第三夜

「待って、待ってよ!」

 彼は動き出した大人達の手を引いた。

「水を汲みに行ったカルロスが戻って来ないんだ」

 四人分を水を汲むと言って出掛けて、見知らぬ森で迷ってしまったのかもしれない。戻ってくるまで待って欲しい。声を必死に張り上げるが、行列はぞろぞろと進み始める。

「聖地への大切な巡礼だ。子供の一人を待っていられないのさ」

 大人が手を振り解く。

「でも、これは神様のお告げの聖なる行列なんだろ!? だったら、カルロスを戻してよ!」

 叫ぶ彼に周りの大人達は笑った。

「ああ、だからこそ、そのカルロスって奴は、神様によってきっと列に戻って来るさ。そいつの信仰が確かならね」

 列はどんどん進んでいく。

「カルロス……きっと神様が戻してくれるよね……」

 神に祈りを捧げた後、離れていく行列を、友達二人と追う。

 しかし、二度とカルロスは戻ってくることはなかった。



 パタパタパタ……。

 ジョアンナさんの居間の棚に、私はハタキを掛けていた。彼女と教会を訪れてから四日が過ぎている。幽霊の私は、一度行った場所なら、次からは瞬時に飛ぶことが出来る。あれから毎日、昼過ぎから夕刻の間に教会を訪れ、見回っているが、今のところ邪気のじの字も無かった。

「本当にあの封印が後十日で解けるのでしょうか?」

 そう呟いて、また何か以前感じたひっかかりを感じる。

 なんだろう?

 首を捻りながら、雑巾で落としたほこりを拭き取った。

 ジョアンナさんは、私がいる間に、自分ではやり辛い、背の高い家具や重い家具をどかしての掃除をさせるつもりらしい。

 今日も自分は縫い物をしてるからと、この棚を上から下まで磨くように頼んで自室に引っ込んでしまった。

 結構、ちゃっかりしているおばさんですね……。

 苦笑いをしながら、更に磨くと、マホガニーの木肌が美しい光沢を取り戻す。その輝きに、車の中での謎掛けのような言葉を思い出した。

「掃除は場を清める……」

 彼女の説が正しいとすると、私には何かを清める力があるのだろうか?

 ふと、側に置いたハタキに目を移す。

 このハタキは私が、ほこりを吸い付けそうな、いらなくなった布を細く裂いて、棒にくくり付けて作っている。

 以前、ウロボロス様の館で掃除中、イタズラをしてきたジャックを怒って、これを振り回しながら追いかけたところ、鞠亜さんと同じ国の死者の人から大笑いされた。

『天使が御幣を振って、カボチャのオバケをお祓いをしている!』

 御幣というのは、彼女の国の神様に使える人が穢れを祓い、清める為に使う道具だそうだ。

「祓う……払う……」

 その国では、意味は違うが同じ発音の言葉らしい。

「……見立て……」

 ぶつぶつ呟いていると「何、シテいるノ?」背後からジャックの声が掛かった。

「いえ、お掃除をしているだけです」

 ジャックに、この相談するのは、ちょっと無理がある。振り返り、苦笑いを向け、私はあることに気付いた。

「あれ? ジャック。ガイ・フォークスのお面をどこにやりましたか?」

 暖炉の上に飾ったはずの不気味なお面が消えている。

「知らナいヨォ~」

「そうですか……」

 もしかしたらジョアンナさんが片付けたのかもしれない。彼女はガイ・フォークス・ナイトのことを夜中まで花火を上げて騒々しい祭りだと、余り良くは思ってないようだった。

「ところで今日は出掛けないのですか?」

「エイミィがマダ来ないネ」

 壁掛け時計を見る。短針は昼の二時を越えていた。

「今日はお迎えが遅いですね」

 エイミィはいつも私達がお昼ご飯を食べ終わったのを見計らったように迎えに来るのに。しょげた子供のように、ジャックが大きなカボチャ頭をカクンと前に下げた。

「置イテいかレタのカナ……?」

 いつもなら『マっイッかぁ~!』と自分でどこかに遊びに行ってしまうのに、珍しく落ち込んでいる。私は戸惑いながら、オレンジの頭を撫でた。

「そんなこと無いですよ。きっと、お家でのんびりしていて、忘れているのでしょう。ジャックから、呼びに行ってはどうですか?」

「うン!!」

 気を取り直したのか、顔を上げてケタケタと笑う。

「迎エに行くヨ」

 くるりときびすを返したとき、猫の鳴き声が窓から聞こえてきた。

「エイミィ!!」

 嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら、ジャックが庭に面した窓に近寄り、大きく開け放つ。しかし、何故かエイミィは、いつものように彼に背を向けて歩き出しはせず、前にちょこんと座ると何かを訴えるように鳴き出した。

