さまよいジャック ~救いのカボチャの天使~
いぐあな
第一夜
青くよく晴れた空から、眩しい春の日差しが、ようやく冬が明け、芽吹きを迎えた大地に注ぐ。なだらかな丘陵地帯に広がる農村は、これから繁忙期を迎える。畑に鍬を入れ、家畜を放し、領主や教会に払う税の為に、農奴達はせっせと働かなければならない。
そんな、この国のどこにでもある、貧しい田舎の農村の小道を今、大勢の人々が列を成して歩いていた。
先頭には十字の旗、その後を馬に乗った、羊飼いの杖を持った少年が続く。彼の周囲を灰色の長衣に頭巾付きのマントを着た修道士達が囲み、チュニックにマント姿の子供達、櫃や天幕等、荷物を乗せた驢馬が続く。
そして、更に後ろには、畑にいる農奴達によく似た、みすぼらしい、痩せた人々達が大人も子供も連なって、後をついて歩いていた。
彼等は歌う。
「乳と蜜の流れる地に行こう」
そこに行けば、もう飢えることはない。
重い税の為にあくせく働くこともない。
神の啓示を受けた少年が海を割り、自分達を聖地へ連れて行ってくれる。
「異教徒から聖地を取り戻そう」
畑を耕していた者が、羊を追っていた子供が、一人、また一人と列に加わる。
彼等の列は南へ南へとうねりながら進んでいった。
「カルロス……ナタリー……ジーノぉ……、行っチャだめネェ……。戻レナクなるヨォ……。迷って……さラワれて……売らレテ……戻レなくナルねぇ……。行っちゃダメだヨォ……」
木の葉を半分ほど落とした木々から、淡い秋の日差しが差し込む、小さなの館の庭に寝言が流れる。
庭の東屋のテーブルには、ハロウィンのジャック・オ・ランタン、そっくりのカボチャ頭をした小さな男の子がつっぷすように眠っていた。
誰かが掛けたのだろうか。暖かそうな毛布にくるまれ、男の子はむぐむぐと、くり抜かれただけのはずの口を動かす。
テーブルの上に置かれた白い手袋に包まれた手が、何かを掴むようにぎゅっと握られる。
「行ッちゃダメネェ……。神様は……神様ハ……ボク達なンカ、救ってくれナイんだヨォ……」
コツコツコツ……。
毎日、床をピカピカに磨き上げるメイドの少女に敬意を表し、玄関で丁寧に土を落とした革靴が、館の二階の廊下を鳴らす。
窓から差し込む金色の日差しにきらりと光る頭蓋骨。上品なスリーピースのスーツに黒のマントを着けた、骸骨は館の主の部屋の扉を、白い骨が連なった手の甲でノックした。
扉を開け、一礼して部屋に入る。壁に掛かる、様々な世界の風景とそこに暮らす人々が縫い取られたタペストリーに、沢山の動物達の置物が飾られた飾り棚。寝心地の良さそうなカウチが中央に置かれた部屋は、庭に面した窓が大きく開け放たれていた。その向こうのベランダに、金色の冠を頭に被り、背中に小さな翼を生やした二メートルほどの黒蛇が、ゆったりと柵に巻き付いている。
黒蛇は時々、床に置いたグラスの中から、色とりどりのボンボンを尾の先で取り出しては、口に運ぶ。
骸骨は窓から出ると、ベランダの床に片膝をついて、黒蛇に深々と頭を下げた。
「ただいま戻りました。ウロボロス様」
「役目、ご苦労じゃのお」
コクリと口の中のボンボンを飲み込んで、黒蛇……館の主、冥界の二柱の神の一柱、死と再生を司る蛇神、ウロボロスが彼を労う。
骸骨……冥界でも一、二を争う腕利きの死神は、顔を上げるとカクリと首を傾げた。
「何故、ここで浄化を?」
ウロボロスが飲んでいるボンボンは、冥界に来た死者の苦しみや悲しみに満ちた心を具現化したもの。蛇神はそれを飲み込み、浄化し、元の純粋な心に戻して『生き返りの輪』に戻すのが役目なのだ。
