水無月 ルキア Ⅴ


 灯りを消すと……部屋の中に蒼白い月光が降り注ぎ、別世界となった。

 ソファに身を委ね、久しぶりの酔いを楽しむ。

 今、飲んでいるのは赤ワイン。自分の生まれた年で、当たり年のワイン。


「ルキア、酔ってるぅ?」

「はい。……これで四人目。私の堕ちる地獄は、また深くなった……」

「後悔してるぅ?」

「いえ、全く」

「キャハ! ルキアは、やっぱりいいね!」


 しばらく呪華は、クスクスと笑った。

 彼女が上機嫌なのは、私が四度目の殺人を犯したからではなくて……私が、この日の為にとって置いた燻製チーズを独り占めしたからだ。

 酒の肴は、目の前に並ぶ少女の亡骸だけになった。まあ、それもいいか。


「ねえねえ。〝時雨〟が四人目だとするならば、他の三人はいつ殺したのかな~?」


 スゥ……と脳の奥底が冷えた気がした。意識が覚醒していく。


「私の犯した罪は、全て知っているのではないのですか? 神様」

「呪華だってば! 呪華はぁ、ルキアの口から聞きたいのっ!」

「――――いいでしょう。お話します」


 私は深呼吸し、唇を舌で湿らせた後、話し始めた。


「母は、私を産んでから重い病にかかりました。

 だから私は……ベッドの中で横たわっている母しか知りません。

 それでも母は美しかった。まるで童話の中に出てくる白雪姫のように。

 ……母が死んだ日の事は、多分一生忘れられないでしょう。

 授業の途中で父が迎えに来て、病室へ直行。

 中には入ると…………心肺停止の甲高い音が耳をつんざいて。

 ベッドに駆け寄ると、母は……息をしていなかった…………」


 白い病室の白いベッドの中で横たわっている母。


「母は、まるで眠っているかのように安らかで……呼びかければ起きるのではないかというくらい……でも、二度と目を覚まさない。それが、とても不思議で……。

 葬儀は、あっという間でした。棺に入れられた母は美しく化粧されていて……白装束がとても良く似合っていて……私は、感動したのを覚えています。

 親戚の者が口々に『綺麗』『眠っているかのよう』というのが、得意でした。

 最後のお別れの時、母が好きだった花を母の手に置いた時、手が触れました。

 その時の冷たさに、心が震えました。生の温もりが永久に失われた冷たい手。

 次に母の頬に触れました。次の瞬間、身体中に駆け巡った衝撃。

 気付けば涙が溢れていました。母の死を実感したからです。

 それは悲しみとか恐怖などではありませんでした。紛れもない、興奮。

 父親に引き剥がされてからは、母の冷たさを思い出しては、胸の高鳴りと指の震えを押さえるのに必死でした。

 火葬中は、もう触れられない事が悲しくて泣きました。

 ――――その日を境に……私は死体の虜になりました」


 思い出すだけで甦る。あの日の感動……衝撃……快楽。


「でも、死体はそこら辺に転がってはいません。

 私に出来た事は、せいぜいインターネットで死体の写真を見る事だけ。

 それで、何とか衝動を抑えていました。

 ――――歯車が狂ったのは、中学三年の夏休みの日。

 当時、私には〝葉月はづき あや〟という恋人がいました。

 綾は初恋の人でした。

 ある日、綾から一方的に別れを告げられました。

 納得のいかなかった私は、彼女をこの別荘に呼びよせました。

 私の顔を見るなり、彼女は泣き崩れました。


 『ごめんなさい! お母様に別れるように言われて……』


 勉強以外の邪念に囚われる事を危惧したのでしょう。

 互いに受験生でしたし、彼女は有名なお嬢様学校の推薦を狙っていました。


 『では、綾は私を嫌っているわけではないのですね?』

 『もちろんよ!』

 『……良かった』


 綾を抱きしめている内に……心の奥底に湧き上がる黒い感情。

 この温もりが消え去った彼女は、どんなのだろう?

 生気を失った顔は、どんな表情を浮かべるだろう?

