水無月 ルキア Ⅶ

 ――――それから数日後の水曜日。 私は、繁華街をうろついていた。


 この時間帯は客引きが鬱陶しいので、言霊の力を使った。発した言葉通りに世界が動くことは面白く、小気味好いが……私は言霊を殆ど使わなかった。

 新しい出会いなど望み通りに演出することは容易い。

 でも全てが予定通りに進み、結末がわかっている物語なんて刺激が足りない。

 私が望んでいるのは、禁忌を犯すからこそ手に入れることが出来る、異常ともいえる快楽。


 私は、いつも側にいてくれる呪華を見た。

 私が快楽を求めているように、呪華も何かを得たくて私に神の力を授けたはずだ。

 魄は、呪神は憎悪を糧にすると言っていたが……もし憎悪が目的なら……私を選ぶはずがない。私は憎悪をもった事など、ない。これは本当だ。


 彼女達を殺した時も、憎悪などは全く起きなかった。

 敢えていうなら、彼女達に持っているのは〝愛情〟だ。

 その事に関して、呪華は咎める事は今まで一度もした事が無い。

 一緒になって楽しんでいた。 

 ……呪華は、どうして私を選んだのだろう? 彼女の望むものとは?

 呪華のことを考えている時間は、嬉しさと苦しさが混同して、胸の中をどうしようもなく掻き乱した。



 繁華街の街路樹下のベンチ……そこが今回の待ち合わせ場所だった。

 座っている女子高校生に恐る恐る声を掛ける。


「…………〝美月みづき〟さん?」

「あっ、初めまして」


 思わずクラリとしてしまいそうな、素敵な笑みを浮かべる美月。

 清楚な顔立ちの彼女に英風な濃紺の制服は、とても良く似合っていた。

 才色兼備で優等生に見える少女……外見は聖女でも中身は娼婦……か。

 心の中を悟られないように、作り笑みを浮かべる。


「あの、最初に条件をはっきり示して下さいね? 

 そして最初に提示した条件は、変えないで下さい」


 丁寧で高飛車な口調が、可愛らしく思えて本当の笑みが零れる。

 疑っている彼女の為に条件を再確認する。


「部屋を貸す事に、とくに制限はありません。

 お金も要りませんし、その……行為もしなくていいです。

 〝美月〟の命が尽きるまで、好きに使って頂いて結構です」


 年下の子を見ると、無意識に妹か弟のように思ってしまうのだが、どんどん年上の人に話すような口調になっていく。

 彼女を無事に別荘まで連れていく事が出来るよう、私は楽しみながら言葉の応酬を交わした。



※※※※※



 〝美月〟は上流階級の娘だけあって、私の別荘を見てもさほど驚かなかった。

 …………望んだリアクションがないと、つまらないものだ。


「今日からこの部屋が、〝美月〟の部屋になりますから」


 二ヶ月前に〝時雨〟が使っていた部屋。


「ルキアさんの部屋は?」

「隣です」

「…………ふぅん」

「……部屋には鍵もついていますから」

「鍵、持っているでしょう?」


 私は〝美月〟に部屋の鍵を渡した。


「マスターキーは?」

「大丈夫です。条件は守りますから」


 どこまでも疑り深い彼女に、苦笑する。

 〝美月〟は、くるりと表情を笑顔に変えて、言った。


「それでは、おやすみなさい」

「おやすみなさい〝美月〟」


 大きな音を立てて閉まるドア。

 即座に鍵が掛かる音がして、また苦笑してしまった。


「この前とは丸っきり違う子だねぇ?」


 呪華が腕にしがみつき、甘えたように言う。


「…………殺す時、体力使いそうですね」

「もう殺す事に決めたの!?」

「いけませんか?」

「ううん! キャハハハ!」


 嬉しそうに笑い声を立てる呪華。

 彼女の澄んだこの声は、自分にしか聞こえていないのだ。それを改めて認知する。

 途端、呪華を独占しているような気になって、快楽が走った。


 予期した通り〝美月〟の命を奪うのは骨が折れた。

 暴れ馬のように抵抗したりして、本当に大変だった。

 その頑張りのお陰か、妙な達成感に包まれることが出来た。

 