「ドウしたノ? エイミィ」

 ジャックも彼女の前に腰を下ろして、ふんふんと彼女の話を聞く。

 そのとき、今度は玄関のベルが鳴った。

「はい!」

 雑巾を置いて、玄関に向かう。

「あ、ベッカーさん、いらっしゃい」

 ジョアンナさんの友人で、村で牧畜をしているベッカー夫人がそこにはいた。ここまで急いできたのか、いつもはおっとりしている夫人の息が、軽く弾んでいる。扉を開けた私を押し退け、夫人は家に入ると奥に向かって叫んだ。

「ジョアンナいる!? 大変なの!!」

「どうしたの? クリス」

 奥の自室から老眼鏡を掛けたジョアンナさんが出てくる。

「昨日からジニーがいないの! 出掛けたのかと思っていたら夜になっても帰って来なくて!!」

 夫人は、ジョアンナさんに必死の形相で訴えた。

 ジニーは彼女の家で飼っているオスの縞猫。大人しい、少々臆病な猫で、家を出るといっても家の周りか牛舎くらいしか出歩るかない箱入り猫だ。

 勿論、これまで外泊したことはない。その愛猫が、昨日の夕刻から姿が見えなくなり、夫人は朝からずっと村中を探し回っていたと言った。

「もしかしたら、迷子になってしまったのかもしれないわ!」

 行動範囲の狭い猫が、ちょっと散歩に出、よその猫と喧嘩をしたり、犬に吠えられたりして、無我夢中で逃げ回り、帰り道が解らなくなることは、割に良くあることだ。

「占ってみましょう。イワン、彼女にお茶を淹れてくれる?」

「はい」

 ジョアンナさんは失せ物占いを得意としている。まだ、興奮しているらしい夫人に、お茶を持ってくるように頼み、彼女は自室に夫人を連れて行った。

 キッチンに向かう。戸棚からティーセットを二人分出し、ケトルでお湯を沸かす。

「ジニーのオバさんガ来たノ?」

 ジャックがエイミィと共にやってきた。

「エイミィもジニーがイナいッテ心配シテいるネ」

 村のボス猫として、どこかの猫からジョアンナさんのように相談をうけたのか。「ナーン」彼女が鼻を鳴らす。

「多分、迷子になったのでしょう」

「探シテくるヨォ!」

 ジャックがいつにない真剣な顔でキッチンを飛び出した。エイミィも後に続く。

「私もジョアンナさんの占いの結果が出たら、探します!」

 二つの背中に呼び掛けて、紅茶の葉をポットに入れる。

 ジャックのドアを閉める音がする。その直前

「ブニャァァ~ン」

 太いしゃがれた猫の声が外から聞こえた……ような気がした。



 空間を飛ぶときの、軽い浮揚感が治まり、カサリと足が枯れた草を踏む。同時に眼前いっぱいに広がった、目を射すような夕日のオレンジ色の光に、思わず両手で顔を覆う。少し指の隙間を広げ、目を細める。夕焼けの荒れ野の中、黒いシルエットとなって教会がそびえ立っていた。

