栄永 利口 Ⅱ


 僕の名前は、栄永さかえ 利口としあき

 利口りこうな子供になって欲しくて、つけた名前だそうだ。

 僕は、小さい頃から勉強していた。勉強を教えてくれる先生は母さんだった。


 『勉強が出来ればいい学校に入れるわ。

  いい学校で一番だったなら、将来就職は引く手余るようになるわ。

  利口、それがどういう事だかわかる?』


 僕が首を横に振ると、母さんはにっこり笑って言った。


 『勉強が出来る子は、絶対に幸せになれる、ということよ。

  大丈夫。私達の子供ですもの……貴方は勉強が出来るはずよ』


 幸せになれる……だから、僕は努力をした。

 簡単な入園テストでは、満点を取った。

 小等部に上がっても一番であり続けた。


 一番を取った時、両親は喜んだ。兄にも感心された。妹にも尊敬された。

 そう。勉強が出来れば幸せになれるというのは、本当だったのだ。

 とても幸せな時間が続いたのだった。


 しかし――――ある日を境に、僕は一番の座から墜落した。


 それは中等部の特進クラスに入ってからだった。

 特進 θ クラス……選ばれた者しか入れないクラス。

 僕にぴったりのクラスだと思った。

 しかし、初めてのテストの時、結果を知って愕然とした。


 二番だった。一番ではなかった!


 一番は〝あいつ〟だった。入試テストで一番だった、あいつ!

 神流木かんなぎ しゅん……あいつが、僕の一位の座を奪ったんだ!


 僕は一番を取り戻す為に、必死に勉強した。

 睡眠時間を削って、食事する時間も惜しんで、塾ではギリギリまで勉強して!

 それなのに……なのに! 僕の成績は上がらなかった。いつも二番手だった!


 次第に……どんどん勉強は難しくなってきて、塾は大学の授業しかやらなくなってきて、復習しても解らない事が増えて来て、予習なんかする暇も無くて!



 気付いたら……クラス最下位になっていた。



『お前は馬鹿なんだよ』


 ある日、僕の耳元で神流木が囁いた。


『馬鹿は学校に来るな。生きてる価値は無いんだよ。さっさと死ね』


 その時感じた憎悪を、どう表現したらいいのだろう。

 まるで業火に炙られているような、それか氷河の中に沈められたような。

 相対するモノが、心をぐちゃぐちゃにした。


 家の外に出たくなくなった。部屋から出たくなくなった。

 教科書を見るのも嫌だった。全てゴミ箱に投げ捨てた。

 一日中、布団の中にいるようになった。

 真っ暗な世界の中、僕は安らぐ事も出来なかった。

 完全に社会から遮断されてしまった、不安と孤独。

 落ちぶれてしまった自分への嫌悪と虚しさ。

 考えて考えて考えて考え抜いて……そして、思い至った。


 栄永家の表札が掛った家には、勉強の出来る将来有望な人間しかいてはいけない。

 だから僕は、この家にいてはいけない存在なのだと。

 家を出ようと決意した。

 でも、こんな落ちぶれた僕に、行く場所があるのだろうか?

 フラフラしていたら補導されてしまう。

 警察の世話などになったら、今度こそ絶縁を言い渡されてしまうかもしれない。

 これ以上、傷つきたくはなかった。


《だったら、死ね》


 声が聞こえた。とうとう、おかしくなってしまったのだろうか?


《死ね。死んでしまえ》


 冷たい言葉。僕の心にグサリと突き刺さる。


 しかし、もう麻痺している僕の心はそんなに痛みを感じる事はなかった。

 そのかわりに、とても心地よい感覚が全身を巡る。


 そうか……死んでしまえばいいのか。

 こんな名案、どうして思い付かなかったのだろうか?


 勉強が出来ないし、学校に行っていない。

 そして家族からも、厄介者扱いされている。

 僕がこの地上から消えても、誰も迷惑じゃないし、何の変化も無い。

 

 そうだ、死んでしまおう。そうだ、死のう!


 僕は急にワクワクしてきた。

 自殺をすると決めたら、すぐに実行だ。


 僕は、自分の机の上にあるノートパソコンを起動させた。

 さあ、検索だ。自殺する方法……結構沢山あるんだな。

 飛び降り自殺か。でも僕、高い所苦手だから絶対断念してしまいそうだ。

 あっ、睡眠薬での自殺はどうだろう? 眠りながら死ねるなんて、最高だな!

 …………でも、致死量に値する沢山の薬を、どうやって手に入れるんだ?

 それに手に入れられたとしても、何百錠も飲み干すのは疲れそうだ。

 う~ん。毒薬は高そうだし、苦しむのは嫌だなぁ。駄目だ。

 七輪での自殺。僕の部屋には火災報知機がある。論外。


「――――よし、これだな」


 様々な情報の中、見つけ出したのは……首つり自殺だった。

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