水無月 ルキア Ⅹ

 ジリイイイイイイイイイイイイイイィッ!!


 目覚まし時計が、凄まじい音を立てている。

 頭の中に反響して、いつも以上に耳障りだった。


 ジリイイイイイイッ、ジリィン。


 乱暴に叩いて止める。払いのけていた毛布を、頭から被った。

 殺したあの女、春海も言っていたが、音が大きすぎるような気がする。


 それから十分後……コンコン、とドアを叩く音がした。


「ルキアさん、大学へ行くお時間ですが……?」

「――――すみません、太田さん。具合が悪いので、今日は休みます……」


 階下へ降りる音……私はゆっくりと瞼を閉じた。



 あぁ、呪華……どこへ行ってしまったのだろう?

 あれから探しまわったが見つける事が出来なかった。

 それから家に帰って、冷蔵庫にあったビールを片っ端から飲み、何本目か忘れたが途中で酔いつぶれてそのまま眠ってしまったようだ。

 あれだけ乱暴な飲み方をしたのは初めてだ。

 頭痛が酷い。これが二日酔いというものか。何とも最悪な気分だ。



 私は階下に降りて、太田さんから鎮痛剤を貰って足早に階段を上がった。

 薬を飲み干して再び横になった私は、初めてお酒を飲んだ時の事を思い出した。


 父が成人のお祝いにと、行きつけのバーに誘ってくれた時だ。

 父は、母……水無月 絵美えみの思い出を語ってくれた。

 二人の出会いは大学だった。

 食堂でよそ見をしていた芳伸が、ぶつかったのが絵美だった。可憐な絵美に芳伸は一目惚れをし、やりすぎとも思えるほどデートの誘いやプレゼントをしたそうだ。

 (周囲の友人や絵美自身に諭されて、すぐに改めたそうだが)

