神流木 隼 Ⅶ

 僕は校門の所で、美優を待った。

 美優は僕を見つけると、恐る恐る近づいてきた。

 先立って歩くと確かに追ってくる足音が耳に入って、一安心する。

 口数少なく、今朝一人で通って来た道を二人で並んで帰る。


「美優、大丈夫か?」


 僕は暗い顔をする美優を気遣い、声を掛けた。いつもとは逆のパターンだ。


「うん……ありがと、シュン君」


 無理矢理にでも笑顔を作る美優。健気で痛々しかった。

 ……涼風が、僕達の間を優しく通った。

 美優の長い黒髪が、なびいた。夕日に照らされて、とても綺麗だった。


「この前……美優は、シュン君に……とっても酷い事を言った……ごめんなさい」

「いや、僕の方こそ、軽はずみな事を言って、悪かったよ」


 あの日……呪神は現れた。そして僕に、言霊を授けてくれた。

 まだ不安げな彼女に僕は微笑みかけた。


「……大丈夫だ。もう、美優を不幸にする奴は現れないよ」


 僕が言葉に、出したから。

 

 呪神を実際見て、話をしても、言霊の力だけは疑っていた。

 あの日、急に体が動かなくなったのは怨雨が、僕に言霊を使ったからだという。

 でも、それは……神様だから出来たことじゃないか?

 人間が、言葉を発しただけで、何でも出来るようになったら一大事だ。

 そう思いつつも、怨雨の存在は否定出来ないので、言霊を使って美優をいじめている女子生徒全員、それと目障りな馬鹿を学校から追放することにした。


 本当に事故が起きた時は、驚きよりも喜びの方が大きかった。

 僕よりも喜んでもいいはずの美優は、誰よりも落ち込んでいた。

 さんざん、酷い事をされてきたはずなのに、彼女達の事が心配らしい。

 

「本当に、大丈夫かな……皆……助かって欲しい……」


 …………本当にまったく……どこまでお人好しなんだ、お前は。


「美優は優しいな」

「――――違うよ。また、クラスメートが死ぬのは嫌だから……」


 ドクンッ! 心臓が大きく動いた。


「……え?」

「ほら……小学四年生の時……遠足行ったよね?

 その時……事故で…………死んじゃった子がいた、でしょ?」


 鼓動が速くなってきた。


「男の子だったよ……名前は、確か――――」


 これ以上聞いてはいけない気がする。思い出してはいけない気がする。

 しかし、遅かった。美優は僕の顔を凝視して言った。


「〝ミツモト シュン〟君」


 ミツモト シュン――――その名前が耳に入った瞬間。

 まるで洪水のように、記憶が脳内に押し寄せた。


 蝉の鳴き声……強い日差し……古い井戸。

 濁流のように、記憶が凄まじい速さで脳裏を駆け巡り、渦巻く。

 赤い帽子……見慣れた白と濃紺の体操服……カッターナイフ。

 記憶が歪み、霞み、ぼやけていく。

 罵倒……嘲笑……泣きじゃくる声……怒り……。

 ギリギリと頭を締めつけられているかのような痛みが走る。

 殺意……絶叫……断末魔……闇――――っ!!




 僕は必死に両手で頭を押さえつけた。


「ああぁ……ああああああああああっ!」


 叫ばなければ、自我を保つことが難しかった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 錯乱しかけた僕の肩を、美優は掴んで揺さぶっていた。


「シュン君! シュン君! 大丈夫!?」

「僕に触るな!!」


 ドンッ!

 僕は美優を思いっきり、突き飛ばした。

 短い悲鳴を上げて、その場に尻餅をつく美優。大きな瞳から涙が溢れた。

 彼女を突き飛ばした両手を見つめた。


 この感触に〝覚えがある〟のは何故だろう?


