水無月 ルキア Ⅳ


 ――――二週間前の土曜日。


 私は〝彼女〟に会う為に、夜の街を歩いていた。

 有名なファーストフードに入って、二名で予約を取った。

 約束の時間の五分前に着いた。目印の為、黒い帽子を被ったまま席についた。

 時間ぴったりに、一人の少女が目の前に座った。

 私は読んでいた文庫本から顔を上げて――――――驚愕した。

 深紅の髪に金色の瞳、雪のように白い肌を持つ美少女が私を見て微笑んでいた。


「あ……貴女が…… 〝時雨しぐれ〟さんですか?」

「うぅん」


 彼女は笑顔で首を横に振った。


「呪華は、人間じゃないの~」

「…………ジュカ、さん。わたしは、水無月ルキアと言います」

「知ってるよぉ。キャハ!」


 初対面の……変な事を言っている人に、本名を名乗ったのに不安がなかった。

 ただ、彼女に見惚れていた。

 携帯が震えた。開くと待ち合わせている〝時雨〟からのメール。


《遅れてゴメ! 電車で人身事故ってマジありえないっ。

 これからタクシーでそっち行くから! もう少し待ってて!》


 携帯を閉じて、顔を上げると……彼女は消えていた。




 〝時雨〟と名乗った少女は、約束の時間から十五分遅れてやって来た。


「待たせて、ごめんなさぁい。それじゃ、ホテル行こ!」

「ホテル? 行きませんよ。わたしが所有している別荘に行きます」

「べ、別荘っ!?」


 私は携帯を取り出して、タクシー会社に電話をした。


 目的に着いた〝時雨〟は、信じられないという顔で見た。周りの住人からは豪邸と羨ましがられ、近所の小学生からは幽霊屋敷と呼ばれている、私の別荘。

 私が鍵を開けて招き入れるまで〝時雨〟はきょろきょろとしていた。


「キャー! 超ゴージャスゥゥゥ!!」


 中に入り、〝時雨〟はまた叫んだ。


「シャンデリアだぁ!?」

「飾りですよ、飾り」

「これ、螺旋らせん階段かいだんですよね!? わっ、高そうな壺!」

「花瓶ですよ、それ」

「スゴイ、スゴイ!」


 夜なのにハイテンションな彼女。


「近所迷惑になりますから……明日、家の中を案内しますよ」

「あっ……はい。スミマセン」


 階段を上がり、一つの部屋のドアを開ける。


「今日からこの部屋が、〝時雨〟の部屋になりますから」

「……いつまで?」


 私は彼女の目を見て言った。


「〝時雨〟が死ぬまで」


 何が可笑しかったのか、彼女は笑う。

 彼女が部屋に入ったのを見てから私は、隣の部屋に入った。


「やっほ! ルキア~!」


 部屋の中には、深紅の髪の美少女がいた。滅多な事では驚かない私も、こればかりは心臓が喉から飛び出るかと思うほど驚いた。


「ど、どこから、入ったのですか!?」


 一応、防犯システムを整備してあるので錠破りをすれば、警報が鳴り響く。

 私が気付かない内に入り込むことなど、有り得ないことだった。


「あなたは何者ですか?」

「呪華は、呪神なんだよぉ」

「……何と漢字を書くのですか?」

「〝呪〟うに、難しい〝華〟。〝呪〟うに〝神〟様」


 突拍子もない言葉だったが、私は素直に納得した。


「それで、呪いの神様が私に何のご用ですか?」

「呪華って呼んでくれなきゃ、いやだぁ!」

「わかりました、呪華」


 呪華はにっこり笑った。その笑顔に完全に心を奪われてしまった。

 鼓動が早くなって……胸が痛い。

 ふと呪華は、どんどん近付いてきた……近づいてくる。

 思わず後ずさった。それでも距離は縮まっていく。


「な、何ですか? あ、あの」

「あのねぇ、呪華ねぇ、ルキアの事気に入ったんだ☆」

「私の、どこに惹かれたのですか?」

「ん~とねぇ、まず格好良いでしょ?

 それに礼儀正しいし、お金持ちだし……それに――――」


 呪華は妖艶に微笑みながら、耳元で囁いた。


「快楽殺人鬼だしぃ? キャハハ!」


 私は、彼女の金色の瞳を覗き込んだ。

 秘密が知られてしまっているというのに、そんなに驚かなかった。


「神様だから……何でもお見通しという訳ですか?」 

「そうだよぉ? 呪華、ルキアみたいなメチャクチャな男の子、好きぃ!

 厳粛げんしゅくな死が持つ美しさを知った者は、必ずソレに魅せられる……。

 呪華も好きなんだよぉ?」


 馴れ馴れしく首に両腕を回し、しなをつくる美しき呪神。


「……気が合いますね」

「呪華も久し振りに、お気に入りの男の子を見つけられて、嬉しいっ」


 彼女の吐息が耳にかかった。心地よく官能をくすぐられる。

 これ以上、一緒にいたら……密着していたら……我慢出来ないかもしれない。


 私は呪華の華奢な両肩を掴んで、離した。


「何で離すのぉ? 呪華とのハグ、嫌?」

「い、いや。そうではなくて……」


 可憐な声を聞く度に、笑顔を見る度に、心の奥から熱い何かが湧き出る。

 今はまだ……殺したくない。

 唯一の理解者を手に掛けるのは、もう少しあとに取っておこう。



※※※※※



 〝時雨〟が、別荘に泊ってから四日目。

 大学の授業が急遽きゅうきょ、休講になり自由になった金曜日。

 私は別荘に行って、地下室の彼女達と過ごすことに決めた。

 それに、そろそろ新たなコレクションも増やしてもいい頃だとも思っていた。


 ――――バタンッ!!