いつもなら、良く晴れた日は、お気に入りの庭の東屋で行うはず。死神の問いに蛇神は、つぶらな目を見開き、鎌首をもたげて庭を指した。
「東屋にはジャックが眠っておるのでのお」
「……あのカボチャ頭が……!」
死神が眼窟に灯る青白い炎を、怒りに燃え上がらせて立ち上がる。「あれほど、ウロボロス様のお役目の邪魔をするな、と言っておいたのに……!」
右手をかざし、大きな麦刈り鎌を出し、踵を返した死神をウロボロスはのんびりとした声で止めた。
「何、儂が自分で勝手にこっちに移った」
黒い瞳を伏せる。
「あの夢にうなされるジャックは見ておれんのでの……」
蛇神はゆるゆると首を横に振った。
「……そうですか……」
死神が柵に歩み寄り、秋の昼下がりの穏やかな庭を見下ろす。
カボチャ頭こと、ジャックは、今はウロボロスの庇護下にいる幽霊だ。生前は悪人だった彼は、悪魔を騙して、自分が地獄に堕ちないように契約をした。しかし、それまでの行いの悪さから天国にも行けなかった彼は、手に持っていたカボチャのランタンに取り憑き、長い年月を現世でさまよい歩いたあげく、死神に拾われ、この館にやってきたのである。
「……幽霊になったのは、自業自得ですが……」
「……じゃが、悪人にならざる得なかった過去は惨いのでな……」
「……やはり、その過去を思い出してきているのですか」
死神は深く息をついた。
何百年もさまよううちに、ジャックは生前の記憶を失い、イタズラとお菓子の大好きな、陽気な小さな男の子の幽霊になった。
「そして、全てを忘れてもまだ残る、心残りの為に、現世で幾人ものさまよう霊を『戻る』べき場所……ここ冥界に向かわせてきた」
ウロボロスもまた息をつく。
「その心残りに纏わる過去の記憶が、去年のハロウィンに、あの者と出会ったことで甦りつつあるのお」
「もし、甦ってしまったら、ジャックはどうなりますか?」
「多分、再び心が破れ、悪霊に戻ってしまうだろうの」
ウロボロスの言葉に、死神はカチリと奥歯を噛みしめた。
陽が陰り始めた庭を金色の髪をした細身の青年が駆けて行く。なかなか戻って来ない、友人を迎えに行くのだろう。彼の背中には小さくなった白い翼があった。
「……イワン……」
死神が去年のハロウィン後、天使から冥界の幽霊となった青年の名を呟く。
「ウロボロス様」
彼は蛇神に向き直ると、再度膝を折った。
「私が現世で六十年前に封印した悪霊が、今年のハロウィンに甦ろうとしています。その見張りに、イワンとジャック、二人を遣わせて下さい」
「……何か考えがあるようじゃの」
「はい」
ウロボロスは死神のちろちろと燃える眼窟の炎をじっと見つめた後、小さく頷いた。
「……お前に任そう」
「ありがとうございます」
死神が深く頭を下げる。
「しかし、これも運命かもしれんのお」
ジャックの忘れた重い記憶と決着をつける為の。
「はい」
ジャックとイワンはその為に出会ったのかもしれない。冥界の蛇神の言葉に死神は頷いて立ち上がる。
二人の眼下を眠そうに眼をこするカボチャ頭の手を引いた、元天使が通り過ぎて行った。
「私達の分も聖地でお祈りをしておくれ」
聖なる行列に四人の親達は、ほんのわずかな固いパンを彼等に与えて送り出した。
「うん! 皆の分も神様に赦されるように祈ってくるよ」
四人はどれも農村の農奴の三番目、四番目の子供達。みそっかすとして、ほったらかしにされて育てられてきた子供達は、初めて自分達に向けられた親の期待に、胸を弾ませて行列に加わった。
……親達から、食い扶持を減らす為の、ていの良い厄介払いとして追い出されただけとは気付かずに……。
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