 乱れた息を整えてから〝美月〟に触れた。

 血も凍るような冷たさに身体が震えた。

 殺人をやめるつもりは毛頭ない。私の命が続く限り、永遠に続ける。

 私には続けることが出来る。そう、言霊の力で――――。


「あっ、そうだ。〝美月〟に本名か仮名か訊き忘れていました。

 どちらだったか、わかりますか? ……呪華?」


 ……返事が待って返ってこない事に不安を抱き、辺りを見渡す。


 呪華は、いなくなっていた。


 呪華は、私が死体を楽しめるように、気を使ってくれたのかもしれない。

 しばらく……限りなく優しく取り扱った。

 充分楽しんだ後〝美月〟を地下室の棺に移そうと手を伸ばした、その時。


 背中に視線が刺さった気がした。


 全身に鳥肌を立たせながら振り返ると……そこに彼がいた。

 彼は、私が振り返り視線を合わせると瞳を細めた。

 青黒色の髪と瞳……色白の肌……その端整な顔つきで一目でわかった。


「あなたも呪神ですか?」

「はい。怨雨えんうと申します」

「何の用ですか?」

「君には憎悪がない。そんな人間に神の力である言霊を渡しておけません」


 脳髄が中心から痺れていく……視界が徐々に悪くなっていく……。


「言霊を、返して頂きます」


 それは死刑宣告にも等しい言葉だった。



「ねえルキアぁ! 何か変なの来てない~!?」


 慌てたように呪華が戻って来た。そして、彼の姿を見て呻く。


「あ、あぅううっ……怨雨。何でいるのぉ?」

「こんばんは。貴様のような異端は、天界の隅で幽閉されているとばかり……」

「もおっ! 呪華って呼んでくれなきゃ、いや」

「貴様に拒否権はありません」

「……ねぇ、今回はぁ見逃して?

 もぉさ、次からはしないからぁ~……今回だけ! ね?」

「黙れ。貴様の申し開きは聞き飽きた――――」


 美しき男の呪神は、態度を一変させた。背中の産毛が逆立つほどに。

 呪華は、しばし俯いていたが、不遜ふそんに笑いながら顔を上げた。


「…………キャハッ!

 怨雨が何をそんなに怒っているのか、呪華にはわからないなぁ?」


 きっと睨みつける怨雨の眼光は、凶器のように鋭かった。


「三大禍神まがつかみの中で最も卑劣で外道な神だと云われて蔑まれている、呪神。

 存在が許されているのは、天帝様の慈悲のお陰だというのに……貴様は」


 呪華は、微笑みを浮かべながら小首を傾げて惚ける。


「人間の生と死を監視する死神達が言っているらしい……。

 ここ最近、天寿を全うせず、不可解に死んでいる者が多い……と」


 一気に表情を険しくさせる怨雨。


「貴様がむやみやたらと人間達の憎悪を膨張させ、殺し合いをさせているから!

 貴様のせいで……呪神の存在自体が危うくなっているんだ……!」


 激情に駆られたのか、口調が荒々しくなる。

 呪華は笑みを浮かべたまま、黙っていた。

 呪華の態度が気に食わないのか、怨雨はますます表情を険しくさせた。


「これは長からの命だ。従わなければ、今度こそ地獄へ幽閉されるからな……」

「……なぁに?」

「彼の言霊を正常に戻し、呪神と言霊についての記憶を全て消去しろ」


「嫌だ!!」


 制御する間もなく、私は大声を上げていた。


「呪華の事を忘れてしまうなんて……そんな事になったら、私は……!」


 動揺する私を見て、怨雨は白けた表情になった。


「過剰なまでに心を奪うのは、やめろと……前にも言ったでしょう?」

「キャハッ! 気付いたら、みぃんな呪華の事が大好きになっちゃうの☆」

「こんな性格破綻の何処に惹かれるのか……ワタシには全く理解出来ませんね」

「ひっどーい! 怨雨きらぁい!」


 親睦の深さが窺えるやり取りに嫉妬が湧き上がる。

 私は二人の呪神の間に割り込んで、言った。


「私は、ただ呪華が傍に居てくれるだけでいい。

 例え、殺されたとしても……それは愛情表現の一つ。

 私が、彼女達を殺している様に、呪華もきっと……!」

「――――愚かな事を」


 長い沈黙の末、怨雨はそう吐き捨てて憎々しげに呪華を睨みつける。


「いずれ冥界に……地獄へ突き落とします。必ず……!」

「出来たらねぇ? キャハハハハ!」


 呪華の嘲笑が響く。怨雨は、屈辱に顔を歪ませながら闇に消えた――――。

 しばらく呆けたように突っ立っていたが我に返り、最愛の者に駆け寄った。


「……呪華…………良かった」

「心配性なんだよ、ルキアはぁ~……きゃっ」


 深紅の髪の美少女は振り返り、満面の笑みを浮かべた。

 安堵も手伝って、気付いたら呪華を引き寄せ抱きしめていた。


「ルキア、どうしたのぉ?」


 気のせいか、呪華の声が甘えたように聞こえた。


「……本当に、良かった。呪華にいなくなってしまったら、私は――――」


 本当に〝心配〟しているのか? 脳内に声が響く。

 お前はただ〝自分の手で呪華を殺せなくなるのが嫌〟なだけじゃないか?


 ………………そうかもしれない。


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