栄永 利口 Ⅹ

 ……僕が、僕を〝栄永 利口〟だという事を思い出したのは、夕焼けが惨状を赤く照らし出した頃だった。既に血は固まって赤黒くなっていた。

 ちょうど同じ頃に、サイレン音が近付いてきた。

 そうか。怜悧が携帯で友達にメールでも送ったんだろう。


「僕の姿は誰にも見えず、僕が出す音全て聞こえない」


 僕は、裏口から家を出た。

 高々の赤色灯を回してパトカーが、やって来た。

 サイレンにつられて近所の人や通りすがりの野次馬が僕の家の前に集まっていた。ドラマの中のように立ち入り禁止の黄色いテープが家の周りに張られて、警察官達が家の中に入って行く。

 リビングで僕の家族の死体を見つけるだろう。 

 僕の死体だけが無くて、僕は行方不明扱いになって、探されるだろう。


「でも、誰にも僕を見つける事など出来ない」


 そう。誰にも僕を見つける事など出来ない。僕が言葉に出したから。

 その時、僕の頬に熱い何かが伝った。血だと思った。

 でもそれを拭うと、それは透明な液体だった。


 涙? どうして? 僕を疎ましく思い、厄介者扱いしていた最低最悪の人達が死んだのに。もう、僕を苦しめる家族は、死んだのに。


 そう。死んだ。いなくなったんだ、永遠に。

 僕が言葉に出したから。僕が言霊を使ったから。僕が…………殺したから。

 僕の唯一の家族は、この世から消えてしまった。


 勉強が出来る事を誇りに生きて来た。

 一番である事がプライドで、一番である事が存在価値だった。

 けれども、一番ではなくなって……勉強が出来なくなって。

 誇りを失った僕は、全てがどうでもよく思えて引きこもった。

 しかし、そんな自分は堪らなく惨めで無様で大嫌いだった。

 普通に学校に行きたかった。勉強したかった。生きたかった。

 でも、自室にこもるようになってからは、どうしたらいいのか……だんだんわからなくなっていって……もう二度と、僕は元の生活には戻れないのではないかと不安で不安で怖くて辛くて悲しくて……消えてしまいたいと願った夜が、いくつもあった。


 そんな生き地獄だったけれども、僕は必死に自分を保とうとした。

 保てると思った。僕には、まだ家族がいたから。完全なる一人ではなかったから。

 家族が僕の、唯一の僕の光だった。生きがいだった。


 しかし、僕の家族はもういない。死んでしまった。

 真の孤独となった僕は、どうしたらいいのかもうわからなかった。


 どうして、こうなってしまったんだろう?

 どこから、おかしくなってしまったんだろう?

 僕は普通に生きて来たんだよ? 僕は頑張って勉強したんだよ?

 それなのに……どうして……僕が学校に行けなくなって、死にたいって思うようになって、家族を殺さなければならなくなってしまったんだろう?


 僕は、勉強は出来たんだ。とっても良く出来たんだ。

 テストで百点を取れば……父さんはとびきりの笑顔で褒めてくれて、母さんは僕の好物を作ってくれて、賢兄は頭を優しく撫でてくれて、怜悧は「利口お兄ちゃんスゴイ!」って、ずっと言ってくれて……。


 母さん、言ってたじゃないか。

 『勉強が出来る子は、絶対に幸せになれる』って。

 僕は、幸せになれるんじゃなかったの?

 それなのに、どうして僕は幸せじゃないの? どうして皆、死んじゃったの?

 ――――そうだ。僕には言霊があるんだった。

 どんな事も叶う力。


「僕の家族、全員生き返らせて!!」

「無理だ」


 僕の言葉を断ち切るように言葉を発した者は、宵闇の中からやって来た。

 漆黒の服に身を包んだ、青黒色の髪と瞳を持つ美少年の姿の呪神、恨月。


「一度死んだ者は、言霊を使っても生き返らない。

 人間は死を迎えた瞬間、死神によって魂を管理される。

 呪神の力では、死神の手から魂を奪えない……」


 恨月は、奇妙な興奮でざわついている野次馬を見つめながら言った。


「じ、じゃあ、僕を皆が生きている世界に戻して!

 二ヶ月前の、不登校になる前に戻して!」

「それも無理だな」

「何で!? 言霊は全てを真にする力じゃないの!?」


 恨月は、美しい顔を僕に向けて来た。

 その双眼は鋭く僕の捕えていて、僕は目を逸らすことが出来なかった。


「お前には、憎悪がないんだよ」

「憎悪……?」

「両親、兄、妹を殺している時は紛れもない憎悪があり、そして彼らに世にも無残な死を与える事が出来た。それはお前の憎悪が、言霊の力となったからだ。

 しかし、今のお前は……何にもない」


 恨月は目を細めて、口元には笑みを浮かべた。それは紛れもなく嘲笑だった。


「お前の憎悪は、ボクが見込んだ通り……最高の糧となった」


 呪神の説明は理解出来なかったが、とにかく僕の持っている言霊は、既に使えない物となっているという事だけはわかった。

 言霊を手にして、僕は全てを失ってしまったのだ。


「忘れたのか? お前は永遠の命を持っているじゃないか」


 ……そうだ。僕は死んで皆に会いに行くことさえ出来ないんだ。

 僕は地面に座り込んでいた。いつの間にか両足から力が抜けていた。



 もう嫌だ。もう何もかもが。全てが。

 こんなの、おかしいよ。こんな世界、おかしいよ。

 どうして僕なの? どうして僕がこんな目に遭わなくっちゃいけないの?

