水無月 ルキア Ⅵ

 ――――四人目を殺してから、約二ヶ月過ぎた。

 私の生活はいつも通り、満ち足りていた。


 それに加えて呪華が、言霊という力を与えてくれた。

 発した言葉が全て本当になるという……。

 呪華の事を信じてはいるが、二十年という年月でつちかわれた常識がざわついて落ち着かなかったので、私は仕方なく効力を確かめる為に色々と言ってみた。


 天気を操ってみたり、嫌いな教授の講義を休講にしたり、何年も会っていなかった知人と会ったり……偶然という言葉で片付けられないほど繰り返し、言霊を使ってみた。全て言葉通りの出来事が起きた。ようやく効力を信じることが出来た私はすぐに「私は、警察に疑われない。逮捕もされない」と言った。

 これで、私の生活は脅かされることはないはずだ。

 

 現在に至るまで、警察の気配は微塵も感じていない。



※※※※※



 とある日、私は大学の課題の為に市立図書館へ向かった。

 その帰り道……思わぬ出会いがあった。


「財布、落としましたよ」

「え? あ……どうも、ありがとうございます」


 振り返って財布を受け取りながら、私は彼の容姿を見た。

 凛とした顔立ちの青年だったが、悲しみの光が瞳から溢れていた。

 大学の友人達にはない憂いが、気になった。


「あっ、あの!」

「……はい?」


 立ち去ろうとした見ず知らずの人を呼び止めた事に、私自身が驚いていた。

 何をしているんだろう。どうしよう、次の言葉が見つからない。

 今まで生きてきた中で、一番困った状況になっていた。

 すると目の前の人は、静かに微笑んで言った。


「何だか、初めてあった気がしませんね?」

「……いきなり呼び止めてしまい……その、申し訳ありませんでした」

「いいえ。久しぶりの外出で貴重な出会いが出来て、嬉しいと思っています」


 彼の名前は、乃梨ないり はく。 私と同い年だった。



※※※※※



 魄とは会話がスムーズに弾み、久しぶりに楽しい気分を味わえた。

 彼とはまるで……昔からの旧友と再会したかのような、懐かしさを覚えた。


「魄と、もう少し早く会っていたら……」


 同い年ということも手伝って、いつしかファーストネームで呼び合っていた。


「会っていたら?」

「きっと、退屈しないで済んでいたんだろうな……そう思ったのです」


 でももう遅い。いくら気の合う友人が出来たからって……。

 死体を抱きしめる興奮と快楽には、釣り合わない。


「――――偽善者」

「えっ……?」


 見ると魄が表情を硬くしていた。

 まさか、間違って声に出していたのだろうか!?


「僕は……偽善者なんだ……」


 魄はそう呟くと、頭を抱えた。


「何が、ですか?」

「ごめん、ルキア。いいんだ、忘れて……」

「悩みがあるなら、聞きますよ? もう魄と私は友逹なんですから」


 魄は何度が言葉を飲み込んだ後、私の目を見て言った。


「言霊って、知ってる?」


 心臓を鷲掴みにされた。


「…………え?」

「全てを真にする力……発した言葉を真実にする力……」


 鳥肌が立ち、身体が震えだした。


「僕は、その力で罪を犯した。…………くそっ、あいつらさえ来なければ……!


 あいつらが来なければ、憎悪に気付く事もなかったのに!」

 大声で叫んでから、魄はハッとした。


「いけない。これ以上、憎悪を大きくしては……あいつらが!」

「あいつらって……もしかして、呪神の事ですか?」


 思わず口に出してしまっていた。

 それに気づいたのは、魄が愕然とした表情で私を見た瞬間だった。


「――――まさか、ルキア?」

「わ、私は……」

「駄目だ! 早く言霊を捨てろ!!」


 店の中にも関わらず、魄は絶叫した。


「呪神は、人間の味方になんかならない。絶対に!

 あいつらは、憎悪を糧にしたいだけなんだ!

 ルキアは呪神に利用されているだけなんだよ!」

「そんな事、ないですよ」


 努めて声を抑える。


「彼女は……呪華は、私にとって唯一の理解者なんです」

「そう思わせるのが、あいつらの狙いなんだ!」

「いいえ。私と呪華は似ている……だから解り合えるんです」


 魄は他人の視線も気にせず、必死になって私を説得した。

 私はそれを笑顔で聞き流していた。真剣な彼を見て、私が思った事は一つ。


 彼は、どんな罪を犯したのだろう?


「――――お願いだ! ルキア!」

「嫌です。私は彼女を手放しません」

「……なら、仕方がない。僕も、言霊の力を持っている…………それで……」

「私を殺すのですか?」

「そっ……そんな愚かな事はしない! もう、しないんだ!」

「人を殺した事が、あるんですね?」


 魄は唇を噛みしめた。


「……どうせ、僕の地獄行きは決まっている。だったら」

「魄は言霊の使い方が、わかっていないようですね?」


 私が笑うと、魄は顔をあげた。


「どういう意味?」

「自分に害のある事は、全て利にする。不幸は幸福に、苦痛は快楽に……。

 罪悪感など持つ必要もない。何故なら、神に選ばれた人間なのですから」


 魄は言葉を失ったようだった。


「例え、魄が私を殺しても、それか私の言霊を消しても、無意味です。

 心の闇を抱えていない人間なんて、いるわけがないのですから。

 誰かを憎んだり、嫉妬したり、殺したいと思ったり……。

 心の闇は増幅・増殖しつづけ、世の中は少しずつ闇に浸蝕されていく……。

 黒い感情に支配されている人は、世の中に沢山います。

 そういう者の元へ、呪神がやってきて言霊を授けるでしょう。

 そして、繰り返される悲劇……永遠に続く終わりのない呪い……それが」

「もういい!!」


 魄は立ち上がった。


「だからっ……だから、外に出るのは嫌なんだ!

 下等な獣が蔓延しているこんな世の中……もう、うんざりだ!!」

「獣?」

「他人を思いやる事も、親切にすることもしない! 自分だけ良ければいい!

 自分が幸福になる為なら他人が不幸になっても構わない!

 そんなことを普通に考える下等動物ばっかりなんだよ、この世界は!!」

「まあ、それが人間ですから仕方がないですよ。それに」


 激昂する魄の耳元に、私は囁いた。


「――――魄も、その獣の内の一人だという事を、お忘れなく」


 硬直したままの魄を一瞥し、自分のコーヒー代を置いてから、席を立った。

 

 乃梨 魄――――私とは、真逆の人間だった。

 正義感に忠実で道徳を重んじる彼と、死体愛好家で快楽殺人鬼の私。

 真逆だから、惹かれたのだろう。私も、彼も。

 魄は『良い事は良い。悪い事は悪い』が、ちゃんと解っている人だ。

 そんな彼が殺した相手は、きっとロクでもない奴らばっかりだったのだろう。

 何となく、そんな気がする。


 夕日で赤く染まった帰り道を歩きながら、そんな事を考えていた。

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