 鼓動が早まり、抑制しきれない衝動が身体を包み込みました。

 気付けば、私は綾を押し倒し、細い首に両手を巻きつけていました。

 絞めつけた瞬間、後戻りの道が閉ざされたのを感じました。

 気付けば一切の抵抗がなくなり、私の下には綾の死体が――――。

 目を見開き、涙を流している……とっても美しい死体がありました」


 隣にいる呪華に目を移して……笑う。


「あの時の興奮は、忘れられません」


 呪華はニッコリと笑い返してから、部屋の中を舞った。

 深紅の髪がさらさらとなびき、金色の瞳が妖しく光る。

 蒼い月光が満ちる部屋に、美しい彼女はとてもマッチしていて。

 話をしばらく中断して見つめ続ける。


「お話の続き~」


 呪華に急かされるまで、私は見入っていました。


「あっ……はい。次に人を殺したのは、高校二年の時です。

 当時付き合っていた〝七夜ななよ 明奈あきな〟一つ年上の女性でした。

 ある日。たまたま、彼女の浮気現場を見てしまいまして……。

 話をつけるために、この別荘に呼びました。

 浮気の証拠を目の前に出すと、彼女はあっさりと認めました。


 『いつからですか?』

 『二ヶ月前から』

 『どうして知り合ったんですか?』

 『街でナンパされて』

 『この男は、明奈に彼氏がいる事』

 『知らない。言ってないから』


 開き直っていました。見事に。


 『最後に、一つだけいいですか? 明奈』

 『勝手にどうぞ』

 『私の事、愛していますか?』

 『……え?』

 『――――愛していますか?』


 私は明奈が何か言う前に、首を絞めていました。

 口を必死に動かしていましたが、息が漏れるだけで言葉は出なかったです。

 多分…………命乞いでもしていたんでしょうね」


 遅すぎる償い。無意味な謝罪。


「三人目は、十九歳の時。繁華街で声を掛けられたのです。

 ネットのハンドルネームを躊躇いなく名乗った彼女に最初は驚きましたが、すぐに私は、間違いを教えてあげました。


 『人違いですよ』

 『えっ!? あっ、す、すみません!』


 踵を返そうとする彼女の腕を掴んで、気付けばお茶に誘っていました。

 彼女……〝いざよい〟は、大人しくついてきました。


 『随分、大きいバックですね?』

 『家出中なんです……お金なくなっちゃって。

  誰かの家に泊めて貰おうって思ったんですけど~』


  ネットで知り合った自称大学生の男は、なかなか姿を現しませんでした。

 〝いざよい〟は、途方にくれたように溜息を吐きました。


 『宜しかったら、私の別荘を宿として貸しますよ?』


 〝いざよい〟は、狂喜乱舞してついてきました。

 彼女の殺した、あの日も……今夜みたいに綺麗な月が出ていました。

 〝いざよい〟は、呪華のように天真爛漫で、話しやすい子でした。

 ハンドルネームは、彼女が九月生まれだからというのが由来だと言っていました」


 思い出話が終わると、呪華がゆっくりと両手を叩いた。


「ルキアは、立派な殺人鬼なんだよぉ!」


 呪華は本当に私に対して、全く恐怖も嫌悪も抱いていないようだった。

 普通では有り得ないことなのだが、素直に嬉しい。

 ……神様が目の前に存在している現状こそ、最も普通では有り得ないことだが。


「死後も愛し合えるって……絶対的な純愛だよね☆」


 呪華が、なおさら嬉しい事を言ってくれる。


「月に、二、三度は彼女達に会いに行きます。

 地下室の彼女達は静かに待っていてくれる。いつまでも。それが嬉しくて」


 私にとって彼女達が全てであるように、彼女達にとっても私だけが全て。

 これ以上ない関係性だろう。

 今は、実家暮らしをしているが……大学を卒業したら、この別荘に一人暮らしをしようと思っている。そうすれば私は毎日、彼女達に会うことが出来る。


「ただ……絶対、とは言えませんけれどね」

「どぉして?」

「……私が警察に捕まったなら、彼女達は運びされてしまいますから。

 彼女達と離れ離れになることが、一番恐ろしいです。

 今までは気づかれずに過ごせましたけれど、これから先……どうなるか」


 最悪の未来を想像してしまったせいで、幸せな気持ちがしぼんでしまった。

 犯罪史を見れば一目瞭然。

 有名な連続殺人鬼達は、逮捕されて死刑が執行されている。

 死刑は怖くない。私が怖いのは……死体と共に過ごせなくなること。

 そして――――呪華。

 彼女も、私が捕まってしまったら興味を無くしてしまうだろう。


「鑑識やプロファイリングなど、日進月歩していますからね。

 正直、今まで警戒していませんでしたけれど……気を付けた方がいいのですよね。

それにしても昔、実在した連続殺人鬼で、捕まるまでに三十六人の女性を殺した犯罪者がいたことが神話のように現実味がないですね。

 でも彼の場合は、殺し場所を毎度変えていましたから……。

 やはり長く殺しをするには捕まらない工夫を、もっとした方が」

「……ルキアぁ」


 話を途中で遮った呪華は美しい金色の瞳を大きく見開き、惑わすように微笑んだ。


「何ですか?」

「乾杯、しよ?」


 私がグラスを持ちあげると、すぐに呪華はグラスを合わせて来た。

 残ったワインを一気に煽る。次の瞬間、酔いが完全に回った。

 そして空のグラスをテーブルに置き、瞼を閉じてソファーにもたれ掛かる。

 不意に、呪華は私の顔を近づけてくると……額に口づけをしてきた。


「全て本当になる力を、プレゼント☆ これで――――ルキアは捕まらないよ」


 呪華の声を心地よく聞きながら、私はまどろんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る