 大人しい絵美は、いつも穏やかに微笑みながら芳伸についてきた。

 二年の交際期間を経て、芳伸は絵美に求婚した。

 芳伸の両親は常識的で礼儀正しい絵美をすぐに気に入り、二度返事で頷いた。

 ……一方、絵美の両親は厳格な人達で父は、結婚を許して貰うのが一番の難関だったととても熱く語っていた。それ程までに父は母と結婚したかったのだ。


 夫婦となった二人は、結婚後の一ヵ月間……病弱な絵美を考えて、ハネムーンはこの別荘で過ごしたらしい。

 あの別荘で二人は深く愛し合って……私の命が、誕生した。



 父も……母も……まさか、その思い出の場所が、忌まわしい殺人現場や死体置き場になるとは、夢にも想像にも絶対に思わないだろう。


 そして、二人の間に出来た私も――――まさか、人殺しになるなんて……。



※※※※※



 不意に目が覚めた。既に夕日が差し込む、静寂に包まれた自室。

 一体、いつの間に眠っていたのか? まだ少々頭が痛い。


「…………呪華?」


 愛しい彼女の名を呼ぶ。返事がない。


「……呪華……呪華!?」

「はいはーい☆」


 窓の外から金色の瞳を輝かせながら、ひょっこりと顔を覗かせる呪神。

 この部屋は三階なのだが、彼女は人外なので気にしない事にする。


「呼んだルキアぁ? あれ? 大学はぁ?」

「休みました。具合が悪いので」

「ふぅ~ん? 珍しいねぇ」


 部屋の中に入って来た呪華は、呆けている私の隣に腰掛けて来た。


「ルキア、急にいなくなってゴメンね?」

「呪華……」


 ようやく彼女が戻ってきたのだと実感した。


「いきなり消えないで下さい。

 すごく心配したし……寂しかったんですから……!」

「ホントに~? キャハッ!」


 呪華の背徳的で妖艶な微笑みに身体の奥が熱くなった。


 彼女は突然現れた。だからまた突然、目の前から消えるかもしれない。

 警察も殺人も死も、怖くはないが……呪華が消えてしまうのは……嫌だ。

 気付けば、呪華の華奢な身体を力一杯抱きしめていた。

 力を入れても、いくら入れても……彼女は儚くて、頼り無くて、今にも消えてしまいそうだ。もう嫌だ。放したくない。消えて欲しくない。ずっと傍にいて欲しい。


「呪華」

「うん? なぁに?」

「……呪華」

「どうしたの~?」


 全てを真にする力を私は手に入れた……。

 その言霊で〝永遠〟を得るのは至極、簡単だ。


 でも、私が求めているのは、彼女ではなく、彼女の――――。


「呪華」

「どうしたのってば」


 苦笑しながら見上げてくる彼女の金色の瞳に満ち溢れる魅力と魔性の光。

 命ある限り、輝き続けるのだろう……。

 命ある限り、彼女は――――。


「別荘に、行きませんか?」



※※※※※



 別荘に到着すると、わき目も振らず地下室へ向かう。


「あれあれぇ? 学校休んだにしては元気だぞ~? ……キャハハ!」


 呪華がからかう様に笑うが、それには答えなかった。


 地下室に明りを灯せば、映し出される愛すべきコレクション達。

 棺の中の五つの死体……これから、六つに増えるのだ――――。


「またワイン飲む?」


 ワインは好きだ。週に一回は必ず此処に来て飲むのが、僕の生きがいだ。

 呪華はおつまみのチーズが、とにかく大好物で、せっかく用意しても全て食べられてしまう。その度に……彼女は小悪魔的な顔で謝るので、いつも許してしまう。

 おねだりする猫のようにすり寄ってくる呪華を無視して、棺のすぐ前に立った。


 並ぶ五人は、どれも僕が愛した女性だった。

 皆、とても大切なコレクションだ……そして――――。


「呪華」

「なぁに?」


 私は最愛の者に振り返った。

 深紅の髪、金色の瞳、雪のように白い肌……人外の美少女。


「呪華……言霊は、全てを真にするのですよね?」

「うん! そぉだよ~? ……もしかして、使ってくれるのぉ~!?」


 無邪気な彼女に釣られて笑みを浮かべた私は、当然のように呪華の首に手をまわした。彼女は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに魅力的な笑顔になった。


 やっぱり、受け入れてくれると思った……。


 私は深呼吸をしてから、言霊を使った。


「呪華、死んで下さい」


 ぐぐっとほっそりとした首を絞め上げたが、彼女は表情を変えなかった。

 いつまでも見ていたくなるような、素敵な笑顔のままだった。

 命を奪う時は、いつも頭の中が真っ白になって、何も見えなくなって、聞こえなくなって……それなのに彼女の笑顔が……心なしか笑い声まで聞こえた気がした。

 力が緩みそうになるのを必死で堪えた。


 気のせいだ。これだけ渾身の力を込めて首を絞めているのだから、呻き声はされど笑い声なんて出せるわけがない……だからこれは、これは、幻聴だ……!


「――――ルキア……」


 綺麗な声が聞こえ、思わず手を放してしまった。

 彼女は全身から力が抜けたのか、そのまま崩れ落ちる。

 コンクリートの床に横たわっている、愛しき呪神……死んだのか?

 彼女は、触れてはいけない神聖な物ように思えた。(当たり前だ彼女は神様なのだから) 私は屈んで、恐る恐る彼女に触れた。触れてしまった。


 次の瞬間、脳髄は耐えがたい刺激に、壊れそうなほど痺れた。


 触った右手の震えを必死に止める。ガタガタ興奮で身体が震える。

 この感情は何だ? この高楊とも恐怖ともつかない……狂気?

 あぁぁ、表現できない! この胸を掻き乱す感情は? 疼く。痛い! 苦しい!

心臓を抉られているようだ! あの表情、最後の顔は、あの顔は、眠るように死んでいった彼女の顔は、あんなに安らかな……あんなに美しい………。

 とても美しい。綺麗だ。


 気付けば獣のように咆哮していた。それでも全身の震えは止まらなかった。


 今、完全に、私は彼女を手に入れた――――!


 気が遠くなるほどの快楽に包まれながら、私は何故か涙を流していた。

 欲張りだがもっと、もっと、もっと欲しい。

 このおかしい私に、ほんの僅か残っている人としての感情を掻き消すほどの強烈で刺激的で背徳な昏い快楽を……もっと、もっと、もっと、もっと……!



 超常的な力で成し遂げる〝完全犯罪〟 私は、これからもきっと続けるだろう。

 私が死ぬまで一体、何人の女がこうして殺されるのだろう?


 後悔なんてしない。罪悪感なんて持たない。必要ない。

 何故なら殺人は私にとって、呼吸したり、食事をしたり、眠ったりするのと同じ事なのだから。


 ねえ、呪華? 貴女なら共感してくれますよね?

 私と同じく邪悪な快楽に犯され、虜になった貴女なら、きっと――――。



第三章―快楽― 完

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