「…………あ」


 謝罪の言葉を言う前に、美優は両手で顔を覆って立ち去った。

 突風が吹いた。風に驚いたのか、カラスが大きい声で鳴いていた。

 それはまるで……僕の犯した罪を責めているかのようだった。



※※※※※



 夜、僕は夢を見た。


 夕刻の赤く染まった世界に小さな人影が二つ。僕を呼んでいる。


 僕は駆け寄ろうとしたが、足が前に進まない。


 人影はどんどん小さくなる。上手く動かない足に苛立ちながら、叫ぶ。


 待って。行かないで。置いてかないで。

 どんどん遠くなって行く。待ってくれない。


 僕は足元を見た。すると足が動かなかった訳がわかった。





 白い小さな手が、足首を掴んでいたのだった。



※※※※※




 翌日、八度目の一人登校。 


 そして思う存分、学校で知識を脳に蓄える事に時間を費やし、半日を終えた。


 時間という物は有意義に使えば、すぐに経ってしまうものだ。

 鞄に荷物を詰め込んで、椅子に深く座り直す。迎えが来るまで本でも読んで暇潰し。

 

 ――――三十分くらい待って、迎えが来ない事を思い出す。

 今日、美優は休んでいるのだった。

 どうして休んだのか……その理由を考えてはいけない気がする。


 僕は小さく息を吐き、立ち上がりながら言葉を紡いだ。


「僕は、間違った事はしていない……」


 そう。間違った事など、していない。僕が選ぶ答えは、全て正解。


 今までだって、これからだって、ずっとずっと……正しい事しかしない。


 そうさ。だから自信を持って行動しよう。

 改めて決意した僕は、鞄を持ち直してからドアへ向かった。



 ――――ガラッ……。

 僕が手を伸ばすよりも前に、目の前のドアが勢いよく開いた。


「……え?」


 声を出すつもりはなかった。無意識に言葉が飛び出していた。

 教室に入って来た奴は……まさしく異端だった。

 ぼさぼさの髪、虚ろな目、生気のない肌、薄汚れた服……。

 酷い身なりの奴は、僕に顔を向け、口を開いた。


「動くな、声を出すな」


 次の瞬間、全身が硬直した。口は動くが、声が出なかった。

 そして僕は悟った。その認めたくない考えに思い至った瞬間、感電したかのような衝撃が脳髄を痺れさせた。


(何で……何でお前も言霊が使えるんだ!?)


「……久しぶりだね。神流木君」


 奴はニタリと口元だけ笑った。


「……まさか、忘れちゃった? 二ヶ月しか経ってないんだけどな……」


 僕の名前を知っている奴は、すぐ目の前にまでやって来た。


「僕は忘れてない……忘れるものか…………元凶だからな」


(何なんだ……何のつもりだ、一体!?)

「さっきから口をパクパクさせて……何? 金魚? ねえ?」


 僕が口を閉じると同時に、奴は哄笑した。


「あはははははははははははははははははははは! 無様だ、無様だ!

 あっはははははははははははははははははははははははははははははは!!

 お前が僕を不幸にしてたなんて! どうして怯えていたんだろう!?

 何でお前の言う事を真に受けていたんだろう!?」


 しきりに笑った後、僕の胸倉を掴み上げて怒鳴った。


「お前のせいで僕の家族は……死ぬ羽目になったんだ!

 お前が僕から一番を取らなければ! お前さえ僕の目の前に現れなければ!!

 お前は苦しみの元凶! 不幸を撒き散らす! 邪悪で外道なんだよ!

 神流木隼、思い知れええええええええぇっ!!」


 話が支離滅裂で訳が解らない。


「わからない? わからないんだぁ!? あははははははは! 馬鹿だねっ!」


 最後の一言で奴が何者か思い出した。こいつは、僕が一番最初に追放した馬鹿だ!


「お前が、この僕から一番を取ったから……世界がおかしくなったんだ!

 家族が死んでしまったんだ……全部全部全部全部お前のせいだ!

 お前がいなければ……お前さえいなければ……ぁぁあああああああああっ!」


 奴は喚きながら、僕を突き飛ばした。

 突然の事で成す術もなく、思いっきり後頭部を床に打ちつけた。

 激痛が電流ように身体に巡る。視界がブラックアウトする。

 奴の、興奮しすぎて支離滅裂な言葉と狂ったような笑い声が鼓膜を伝わり、脳内を埋め尽くす。



 せっかく……せっかく平穏な日々に戻れたと思ったのに!

 また馬鹿を殺して、これから幸せになれるはずだったのに!

 ………………え?〝また〟? ……あぁ、頭が……痛い…………。


《人間は都合の悪い記憶すらも、自分勝手に変えてしまいます。

 そんな事をしても、犯した罪は消えないというのに……》


 呆れ返った呪神の声が脳内で反響した。


 僕の犯した罪って、何だ?


 その焦燥感は、意識と共に闇の中へ沈んでいった。




第一章 神変 ―完―

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