 一体、僕が何をしたというの? 僕が、どんな罪を犯したというの?

 理不尽だよ。不公平だよ。馬鹿馬鹿しいよ、こんなの。


「…………許さない……」


 僕の耳が僕の声を拾った。無意識に呟いた、怒りの言葉だった。

 やり場のない怒り……ソレは、どんどん膨れ上がっていく。

 膨れ上がり、増幅し、激しくなっていく……ソレはもはや怒りじゃない。


 呪神の糧であり、言霊の力となる――――憎悪へと変貌した。



※※※※※



 聖童学園 高等部 特進 θ クラスに入った時は、更なる叡智を得る事が出来る喜びに胸を躍らせていた。

 順風満帆な学校生活が続く事を当たり前と信じて疑わなかった。

 まさか、いじめられて不登校になるだなんて夢にも思わなかった。


 全ての不幸が始まった場所でもある学校は、今では身の毛もよだつほど不快な場所へと変わっていた。校門から見える校舎を見ただけで吐き気を催した。


 二ヶ月前まで毎日着ていた制服を身に纏った生徒達が学校から出て行く。

 当然、彼らに僕の姿は見えない。

 薄汚れた私服を身に纏った不潔な僕は、この場では限りなく異質な存在だった。


 静まり返った廊下を歩く。

 放課後の校舎内は、不気味で嫌な思い出しかなかった。

 放課後は、神流木によるイジメの時間だったからだ。帰り仕度をする僕の耳元で「明日こそ学校に来るな」「脳無し馬鹿は死んでしまえ」と、何度も何度も繰り返していた。耐えきれなくなった僕が教室を出るまで、ずっとずっとずっと。


 僕は、特進 θ クラスの教室の前で止まった。

 言霊を使ったから、神流木は間違いなく教室に一人で残っている。

 この中に神流木がいる。僕を不幸にした元凶がいる。

 そう思うだけで胃が捩れるほど痛みだし、呼吸がし辛くなって、身体が勝手に震え始める。嫌な思い出したくもない記憶が、勝手に脳内で再生される。


「それを憎悪に変えろ」


 背後から恨月の声がした。


「憎め、自分を傷つけた相手を」


 記憶が甦るたびに湧き上がるのは紛れもない憎悪。


「今度は、お前の番だ」


 そう。今度は僕の番だ。





 僕は迷いなく教室のドアに手を掛け、一気に開けた。

 ――――ガラッ……。

 すぐ目の前には神流木 隼が、惚けた顔で立っていた。


「……え?」


 奴の声を聞いた瞬間、僕の頭の中は真っ白になった。



 この世界は、理不尽だ……。

 僕は、小さい頃からずっとずっと……勉強だけしてきたのに。

 他の奴が遊んでいる時も、僕は勉強机に向かっていたのに。

 マンガとかゲームとか欲しかったけど、我慢してたのに。

 ――――僕の、絶対的に安定の保証がついた将来のために。

 だから! ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、我慢してきたんだ……!

 それなのに…………どうして?

 どうして、こうなってしまったんだろう?

 ――――僕は、全てを犠牲にしてきたのに。

 何を間違えた?

 いや。僕は間違ってない。間違ってないんだ。

 僕は、頑張ったんだから! 僕は、言う通りにしたんだから!



 気付けば、僕は神流木の胸倉を掴み上げて叫んでいた。


「お前が、この僕から一番を取ったから……世界がおかしくなったんだ!

 家族が死んでしまったんだ……全部全部全部全部お前のせいだ!

 お前がいなければ……お前さえいなければ……ぁぁあああああああああっ!」


 全力で突き飛ばした神流木は、均等に並べられた机と椅子を薙ぎ倒しながら、教室の床に仰向けに倒れた。

 床に頭を打ったのか、すごい音がした。そして気絶したらしい。


「死ぬなよ? 死ぬなよ!? お前は僕が殺すんだから!!

 そう! 僕がお前を殺すんだよ! あはははははははははははははははは!」


 楽には死なせない。


  僕が苦しんだ分、こいつにも苦しんで貰わなくっちゃ。

 全てを壊して壊して壊して……壊し尽して、こいつが死を乞うのも出来なくなるくらい壊して……それから、死ぬ事を後悔するくらいの苦痛で殺してやる!


 その時に、僕を取り巻く、このおかしな世界も、壊れるんだ……!!




第二章 破壊 ー完ー

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