水無月 ルキア Ⅸ

 女は、朦朧と目を開けた。

 顔を覗き込んでやると虚ろな瞳に徐々に光が戻っていく。


「――――嫌ああああ! やめて、助けて!」


 女は逃れようと暴れた。両手足首を縄で縛っておいて良かった。


「ジタバタ動くな」


 女は、押さえ付けられているかのように身じろぎ一つしなくなった。


「この別荘は、私の所有物です。なのに、よくも図々しく詮索出来ますね?」

「いやっ、いやあっ!」

「危うく、私の唯一の生きがいを……趣味を……続けることが出来なくなる所でした」

「やだっ、やめてぇ!」

「でも……どうでしたか? 彼女達、綺麗だったでしょう?」

「誰か、助けてええええええ!!」


 恐怖の為か、正常な思考が出来ないようだった。


「うるさい、喚くな」


 またも言霊のお陰で口と舌が硬直し、女は沈黙した。


「……まるで死体のようですね。動かないで口もきかないと……」


 傍にしゃがみ込み、女の頬に触れる。血が通っているせいで、温かい。


「死体なんだから冷たくないと……きっと温かい血が通っているから、ですね。

 血抜きをしましょうか」


 女は涙を流しながら、首を横に振る。私は、無視して支度に取りかかる。


「春海さん。私……今、気付いた事があります。

 私は……ずっと前から春海さんの事が嫌いでした……」


 ナイフの中から、切れ味のよさそうな物を選ぶ。


「チャラチャラしていて、まるで盛りのついたメス猫のような女。

 美しく上品で優しかった母とは、月とすっぽんの差がある……」


 紡ぎ出される言葉は紛れもない本音だった――――。


「いつもなら、傷は極力残さないのですけれど。

 別にコレクションにはしないので、別にいいかな……って」


 そして、選んだ刃渡り十五センチのサバイバルナイフを彼女の目前にちらつかせて見ると面白いくらいに、表情が恐怖に侵された。


「頸動脈を切って自殺するって、よく聞きますけれど死ぬのに時間が掛るそうですよ。

 意識は簡単に途切れるみたいですけど。

 でも、それだと面白くないので……」


 刃をゆっくり移動させる。女は怯えながらもナイフを目で追う。


「今から私が切る所は、太腿にある大腿動脈という血管……ココを切ります」


 足の付け根の部分に刃をあてがう。


「痛いでしょうけれど……すぐにあの世にいけますから」


 泣き声すら絞り出せない彼女は震えていた。

 私は努めて優しい笑みを浮かべた。


「……怖いですか? ……大丈夫ですよ。私が、ちゃんと見ていますから……。

 私が、ちゃんと春海さんの断末魔は見届けますから……。

 ですから春海さんは……好きなだけ走馬灯を見ていて下さい……」


 彼女の表情が絶望に染まるのと、ナイフが脚を切り裂いたのは同時だった。

 激痛か、はたまた死の恐怖か。見開かれた瞳から涙を流しながら、小刻みに身体を震わせる義理の母。

 最初は面白く眺めていたが、だんだんわざとらしく感じてきた。

 今まで殺す時に感じた事のない〝何か〟が、身体を支配した。

 醜い……目障りだ……今すぐ死んでしまえ……!


「これが〝憎悪〟なんだよ☆」


 いつの間にか最愛の呪神が、横にいた。

 妖艶な笑みを浮かべ上目遣いで見上げてくる呪華が……世界一美しく思えた。

 そしてより一層、目の前で蠢いている者が鬱陶しくなった。

 声なき絶叫を上げ続ける彼女に私は言い放った。


「人間は、全血液の三分の一を失うと死に至るそうです。

 私が今切ったのは動脈ですから……そうですね…………あと一分くらいで死ぬでしょう」


 その言霊のお陰だろうか……あっという間に女は目を閉じた。

 まるで眠っているかのように安らかな死に顔に、私は苛立った。


「これで六人目だね、ルキアぁ?」

「……彼女達と一緒に数えては可哀想ですよ、こんなモノ」


 それから私は、別荘から車で一時間で行ける山中に死体を埋めてきた。

 そして、地下室でお気に入りのワインを呪華と飲みながら、コレクションである彼女達を眺めた。

 その晩は、今までで一番最高に気分の良い夜だった。



 こうして水無月 春海は、行方不明となった。

 父さんは即座に捜索願を出した。すると程なく警察が話を聞きに来た。


「春海さんを最後に見たのは別荘で……はい、彼女がケーキを持って遊びに来たのです。そして、二人でしばらく談笑して……二時間くらい……彼女は本宅に帰るといったので、送ると言ったのですが、大丈夫だって言って……」


