栄永 利口 Ⅲ


 翌朝。僕は、朝日がまだ完全に昇ってはいない早朝に目覚めた。

 まだ誰も起きていない。

 僕は大きめのリュックサックの中身を確かめてから、それを担いで部屋を出た。


「――――さようなら」


 家を出る時に、そう言ってドアを静かに閉めた。


 歩いて、近くのコンビニに入った。そこで菓子パンを買う。

 僕は清々しい気分でパンを齧りながら、夜明けの街を歩いた。

 歩いて、歩いて、歩いて……久しぶりに歩くので、足が痛くなってきた。


 ホームセンターに立ち寄り、そこで荒縄と台になるような物を買った。

 日雇い店員は僕の買った品物を特に気にしなかったようだ。


 それから、また歩く。目的のバス停まで。

 ここからは、徒歩とバスだった。樹海へのルートは完璧に調べてあった。


 僕は死に行く為に足を動かす。

 そして、バス停に着いた。バスはまだ来ないようだ。


「はぁ、疲れた」


 もう朝の十時だ。いつもだったら、まだ寝ているだろう。

 もし学校に行っていたら、授業中だろう。


 ………………いけない。これ以上、考えてはいけない。僕は死ぬんだから。

 もう生きているのは、嫌なんだ。死ぬんだ。死ぬんだ。死ぬんだ……。


 バスが来るまで、僕はずっと呟き続けた。



※※※※※



「何処にお出かけなの?」


 向かいに座るお婆さんは、明らかに僕に向かって話しかけたようだった。

 無視をするという選択が浮かぶ前に、僕の口は開いて言葉を発していた。


「えっと……森林浴ですよ」

「あらぁ、いいわねぇ。リュックサック背負って」

「見かけは大きいですが、中はスカスカなんですよ」


 菓子パンは食べてしまったし、入っているのは荒縄と小さな台だけだ。


「ミカン、食べない? 良かったらどうそ?」

「えっ? いえ、あの……」

「ちょっと買い過ぎちゃったの。

 お爺さんは去年に亡くなったのに、私ったら二人分買って来ちゃってねぇ。

 ……でも、そうよね。こんな変なお婆さんから貰った物なんて、嫌よね?」

「そ、そんな事ないです! 頂けるなら……ぜっ、是非!」

「フフッ。はい、どうぞ」

「……ありがとうございます」


 どうやら、最期の食事はミカンとなりそうだ。

 アナウンスと共に、樹海前のバス停に止まる。


「じゃあ……僕はココで降りるので」


 お婆さんは、寂しそうに笑った。


「じゃあね、坊や」

「……さようなら」


 僕以外の人が、のんびりしたお婆さんと無愛想な運転手だけで良かった。

 感の良い人なら、これから自殺しに行く事を見破られていただろう。

 僕は走り去っていくバスを見て、溜息を吐いた。



※※※※※



 樹海の入口には、沢山の看板があった。


〝君の両親が悲しむぞ! 考え直せ!〟 厄介者が消えて、清々するだろうな。

〝貴方は一人じゃない〟 フゥーン。でも僕には、もう何もないから。

〝命を粗末にするな!〟 僕は、ゆっくりと歩みを進めた。


 樹海は昼間なのに薄暗く、ジメジメとしていた。

 自分の死に場所に相応しい所を探しに、どんどん奥へ入っていく。

 最初の方はゴミなどが散乱していたが、しばらく歩くと見当たらなくなり、鬱蒼とした森となっていく。

 時折、木の根に躓きそうになったり、ぬかるんだ地面で足を滑らしたりした。

 悪路と日頃の運動不足のせいで、息は完全にあがっていた。


 もう、家族には僕がいなくなった事は解っているだろう。

 どんなリアクションだっただろう?

 清々した? 肩の荷がおりた? それともいつもと変わらず、生活している?


「…………余計な、事を、考えるな!」


 これから死ぬのに、どうでもいい事を考えている自分に苛立った。




 そびえ立つ大樹。しっかりとしている枝。木洩れ日が幻想的で綺麗だ。

 疲れた。今日一日、結構歩いた。根元に座りこみ、リュックサックを下ろす。


「……あ、そうだ」


 貰ったミカンの皮を剥き、一口サイズに割いて口に放り込んだ。

 甘酸っぱい味に思わず、顔が綻んだ。脳裏に、お婆さんの優しい顔が浮かんだ。


 ――――――もし。


 もし僕が死んだら……家族は、どう思うだろうか?

 あのお婆さんのように、悲しむだろうか? 悔やむだろうか?

 そんなわけ、ないだろ? 僕は厄介者だったんだぞ。


「…………ぅうっ……」


 いつの間にか、僕は泣いていた。


「どうしてだよ……どうして、こんな事になっちゃったんだよ?

 僕はずっと我慢してきたのに……ずっと努力してきたのに……。

 どうして……どうして……!? 何が間違っていたんだよ?

 僕が一体、何を間違えたんだよ!! ううっ、ううううっ!」


 涙を流し尽くすと、胸の中がすっきりした。


 さあ、もう終わりだ。最期の食事は終わり。

 さっさと死んでしまおう。誰がどう思うが、どうでもいい!

 これ以上、苦しみたくない。僕は楽になりたいんだ!


 僕は台に乗って、ちゃんと輪を作った荒縄を枝に結ぶ。

 両手で掴み、ぶら下がっても縄は丈夫だった。

 死の舞台は整った。

 僕は台の上によじ登る。膝が震えている。


「しっかりしろ!」


 自分を叱咤し、台に何とか登り、前を見る。

 目の前には、荒縄で出来た輪がある。凄まじい恐怖が、全身を支配した。


「う、うぅ……」


 どうして? 僕は死ぬために此処までやってきたのに!

 どうして? さっきまで死ぬ気だったのに!

 どうして、急に死が怖く感じるのだろう!?


 僕は固く目を閉じた。


 『お前は馬鹿なんだよ』

 『馬鹿は学校に来るな。生きてる価値は無いんだよ。さっさと死ね』


 家族の愛という鎧を失った僕の心は、鋭利な言葉の刃によって切り裂かれた。

 ……いや、もう既に僕の心は殺されていたんだ。あとは身体だけだ。

 下がった荒縄の輪の中に首を突っ込む。


「――――僕が死ぬのは、あいつらのせいだ!

 許さない……許さない……絶対に許さない!

 僕がこんなに苦しいのに、あいつらが幸せだなんて!

 許さない、呪ってやる、死んでやる! あいつらを不幸にしてやる!!」


 僕は固く目を閉じ…………思いっきり、台を蹴っ飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る