水無月 ルキア Ⅲ


 ジリイイイイイイイイイイイイイイィッ!!


 目覚まし時計が、凄まじい音を立てている。毎朝聞いているが慣れない。

 まあ、そのお陰で大学に遅れないで済むのだが……。

 ベッドの傍に置いて充電しておいた携帯を手に取る。

 友人から三件のメール……あとで読もう。

 そして、少女達からのメールを開く。


《JK3のちなつですっ。

 写メ見てみてヨ、ガッコのせいふく超カワイイでしょぉ~?》

《ゆかりんゎ、JK2だぉ。お金困ってるの……助けて欲しいなぁ》

《マオです! 最後までするから、『苺』が欲ちぃ!!》

《時間空いてる? 今すぐ駅で待ち合わせしよ♪》

《最低でも諭吉さん3枚だからね!

 ぢゃなきゃ、愛美のエッチな写メみせてあげないし、会ってあげない!!》


 携帯を閉じて、下のリビングへ降りる。

 香ばしいコーヒーの匂いがした。

 家政婦の太田おおたさんが、キッチンで朝食を作っていた。


「おはようございます、太田さん」

「おはようございます」


 軽やかな足取りで階段を駆け降りる音。その足音だけで誰かわかる。


「ふぁあああ……おっはよぉ~……」


 大欠伸しながら、やってきた一人の女性。


「おはようございます、春海はるみさん」

「んっ……あぁ、ルキア君…………おはよ」


 彼女によく似合う明るい茶茶色の短髪に、まだ少し寝癖が残っていた。


「あのさぁ……あの目ざまし時計さぁ……うっさくない?」


 ショートヘアを手櫛てぐしかしながら、春海さんは欠伸を噛み殺した。


「あの音量でないと起きれないもので。毎朝起こしてしまってすみません」

「平日はいいんだけどぉ……休日はマジ、勘弁……」


 私と三歳しか違わない彼女は、義理の母親だった。

 半年前、父の水無月 芳伸よしのぶが突然再婚した。

 そして妻として迎えたのが彼女だった。

 私は驚いたが、別に批判したりなどはしなかった。

 騒いだのは、親族達の方だった。再婚相手が、あまりにも若すぎたので「財産目当てで結婚した」とか、陰口を今でも言われ続けている。


 でも春海さんは、持ち前の楽観さで悪口を受け流している。


 私との関係も良好だ。歳が近いこともあって気を使わなくていいし、会話すれば知的で常識ある女性であることはわかる。嫌いになる要素は、特にない。


 呪華のすぐそばを通り過ぎて、春海さんは席に着いた。


「ねっむーい……カフェオレ、作ってくれませんかぁ?」

「かしこまりました、奥様」

「……あれ、芳伸さんは?」

「旦那様は、取締役会に出席なさっております」


 私は、春海さんの向かいの席に座った。


「ねえねえ、ルキア君」

「何ですか?」

「週末、どこに行ってたの?」

「…………別荘の方で、ゆっくりとしていました」

「ふぅん」


 呪華は姿が見えないのをいい事に、春海さんに近づいてマジマジと見ていた。

 そういえば初対面だったか……。

 私の視線に気がつくと、呪華はニッコリと微笑んでくれた。


「お待たせしました」


 今日の朝食はハムエッグとピザトーストだった。

 美味しそうな香りが、食欲をそそった。


「いただきます。やっぱ、朝はカフェオレっしょ!」

「洋風でお洒落な朝食だね! でも呪華は白いご飯が好きだな~……キャハ!」

「私も好きです」

「ん?」


 春海さんがこちらを見た。と同時に自らの失態に気がついた。

 間違えて呪華の言葉に答えてしまったのだった。


「ルキア君もカフェオレ欲しいの?」

「あ……そう、ですね」


 春海さんは気付かなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

 呪華は声が聞こえないのをいい事に、大声で笑っていた。



※※※※※



 大学への通学は、主に自転車だった。

 少し前までは、自転車に乗っている時、私は音楽をイヤフォンで聞いていた。

 でも、呪華が現れてからは、そんな事はしなくなった。

 音楽の代わりに、彼女の話す声の方がずっと魅力的だったからだ。

 呪華は通学の時間になると自転車の荷台に跨って、私の身体に両腕を回し、耳元でいろいろ話してくれる。


 彼女の話は、とても面白かった。

 今まで出会った人間達の話をしてくれるのだった。


「さあ、呪華。今日は誰の話をしてくれるのですか?」

「ん~……じゃあ、ネロの話でもしようかな?」

「えっ!? ネロって……あのネロですか? ローマ帝国のネロ皇帝?」

「キャハ! そうだよぉ!」


 呪華は何でもないように笑ったが、私は高鳴る心臓を抑えるのに必死だった。

 ネロ皇帝……義弟・母親・皇后を殺害し、ローマ市大火の罪をキリスト教徒に負わせて大虐殺を行った、大暴君だ。


「呪華は、ネロ皇帝とも出会ったのですか!?」

「信じてないね? 本当だよぉ?」


 呪華が言うには、ネロと出会ったのはまだ彼が五、六歳の時だという。

 それから、十八歳まで一緒にいたらしい。


「ルキア。ネロの名前、フルネームで言える?」

「いいえ」

「んじゃあ、聞いてね? ……オホン。

 ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ヘルマニクス!」

「……よく言えました」

「キャハ!」


 呪華がギュウとしがみ付いて来る。


「……どうしたのかなぁ? 心臓ドキドキなんだよぉ?」


 私は赤面の顔を見られないようにするのが、精一杯だった。

 いつにも増して楽しい通学となったが、危うく大学を通り過ぎそうになった。

 校門前で降り、呪華を荷台に乗せたまま駐輪場に停める。

 呪華は触れる事が出来るのに、重さがなかった。

 それが不思議でならない。やはり神様……だからだろうか?


「じゃあ今日も、お勉強、頑張ってねぇ!」


 呪華は、にっこりと笑って手を振ると消えてしまった。

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