 本当の事を交えながら話すと、嘘っぽくなくなるものだ。

 家政婦の太田さんもあの女から「ルキア君の別荘に行く」という伝言を聞いていたので、私の話の信憑性が高まった。あと、言霊も大いに役に立った。


 「水無月 春海の死体は絶対に見つからない」「絶対に警察に疑われない」

 この二言を言った、今……私は永久の平穏を手に入れたのだった。



※※※※※




 義理の母を殺してから二日が経った。


 あの女がいなくなっても、私の日常はさほど変わらなかった。

 ただ父は物凄く落ち込み、自室に閉じこもってしまった。

 ……私と太田さんが励まし続けて、少しずつ表情が戻っていったものの、食事もろくに摂っていないので心配だ。

 父の為にも、私が春海を殺した事は絶対に知られてはいけないのだ。



 大学からの帰り……見覚えある姿を見かけたので近寄った。


しゅん!」


 リンッ、というベルの音と私の声に従弟は思いのほか驚いたらしい。


「……ルキアさん!」


 自転車を止める。背後にいた呪華が、ブレーキの反動でしがみ付いてきた。


「お久しぶりです、隼。元気でしたか?」

「お陰さまで」


 秀才の少年はガールフレンドと一緒だった。見覚えある少女だった。


「……もしかして、美優みゆですか? あの、神流木かんなぎ 隼の従兄の水無月です」

「覚えています、お久しぶりです~!」

「すっかり大人びたので気付くのに時間が掛りました。

 でも……昔と変わらず、まるで天使のようですね」

「あははっ! 嬉しいな~」


 無邪気な笑顔……驚くほど無垢で純粋な乙女。

 別荘の地下室の棺の中にある少女の死体と重なって見え、戸惑った。

 彼女も命を失えば、冷たい亡骸となる……考えただけで快楽が走る……。


「あぁ~!」


 突然後ろで呪華が声を上げたので、危うく二人の前で話しかける所だった。

 彼女の視線を追った。昼と夜の曖昧な空を憂い顔で見上げている、影。


「コンゲツだぁ! 元気~?」


 彼はこちらに目を向けた私は驚いた。呪神、怨雨えんうと瓜二つだったのだ。

 呪華は私と美少年を見比べ、笑いながら説明した。


「呪神、恨月こんげつなんだよぉ。この前会った怨雨の双子のお兄さんなんだよぉ?」

「ルキアさん、大学は?」


 呪華の声と隼の声が重なった。どちらに答えていいか一瞬迷った。


「今日は午前の講義だけです。隼達は学校の帰りですか?」

「……怨雨が怒り狂っていたぞ」


 今度は恨月の声と私の声が重なった。


「はい」


 呪神の姿も声も聞こえない隼は、私の質問に普通に答えた。


「え~? 知らないよぉ?」


 一方、私には隼の声の他に二人の呪神の声が聞こえる。

 ……ひとまず深呼吸してから、改めて集中して話を聞く様に努めた。


呪神達がしばし沈黙したので、これ幸いと一気に言葉を紡いだ。


「楽しい学校生活を送っていますか?

 人生は楽しく生きてこそ、意味があるのですから。

 勉強に専念する事もいいですが、たまには息抜きしなければ」


 私の言葉が終わると同時に恨月が吐き捨てるように言った。


「己の快楽の為に、他者の命を踏みつぶす殺人鬼が、何を偉そうに」

「踏みつぶしてなんか無いんだよぉ? ルキアは、とっても愛しているから、自分だけの物にしたいから、殺して傍に置いているだけなんだよぉ? ね~?」


 私の顔を覗きこむ呪華を、恨月は……口元に嘲笑を浮かべ、冷酷に言い放った。


「大した力もない異端の事を……長が、いつまで贔屓ひいきするか見物だな」


 呪華の表情が無くなった。感情のままに動く彼女から感情が、消えた。


「…………それは、ちょっと言い過ぎじゃないですか?」


 次の瞬間、呪神は顔面ぎりぎりの所まで顔を近づけてきた。


「過ぎた力を持つ人間は、いずれ悲劇的な死を迎える。

 お前のような連続殺人鬼には……一体、どんな末路が与えられるのやら」


 青黒色の瞳の奥で、確かに何かがうごめいているのが見えた。

 眼力から解放された時、その場の空気は居た堪れない物となっていた。


「……では、私は用があるので……また、会いましょう!」


 ペダルを全力で漕ぐ。一刻も早くあの呪神から、恨月から逃げたかった。

 何かに恐怖を感じたのは、これが初めてだった。

 呪華は私の背中にしがみ付いてきた。お腹に爪が刺さる。


「……呪華には、呪華のやり方があるんだよ。誰にも邪魔させない……恨月にも怨雨にもそして、死神にも……例え天帝にだって……絶対に、絶対に――――」


 まるで呪詛を唱えるかのように、彼女は耳元で呟き続けていた。

 私はただ呪華の声を心地よく聞きながら、彼女の指を弄っていた。


 その時、目の前にいきなり人影が現れたのでブレーキを力いっぱい握りしめた。


 鋭い音を立てて停まる自転車。周囲の歩行者が何事かと振り返る。

 彼らでは見る事が出来ない存在が、私の目の前にいた。

 言霊の力を持っていない者は、けして見る事が出来ない神様……。


「――――怨雨?」


 怨雨は、私の背後を見ていた。

 気になって後ろを振り返ると従弟とその幼馴染が並んで歩いていた。


「呪華?」


 そして、さっきまでいた私の呪神がいなくなっていた。


「呪華!?」


 慌てて周囲を見渡すと怨雨もいなくなっていた。

 私は、呆然とその場に立ち尽くしてた。

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