栄永 利口 Ⅸ


「――――利口は、まだひきこもっているのか?」


 父さんが海外の新聞をテーブルに置いて、溜息混じりに言った。


「…………はい」


 久し振りに聞いた母さんの今まで聞いた事のない疲れ切った声に、僕は絶句した。


「全く……利口には失望したな」

「………………」

「どこで間違えたんだ? 全く……不登校だなんて、みっともない。

 ご近所や親戚に知られたら、笑われるぞ」

「…………すみません」


 世間体しか見えてない父親と、その家長の言う事に頷くだけの母親。

 僕の事なんか、これっぽっちも知らないで言いたい放題、言ってくれて。


「パパ~。あの人、どうするの?」


 怜悧が、首だけ動かして此方を向いた。

 あの人とは、僕のことだ。前までは、お兄ちゃんって呼んでたのにな。


「大丈夫だ。近々何とかする」

「それ前にも聞いたよ、なのに全然、何にもしてくれてないじゃん!」


 怜悧は、徐々に声を張り上げながら父親に迫った。


「怜悧ちゃん。お父さんは忙しいのよ……」


 母親が取りなすように言う。子供より仕事優先かよ。


「つか、何で学校にも言ってない引きこもりが、普通に生活出来てるわけ!? 

 そんなのおかしいでしょ!? 何、衣食住が普通に確保されてんのよ!?」


 だんだん興奮して来たのか、怜悧はテーブルを指先で叩き始めた。


「飢え死にさせるわけにはいかないだろ。そうなったら色々面倒臭いし」


 賢にぃは、面倒臭そうに答えてソファから立ち上がった。


「二階に戻る。怜悧、気が散るから静かに話し合ってくれ」


 そして僕のすぐ隣を通って階段を上がって行った。


「パパもママも、どうかしてる! 私の時は、厳しくしてたのに!

 何で、あの人は学校行かなくってもいいわけ!?

 行くのが普通なのに、どうして!?

 私、それが理解出来ない! 何で!? 何で何で何で何で!?」


 ……どうも、僕からは感情が抜けきっているようだった。

 妹の叫び声を聞いても、何とも思っていないのだから。


「ねえ、パパ! ママ! 私、あの人嫌い!! 早くどこかやってよぉ!」

「怜悧、聞きなさい。

 利口の件は此方で何とかする。近々、全寮制の学校へ転入させるつもりだ。

 それよりもお前は、自分の勉強の方を頑張りなさい。

 もうすぐ期末テストだろう?」


 ……それよりも? 何だよそれ。

 僕を全寮制の学校に、また学校に行かせる? 何だよそれ。

 しばらく黙っていた母さんが一言言った。


「――――どうして……」


 僕は、その一言に続く言葉を待った。祈るような気持ちで待った。

 どうして、そんな酷い事を言うの? 私達の大事な息子よ。家族でしょう?

 どうして、信じてあげないの? 私達だけでも信じてあげましょう?


「どうして、生まれてきたのかしら? あんな子、産まなければ良かった……」


 何だよそれ。

 何だよそれ。何だよそれ。何だよそれ。何だよそれ。何だよそれ。

 この人達、何言ってんの? 何話してるの? なにをいっているの?

 この人達、誰? 誰、なんだ? 誰、だれ? だれ? だれ? だれ?

 わけのわからないひとたちが、ぼくのわるぐちいってる。

 ことばには、ちからがあるのに。

 いま、ぼくは、そのちからにめちゃくちゃにされた。

 めちゃくちゃにこわされた。こわされて、ころされた。

 ぼくをころした。このひとたちはわるいひとだから。

 ぼくをいじめた。このひとたちはいきていてはいけないんだ。



 誰かが背中を押した。その感触は優しくて、力強かった。


「トシアキ!?」


 目の前の男が、大声を出した。目を大きく見開いて驚いているようだった。


 何をそんなに驚いているんだろう?


 僕は、男のすぐ目の前まで行って、にっこりと笑って言った。


「死ね」


 次の瞬間、男は胸を掻き毟りながら苦しみ出した。

 足が生まれたての子馬のように震え、縺れて転んだ。そして敷物をぐしゃぐしゃにしながら暴れ回って、天井に向かって大量に血を吐いた。


 その血は男自身と、カーペットと、傍にいた少女を真っ赤にした。

 誰かの悲鳴が聞こえた。僕が振り返ると女が泣いていた。


 どうして泣いているんだろう?


