第二夜

「ジャック、着きましたよ。ジョアンナさんが一つだけなら、お菓子を買っても良いそうです」

「ワ~い!!」

 黒い上着にベストにズボン、紫の蝶ネクタイを締めた、オレンジのカボチャ頭が歓声を上げて店に飛び込む。

 私達は、私が生前住んでいた大陸の、北西にある島国の、とある田舎村にやってきていた。中世の面影を残した小さな農村。車を走らせれば一時間ほどでIT企業の背の高いビルが立ち並ぶ、大きな都市に行けるらしい。だが、村人は安くて美味しいからと、食料品は近所の農家から直接仕入れている、この店に買いにやって来る。

「おや、イワンさん、いらっしゃい! 今日は豚肉の良いのが入ったよ」

 店の御主人が声を掛けてくれる。

「ヨーグルトはありますか?」

「ああ、そいつも今朝、牧場から良いのが入った」

 私は駕籠を持つと、ジョアンナさんから預かった買い物メモを取り出した。

「豚肉にバター、チーズにクリームと……」

 売場を巡る。ジョアンナさんはこの島に『神の教え』が入る前からあった、古い土着の神様達を信じる白い魔女。表向きは現役時代の蓄えと年金で慎ましく暮らすおばさんだが、この辺りで何か起きたときは、死神さんのお手伝いをしてくれる女性だ。

 死神さんから村の外れ、荒れ野の向こうに建つ古い教会と牧師館に封印されているという、悪霊の見張りを頼まれた私達は、その期間、彼女の家に厄介になる代わりに家事の手伝いをしている。

 ごそごそと冷蔵庫からパックの豚肉を取り出していると

「コレが良イヨ!」

 お菓子売場に直行していたジャックが、村の婦人会が店に置いているクッキーの詰め合わせを持ってきた。

「相変わらず、ジャックは食いしん坊ですね」

 値段の割にどっさりとプレーンやココア、型抜きから絞り出しまで様々なクッキーが入っている袋を受け取る。

「沢山、食べレるカらネェ~」

 彼はケタケタと笑いながら、今度は雑貨のコーナーに走っていった。

「暢気ですね……」

 今回は古い悪霊が相手なのに、相変わらずマイペースを崩さないジャックに苦笑する。

「でも、死神の仕事をするには、あれくらいでないといけないのかも」

 内心ビクついている自分に喝を入れて、私は棚の牛乳の大瓶を取った。

 去年のハロウィンまで、私は天界の天使だった。でも、ハロウィンに上司と行った東洋の島国で、私は天使にスカウトするように言われていた少女、鞠亜さんとジャックと出会った。そして、鞠亜さんのスカウトに失敗した私は、二人の勧めで長い間合わない、辛いと感じていた天使をやめる決意をしたのだ。

 冥界のウロボロス様の館に連れていって貰った私は、ウロボロス様に仲介して貰い、私が天使になるときの説明不足から、契約を破棄した。鞠亜さんを悪魔から守ったときに、与えられた聖なる力をたくさん使ってしまったこと、元々無能な天使だったこともあって、天界はあっさり認めてくれた。人には見えないが、まだ背中に残る小さな白い翼を動かす。

「私は死神さんのようになれるでしょうか……?」

 思わず呟いた途端、元上司の『役立たず』の声が聞こえてくる。軽く頭を振って、野菜売場を回り、頼まれていたものを駕籠に入れ、レジに向かう。雑貨コーナーから、店内をきょろきょろ見回してジャックがやってきた。

「今日モ、ハロウィンの飾リが無いネェ……」

 ハロウィン発祥の国なのに、祭りを二週間後に控えた今も、この店にも村の家々にも、鞠亜さんのときに見たようなオレンジや黒や紫のお化けをかたどった飾りはない。代わりに早々とクリスマスのオーナメントが壁に飾られ、店の明かりに煌めいていた。

