩んでました。

燃えるの?燃えないの?って。

燃えるんじゃない、って言われて、燃えるゴミ箱に入れました。

入れた瞬間、階段を二段踏み外したみたいに、心臓が縮んだのを覚えています。

でも、自分に刺さる周りの人間の視線の重みを感じると、落ち着いていきました。

お返しすればいいって、そう思いました。

帰りの会が終わって、ちらっと掃除当番表見て、教室当番は彼女で、帰り道、僕は誰にも乗れなくて。

それっきり、僕はその女の子とは一言も話しませんでした。

それからずっと、自分を信じてやれません。そのくせ、変わることもできやしない。

楽な方に、間違いのない方に、いつでも引き返せるような、馬鹿みたいに広い道の方にへらへらと流れて行って、その覚悟すら決まらない。でもだれも止めてくれないんです。僕のことを、誰も叱らない。叱らないどころか、僕以外の誰も知らないんです、僕がダメだってことを、知らない。

何でもできちゃうんですよ、それなりには。勉強してなくたって、テスト直前にノートを眺めてれば、結局、ある程度、どうにかはなっちゃうんですよ。でもそんなの、一個も身につくわけないじゃないですか。だから僕には何も残らない。ただ時間をやり過ごすだけで、図体でかくなるばっかりで、中身は空っぽなんです。

そこに皆が勝手に入って、僕も適当にみんなを入れて、出ていくのをただ見ている。何にもないくせに、失うものなんか、失って傷つくものなんか、何一つだって持ってないのに、そこまで追いつめられても、まだ、僕は、苦労する選択肢を選べない。少しでも面倒なことができない。冒険ができない。

力いっぱい頑張りたいのに、何に頑張ればいいかわからない。頑張るにしても、どこから頑張ればいいのかわからない。頑張るために頑張るとか、そんなことのために費やす時間なんか無駄じゃないかって、特に他に当てる予定もない時間をただケチってため込んでく。

誰か僕の足元をすくってくれればいいのに、全力で起き上がって、そのまま走っていけたらいいのに。

……ごめんなさい。ほんと、ごめんなさい。……すみません。はい、泣いてます。

でもね、だから、僕、せめて、人と一緒にいようと思って。

このまま一人暮らしだと、それすらできなくなりそうだから。

だから、不便でいいから、毎日に積み重なって、残ってくれる、楽しいお隣さんのいる、わが家が欲しくて。

そしたら、あなたに会えた。

……消しゴムいりませんか。

……いや、僕、これからコンビニに行くんですけど、アニメイタ―の方なら、たくさん絵を描くだろうし、必要かと思って。消しゴム。

消しゴムじゃなくてもかまいませんよ、何か、言いつけてもらえませんか。

……消しゴムで、いいんですね。

分かりました。でも、もしかしたら使えないかもしれません。

経験があるから言いますけどね、消しゴムに手の込んだ絵を描かれると、使えないものなんですよ。絵がちょっとした手紙か短編になったところで、きっとそうでしょう。

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