 僕が一歩前に出ただけで悲鳴を上げて逃げようとした。


「死ね」


 いきなり、女の背中が反り返った。

 何かが折れたような恐ろしい音がして、変な風にその場に崩れてしまった。

 背中って、後ろに九十度も曲がれるんだなぁ。


 ドタドタ足音がして、さっき二階に上がった青年が戻ってきた。

 リビングの光景を見た瞬間、情けない声を上げて尻餅を着いた。


「ケンお兄ちゃん! 助けて!」


 血塗れの女の子少女が泣きながら、叫んだ。


「黙れ」


 少女は尚も叫ぼうとしたが、口と舌をいくら動かしても声は出て来ない。

 嫌嫌するように首を横に振っている。

 降りてきた青年は座り込んだまま、立ち上がれないみたいだ。

 少女は涙を流しながら口を大きく開けていた。出るのは息を吐く音だけだ。


「――――利口」


 青年は、僕の方を見て言った。僕はしゃがみ込んで、目線を合わせた。


「トシアキって?」


 自分の声がそう言っているのを聞いた。


「利口……何言ってんだよ。どうしちまったんだよ!?」

「死ね」


 ぐちゅっ、気持ちの悪い音と共に青年は目を押さえて絶叫した。

 何故か赤い涙を流している。赤い涙なんか初めて見た。


「痛い痛い痛い痛いいたいいたイイタイイタイ……」


 何か呪文を唱えてる。


「痛い! 痛いぃ、っ、許してくれゆるし許して! 殺さないでくれ!!」


 完全に失明した青年は、出口とは全然違う方向に……女の死体の方へ這って行っている。


「言葉に出しちゃったから。もう死んじゃうんだ。バイバイ」

「ああああああああっ、嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!!」


 彼の身体が徐々に朽ちていく。

 目の次は耳が、鼻が、手足は指先から……腐っていく。


 あれだけ「死にたくない」って言っているのに……彼の言霊は効かないんだ。


 しばらくすると叫び声が苦しげな呼吸音へと変わり、何も聞こえなくなった。

 僕は、男の死体を跨いで部屋の隅で、携帯を抱えている少女へと歩いて行った。

 口を開いて言葉を出そうとしたら、少女は携帯の画面を向けて来た。


《お兄ちゃん、どうしてこんな事をするの?》

「どうしてこんなことをするの?」


 僕は、訊き返した。少女は困ったような顔をして、携帯を操作した。


《どうしてパパやママやけんお兄ちゃんをころしたの?》

「どうしてこんなことをするの?」


《ごめんなあさいゆるしてえくださいもうわるくちいわな》


 僕は携帯を奪った。そして後ろに放り投げると言った。


「死ね」


 少女は立ち上がると僕に向かって両手を突き出してきた。

 いきなりだったから僕は押されて、後ろにひっくり返った。

 玄関へと続く廊下に出るドアへ、一直線に向かう少女。でもドアノブに触れる前にまるで壊れたマリオネットのようにギクシャクと変な動きをする。

 どうしたんだろうと思ったら、両足首が折れてた。

 バランスを崩した少女はテーブルの角に頭をぶつけて、そのまま動かなくなった。

 リビングが静まり返るのは、あっという間だった。


「すごーい! 盛大な惨劇だったねぇ!」


 呑気に笑いながら、呪華が何処からともなく現れた。


「あっという間で終わっちゃったね? でもまあ、仕方ないっか☆

 でも、呪華は中世の魔女狩りの方がいいかなぁ……。

 いろんな拷問が見れて面白いんだよぉ! 最後は火あぶりだしね!

 またやらないかなぁ~?」


 どうでもいい話を続ける呪神に、僕は相槌すら打たなかった。


「キャハッ! キャァハハハハハハ!!」


 呪華は上機嫌だった。美しい顔に弾けるような笑顔……綺麗だ。


「いや~んもぉ! ここまで思い通りになった~……面白いを通り越して快感~♪

 こーなったらいいなぁって思ってたの! 実の父母兄妹を殺害なんて、ね☆」


 そうか。皆、死んだんだ。


「あー面白かった! ありがとね、利口!」


 空っぽになった僕を置いて、呪華は高々と哄笑しながら姿を消した。


 僕は、呪華はもう二度と僕の目の前には現れないだろうなと思った。

 彼女の言葉を思い返す。思い通りになった……僕は利用されていたのか。

 呪神の、暇つぶしの為に僕は彼女好みの舞台を演じさせられたというのか。


 不思議と怒りが湧かなかった。

 ただただ、虚無感で空しい気持ちでいっぱいだった。

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