『イワン、ジニーはあの教会にいると出たの』

 占いを終え、ベッカー夫人とジニーを探しに行くと、キッチンにティーカップを下げに来たジョアンナさんは、そっと私に耳打ちした。

『クリスには村の西の方にいるとだけ言ったわ。私が彼女と村の西の荒れ野を探している間に、探してきてくれないかしら?』

『解りました』

 頭に教会と牧師館の怪異現象の一つ、猫が迷い込んで死んだ、というのが浮かぶ。ジョアンナさんも同じことを考えたらしく『無事なら良いけど……』顔をしかめていた。

 ゆっくりと慎重に教会に向かって足を進める。死神さんの白い岩のサークルの内側に入ったとき、ゾワリ! 背中を悪寒が走った。

「これは……!」

 昨日、昼過ぎ、ここに来たときは何とも無かったのに、今は教会の周りには禍々しい邪気が漂っている。

「まさか、悪霊の封印が解けたのですか?」

 息を飲むと、私は慎重に辺りを探った。

 邪気はどうやら残滓のようなものらしい。ということは既に昨日の晩あたりに封印は解け、悪霊はどこかに去ったことになる。

「しまった……」

 もしかしたら、ジニーは悪霊にさらわれたのかもしれない。彼の最悪を予想して教会に近づいたとき

「ブニャァァ~ン」

 また、あのしゃがれたような猫の声と小さな霊気を感じた。

 教会の翼廊の入り口から中に入る。床から段を三つばかり上がって、円形の祭壇跡に登る。

 そこから身廊を見下ろす。夕日に壁と柱の影が床を覆う中、オレンジ色のカボチャ頭と灰色の猫が真ん中に並んでいるのが見えた。

「ジャック!」

 ジャックが振り向く。腕には縞模様の猫が横抱きに抱かれていた。

「もしかして、その猫はジニーですか!?」

 祭壇を降りて駆け寄る。

「モシかしナクても、ジニーだヨ」

 ジャックは腕を上げて、猫を私に見せた。

 そっとにジニーに触れる。小柄な猫のなめらかな毛並みには傷のようなものはないようだ。体は暖かく、柔らかそうな腹が静かに上下していた。

「眠っているのですか?」

「眠ッテいるネェ~」

 ジャックが肩を振るわせて、ケタケタと笑う。

 私はこわばっていた身体の力を抜くと、彼に訊いた。

「でも、どうしてジニーがここにいると解ったのですか?」

「黒ブチの猫さんガ教えテくれタヨ」

 ジャックの答えに、エイミィが『そうよ』というかのように「ニャン」と鳴く。

「黒ぶちの猫?」

「ソウ、シャガレた声ヲした猫ネェ」

「……しゃがれ声の……」

『ブニャァァ~ン』

 あの鳴き声の持ち主だろうか?

「とにかく無事に見つかって良かったです。村の西の荒れ野でジョアンナさんとベッカー夫人が、彼を捜してますから、連れていってあげて下さい」

「イワンは?」

 私は教会をぐるりと見回した。

「悪霊の封印がどうやら解けたようです。詳しく調べて、死神さんに報告します」

「了解~」

 ジャックがまたケタケタ笑うとしっかりとジニーを抱え直す。

「ニャン」

 エイミィが準備は良いわよ、というように彼の足に体を寄せる。

「Trick or Treat !」

 白い手袋の人差し指を立てて、いつもの掛け声を掛けると、ぽんとエイミィと一緒にその姿が消えた。



 夕日が沈み、教会の中が闇に包まれる。まだ月は昇っておらず、見上げると秋の星々が夜空に輝いていた。

「やっぱり……」

 丁寧に死神さんとジョアンナさんのおばあさんが施した浄化の術の岩列を調べ、その中心である教会の祭壇に立って、私は頷いた。

 日が暮れた『忌み地』には夜気に誘われて『穢れ』が集まってくる。それは、見事に浄化のサークルによって、溜まる間もなく、消え失せていく。

「さすがです」

 以前のサークルが倒され、四百年の間に溜まっていた『穢れ』も薄くなっているのが解る。

「それなのにどうして……」

 悪霊を封印する術だけが、六十年経った今、解けたのだろう?

 私は背中の翼から羽を一つ抜いた。

 悪霊の封印が解けたこと。悪霊はどうやらジョアンナさんの村に向かい、手始めに猫に手を出していることを、死神さんへのメッセージとして吹き込む。

「行きなさい」

 教会から出、荒れ野を渡る風に飛ばす。ひらひらと風の中を舞った後、羽はふっと消えた。

「いや……ちょっと、待って下さい」

 ふと、ひっかかっていたことが解る。

「そもそも、何故封印したのですか?」

 天国にも地獄にも、ウロボロス様の切り札、冥界の腕利き、として有名な死神さんの力なら、悪霊など簡単に滅することも出来たはずだ。

「それを何故、六十年ぽっちで解ける封印を掛けて封印したのでしょう?」

 万に一つ、それが無理なら、あの方なら六十年とは言わず、百年でも、いや永久にでも封印することも可能なはず。

 それを、どうして……。

 ひゅう。冷たい風が荒れ野を吹き渡る。

「取り敢えず、これからは村と教会、両方を見張った方が良いですね」

 帰って、ジャックと相談しようと歩き出す。

 ひゅう。風が首筋に吹き込む。思わず冷たさに身を縮めたとき

「ブニャァァ~ン」

 またしゃがれた猫の鳴き声が聞こえた。

 同時に背中を襲う邪気に、慌てて横にジャンプする。

 ガサガサッ!!

 私が居たところの前方の、まだ残っていた緑が、あっという間に茶色に変わった。

「……っ!!」

 振り返り、上がりそうになった悲鳴を飲み込む。

 星空に黒々とシルエットとなった教会。その手前に影が浮かび上がる。黒い靴。真っ白のソックスに包まれた細い足。灰色の地味なワンピース。風に揺れる栗色の長い髪。

 顔には、あのガイ・フォークスのお面をつけている。悪霊の気配をまとった少女の霊がマスク越しに私を見下ろして楽しげな笑い声を立てた。

『キャハハハハ……!!』

 少女が飛んでくる。私は背中の翼から羽を抜いて構えた。

「ブニャァァァ!!!」

 しゃがれた猫の声が、少女の笑い声を遮る。羽を放つ前に、ふわりと少女は夜の闇に消えた。

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