 荒々しくドアが閉められた音で、隣の部屋にいた私は〝時雨〟の帰宅を知った。

 『女子会に行って来るね~』と、上機嫌に出て行ったのは数時間前。

 何があったのだろう?

 私は前もって用意していた物を持って、隣の部屋へ向かう。

 ドア越しに聞こえる、嗚咽。ドアノブに伸ばした手が止まった。

 この状態の時は関わらない方が良い。

 ドアに寄りかかって、嵐が過ぎるのを待つ。


 気付けば、静かになっていた……私は、深呼吸してから一気にドアを開けた。

 〝時雨〟はベッドに突っ伏して泣いていた。

 私はすぐ隣りにしゃがみ込み、彼女の背中をさすった。

 傷心の者は言葉に敏感だ。その場限りの言葉は、すぐに見抜かれてしまう。

 だから、私は黙って彼女の背中をさすり続けた。


「…………ありがと」


 小さく呟いて〝時雨〟は顔を上げた。メイクが涙で崩れて酷い顔だ。

 それに気付いたのか、あわてて毛布で顔を隠す彼女。

 私は、そばにあったティッシュを箱ごと渡した。


「……あ、毛布にファンデーション、着いちゃった……」

「気になさらないで下さい。今、この部屋は、貴女の物ですよ?」

「でも……」

「それでは、私のお願いをきいて頂けますか? それで許しますから」

「な、何?」


 少し不安げな顔をした少女に、私は努めて優しい声で言った。


「〝時雨〟という名前は本名ですか?

 もし仮の名前なのなら、何故名乗っているのか教えて頂けませんか?」


 何をお願いされるのか身構えていた〝時雨〟は、拍子抜けしたようだった。


「……あたしが好きな漫画のキャラの名前……なの」

「そうでしたか。ちなみにどんな漫画ですか? 私、漫画は読んだ事がなくて」

「ええっ!? 一冊も読んだ事、ないのぉ!?」

「はい」


 〝時雨〟は、一瞬ポカンとした後、鼻声混じりの笑い声を上げた。

 しばらく笑った後、彼女は落ち着いた表情で呟いた。


「ルキアは……本当に優しい人だね……」


 どう返事していいかわからなかったので、いつも通りに笑みを取り繕った。

 泣き止んだ彼女は、自然と饒舌じょうぜつに語り出した。


「二次会にカラオケでも行こうって歩いていたら……彼氏がいたの。女と。

 別に、そこまで束縛とかしないし。女友達とかいてもいいんだけど。

 そうじゃなくって、彼氏は嘘を吐いたの。

 今日は早めに飲み会を切り上げて、久しぶりに会おうねって昨夜電話した。

 そしたら彼は夜勤のバイトが入っているから会えないって、言った。

 バイト先にいなければいけないはずの時間に、女といる。

 どう考えても、浮気じゃない?

 だからあたし、どういう事なのか聞き出そうとしたの。

 そしたらあいつ、あたしを……まるで、目障りなものを見ているみたいな、怖い目で見て、『知らない』『おかしい』って言って、あたしを突き飛ばしたの!

 もう悔しくて、悔しくて……悲しくて……あたし」


 それからも〝時雨〟は、色んな事を洗いざらい、喋った。

 お酒が入っているせいだから、だろうか。彼女が話すのは今まで付き合っていた男性との付き合っていて一番楽しかった時期、別れた経緯などだった。

 ……いくら宿を貸している男性だからって、他人と殆ど変らない私にそんなに赤裸々に全て話して……黙って聞いているのは、退屈で苦痛だった。

 話は、家族の事まで及んだ。


「お父さんもお母さんも……あたしの事、何も解ってくれない……。

 ……あの人達は、なぁんにも知らない。

 夜遊びしている事も、援助交際している事も、何にも知らないの!

 馬鹿馬鹿しくって笑えるでしょ!?

 ――――そう。これが復讐なの! あの人達へのね!

 せいぜい〝いつも通りの変わらない日常〟を楽しめばいいわ!

 そんなもの、とっくに終わってんだから!!」


 自らの手で愛を探しに出た少女は、一見華やかながら、良識を麻痺させるネオンの光に惑わされた。

 はした金で、思い通りにしようとする大人の醜い欲望……囚われたら抜けだせない絶望の闇……それらに傷づくだけ傷づけられて、ボロボロになった彼女は、ついに。


「――――死にたい」


 〝時雨〟の呟きが耳に入った瞬間。身体の奥から湧き上がる衝動。

 その名は〝殺意〟。

 ……殺す前に、するべき事があった。私は彼女を背後から抱き締めた。

 その身体に宿る確かな命の温もりを確かめる。


「死んだら……この退屈も無くなるでしょうか?」

「え……」


 部屋から隠し持ってきたロープを握りしめる。

 そして〝時雨〟の首に巻きつけて、躊躇ためらいいなく締め上げた。

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