「最近はハロウィンはやらねぇからなぁ」

 レジを打ちながら御主人が苦笑する。

「この頃はハロウィンじゃなく、ガイ・フォークス・ナイトを祝うところが多いんだ」

「ガイ・フォークス・ナイト?」

 御主人の話によると秋の祭りは十一月五日に祝う、ガイ・フォークス・ナイトの方が盛んなんだという。四百年前に国王と議員を爆死させようと、議場の地下に坑道を掘った政治犯、ガイ・フォークス。未遂のまま捕まった彼は、拷問の末、処刑されたという。

 その彼を象った人形を、かがり火と共に焼き、花火を打ち上げる祭りだ。

「これが、その祭りで使うマスクだ」

 祭りの由来にちょっとひく私達に、御主人がレジの横に置いていた白地に黒で眉と髭を描いた男の笑い顔のマスクを手に取る。

「そのカボチャ頭より、カッコ良いぜ」

 ジャックの姿を仮装だと思っている御主人が彼に差し出す。

「……ヤダよぉ……」

 ジャックは気持ち悪そうに、それを受け取った。

「……でモ……キミも、ずっト赦されナイのネ……」

 ぽつりと呟く。

 ジャックは、ウロボロス様でも飲み込めないほどの重い業を背負っている。それを死神さんの手伝いをして、『生き返りの輪』に逝く人々に、少しずつ持っていって貰っているのだ。

 いつか軽くなって『生き返りの輪』に入れるように。何時まで掛かるか解らないが。

「ジャック……」

 マスクをじっと見ている彼に、何か慰めの言葉を掛けようとしたとき

「ニャ~ン」

 店の入り口から、すました猫の鳴き声が聞こえてきた。

「エイミィ!」

 ジャックが顔を上げて嬉しそうに振り返る。

「遊びに誘いにきてくれたようですね」

 私はほっと息を吐いて、駕籠から御主人がレジを通したクッキーの袋を渡した。ジャックが背伸びして、マスクを駕籠に入れる。

「いってらっしゃい」

「イッテくるヨォ~」

 弾んだ足取りで入り口に向かう。エイミィと呼ばれた猫は、大柄で、しなやかな体と灰色のビロードのような美しい毛並みを持つ、村のボス猫だ。彼女は一声、『探したわよ』と文句を言うかのように鳴くと、すんなりとした長い尻尾を振って、ついておいでというかのように彼の前の立って歩き出した。

「ほう……。噂は本当だったのかい」

「ええ。すっかり仲良くなって、毎日、二人で遊び歩いています」

 彼女はジョアンナさんの隣の家の老夫婦の飼い猫で、何故かこちらに来て以来、ジャックを気に入り、毎日のように彼を誘いに来る。

「元々、社交家で村人が集まるところに必ず顔を出す猫だが、最近、小さな仮装した男の子を連れていると村中の噂になっているぜ」

 御主人が袋に買った物を詰めながら笑う。

「今度、俺達のパブのダーツの集まりにも、来てくれないかな?」

「それはダメですね。エイミィはキチンとしていますから。夕方の四時になるとジャックをジョアンナさんの家に連れて帰ってしまいます」

 そして、彼が家のドアをくぐるのを見届けて、また明日ね、と一声鳴いて、自分も家に帰る。

「まるで母さんか姉さんだな」

「はい」

 大きな灰色の猫が、ちょこちょこついてくるカボチャ頭を、時折振り返り、振り返り、寄り道をしていたら注意をするように鳴いて促して、連れて歩いているのは本当に可愛い。

 私も笑いながら代金を支払った。

「まいどあり」

 御主人が袋を渡してくれる。

 袋の荷物の上には先程のフォークスのマスクが乗っている。不気味な笑顔に少し頬をひきつらせ、私は御主人に礼を言って、店を出た。



 古い、草に覆われた石垣に沿って道を下りる。茶色の屋根に白い漆喰の壁のこじんまりした家に、小さなキッチンガーデン。リンゴとイチジクの木を庭の隅に植えた敷地に入ると、丸い太った初老の女性……ジョアンナさんが車から出てくるところだった。

「やっと、借りられたわよ」

 やれやれと、ふっくらした頬を緩める。

 ここに来て五日。まだ私とジャックは悪霊の封印されたという教会を訪れていない。荒れ野の先にある教会は遠くて、とても歩いて行ける距離ではないのだ。

 今朝、列車に乗って、都市に住む息子さんに車を借りに行っていたジョアンナさんは、私の後ろを覗き込んで

「あら? ジャックは?」

 と訊いてきた。

「エイミィがお店まで呼びに来て、遊びに行きました」

「そう、婦人会の集まりにでも出掛けたのかしら?」

 彼女は丸い肩を竦めた。

「本当に気に入られたものね。じゃあ、私達二人で行きましょう」

 隣の老夫婦の家に足を向ける。

「シンプソンさんに、私達が帰る前にジャックが帰ったら、預かってもらうよう頼んでくるわ」

「では、私はこれを片付けてきてしまいます」

 私は買い物袋を掲げて見せると家に入った。ジョアンナさんは『古いしきたり』を重んじる人で、ハロウィンもきちんと祭る。家の中には、窓や扉にイチイやヒイラギ、ヤドリギの魔除けの飾りが飾られていた。

 買った物を冷蔵庫や食料庫に入れ、私は残ったガイ・フォークスのお面を手にちょっと迷って、暖炉の上の棚を見た。そこには古い色あせたカラー写真がフォトスタンドに入れて置かれている。ジョアンナさんに少し似た、花柄の白いレースの付いたワンピースの少女と、灰色の地味なワンピースの少女と太ったぶち猫。ジョアンナさんのお母さんと友達と友達の飼い猫らしい。その脇に飾られた、ジャック・オ・ランタンの蝋燭の横に、私はお面を置いた。

『ジョアンナさんと村外れの教会まで行ってきます』

 念の為にジャックに書き置きを残す。

「イワン! 行くわよ!」

 呼び声と共に車のホーンが鳴る。

「はい!」

 私は書き置きの紙の上に、駕籠に入っていた庭から採ったリンゴを置き、部屋を出た。



 秋の深まった荒れ野は、茶色と所々残った緑の不格好なパッチワークが広がっている。子供が遊びで適当に積んだ積み木のような白い岩がぽつりぽつりと点在し、黄色いゴースの花が咲いているのが見える。

 荒れ野の中の一本道を、ジョアンナさんの運転する車は西へと向かっていた。

「ところで、イワン。あなた、死神になるつもり?」

 目的地はまだまだ遠い。カーラジオから流れる歌が終わった後、彼女は私に訊いた。

「はい。出来れば死神さんのような」

『ありがとう。本当に楽しいハロウィンだったよ!』

 鞠亜さんが手を振って笑って逝ったのを見たとき、ずっと『役立たず』だと言われていた私は思ったのだ。

 こんなふうに、誰かの役に立ちたい……と。

 その思いは、一年間、ウロボロス様の館で他の死者の人達と、使用人として働きながら、死神さんやジャックを見ているうちに、どんどんと強くなった。

 私も二人のように死に逝く人達の役に立ちたい。

「死神さんが、私が天使に選ばれたのは、元々、何かふさわしい力を持っていたせいではないか、と教えてくれました」

 あの天使させ放題だった時代に、私を選んだのには理由があるのではないかと。

 それが何かは解らないが、本当にそういう力があるのなら、それを二人のように使ってみたい。

 じっと自分の手を見つめる。

「あなたは何が得意かしら?」

 ジョアンナさんが前を見たまま、訊く。

「力というものは得意なものや好きなものに隠れていることが多いのよ」

「強いて言えば……掃除でしょうか?」

 生前、教会で働いていたときから、私は掃除が好きだった。

 今も館で働く、働き者のメイドの少女に

『イワンさんって、お掃除お上手なうえに手早いんですね!』

 尊敬の目で見られている。

 でも、それが天使にふさわしい力なのだろうか?

「掃除は場を清めるもの。見立てって知ってる?」

「はい。以前、それでウロボロス様そっくりのカボチャの蔓の蛇をジャックを作りました」

 基礎にウロボロス様のお力があったとはいえ、それは私やジャックの力では考えられないほどの力を発揮し、悪魔にダメージを与えた。

「もしかしたら、あなたの力もその辺りから見つかるかもね」

 ジョアンナさんがちらりと私を見て微笑む。謎掛けのような会話に私は首を捻った。



 舗装された道が、未舗装の土が固められた道に変わる。揺れる車のハンドルを握りながら、ジョアンナさんは人差し指を立てて、荒れ野の先を指した。

「あれが教会と牧師館跡よ」

 白い雲が飛ぶ青い空を突き刺すように、教会の尖った塔が見える。

 ジョアンナさんは道端に車を停めた。

「ここからは歩くわよ」

 枯れ草を踏みしだきながら、荒れ野に入っていく。

「あれは四百年ほど前に建てられた教会なの」

 清貧を重んじた田舎の教会らしく、灰色の飾り気の無いシンプルな石造りの建物に着く。ぽっかりと開いた入り口から入ると、中は意外と明るい。それもそのはず、屋根が落ちている。柔らかな日差しが差し込み、身廊を囲む柱が等間隔に床に影を落としていた。

「ここは、裏にあった牧師館共々、七十年前に火事で焼け落ちたの。放火だったと言われているわ。それでも怪奇現象が収まらず、死神さんがそれを起こしていた悪霊を封じて、その後、私の祖母と母、私とで監視してきたのよ」

 翼廊の端の出入り口から外に出る。教会の裏には、館の跡は影も形も無く、荒れ野の草の中をコマドリ達が飛び交っていた。

 牧師館……牧師が住む館は住んでいた牧師一家と共に焼き落ちた後、撤去されたらしい。

「特に何も感じませんね……」

「そうね」

 ハロウィンの頃に封印が解けるというのに、不穏な感じは微塵もしない。

「うまくいったのかしら?」

 ジョアンナさんが周囲を見回す。彼女の視線を追うと、等間隔で教会を囲むように白っぽい岩が置かれているのに気付いた。

「これは?」

「死神さんと祖母で施した浄化の術よ」

彼女は岩の一つに歩み寄り、先端を手でポンと叩くと、更に先を指差した。

 苔むし、草に覆われているが、そこには打ち倒されたような岩が転がっている。岩は死神さんが置いた岩を囲むようにサークルを描いて倒れていた。

「もしかして、ここは『古い神々』の聖地だったのですか?」

「いいえ。ここは『忌み地』だったのよ」

 ジョアンナさんが首を横に振る。

 それを『古い教え』の人達……ジョアンナさんのご先祖様達が、ストーンサークルを造って鎮めていたが、この地に来た牧師がサークルを壊して教会を建てた。

「ああ……、異教徒の『聖地』に教会を造ることで、神の教えを広めようとしたのですね」

「ええ、異教徒を押さえつけるのによくやる手ね」

 私を元天使だと知っているジョアンナさんが苦い笑みを浮かべた。

 冥界で過ごして一年。私は私が思う以上に宗教によって亡くなる人が多いことを知った。

 ……『神の教え』は正しくても、それを教える人や団体が正しいとは限らない……。

 私はジョアンナさんに肩を竦めて見せた。

「それでも、二百年ちょっとは何も起こらなかったらしいわ。でも、徐々に『穢れ』が溜まったのでしょうね。少しずつおかしなことが起こり始めて……」

 ジョアンナさんのお祖母さんの代には、勝手に扉が開いたり閉まったり、昔の伝導師の幽霊が出たり、近所の猫が迷い込んで死んだり、怪異が相次いだという。

「それで、改めて、『穢れ』を浄化しようとサークルを造ったのですね」

 ……あれ?

 そのとき、私は何か話にひっかかりを感じた。

「そろそろ帰りましょう」

 考え込む私に、ジョアンナさんが告げる。吹き抜る風に、寒そうに太い腕をさすっている。いつの間にか日が傾き、教会の長い影が私達を覆っていた。

「はい」

 異常はないとはいえ、『忌み地』に日が暮れてから、人がいるのは余り良くない。

 先に行くジョアンナさんの背中を追って、私は歩き出した。

 そのとき

「ブニャァァ~ン」

 猫の鳴き声が聞こえた。太く、しゃがれたような声だ。

「えっ?」

 次いで感じた微かな霊気に振り向く。夕日に照らされる教会の影になった壁に、ちらりと黒い猫の尻尾が隠れたのが見えた……ような気がした。

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