神流木 隼 Ⅴ

「……やっぱり、そうなんだね」


 何を言ったらいいのか、思いついていなかった僕にとって美優の方から言葉を発してくれたのは嬉しかった……だが、言葉が抽象的すぎて解らなかった。


「美優……何のこと?」

「神様が、そうするしかないって言った」

「え?」


 美優が突拍子もない事をいうのは、茶飯事だから慣れている。けれど。

 今回は、全く理解できない。美優の事が急に解らなくなっていく。


「平穏を変えたくないわけじゃなくて……ただ、忘れていたから」


 うわ言のように美優は呟き続ける。淡々と。

 笑顔が消えた、曖昧な表情のままで。


「そんな美優は、見たくない」


 口から言葉が飛び出していた。


「美優は、笑っていないと駄目なんだ」

「…………駄目?」

「美優の笑顔を見れば、僕も元気になるから」


 いつも通りなら彼女は、次の瞬間には、とびきりの笑顔を見せてくれる。

 そして、言ってくれるはずだ。

 ――――シュン君。



「君は、邪悪だよ……邪悪。美優に近寄るな。汚らわしい」



 頭に思いきりハンマーを叩きつけられたような衝撃が、身体中を駆け巡った。


「なっ、何だって?」


 美優は完全なる憎悪の表情で、僕を見ていた。


「邪悪。近寄らないで」

「美優……なに……何言ってるんだ?」

「近寄らないでって、言ってるでしょ!?」


 突然の大声に、近づこうとした足が竦んだ。

 美優は、一刻も早く逃げ出したいと言わんばかりの表情で、後ずさる。


 僕と美優の距離が、どんどん広がっていく。


「み……美優? 一体、どうしたんだよ……!?」


 距離が広がるのを止めたくて、僕は叫んだ。

 美優は、いつもとは違う冷たい口調で吐き捨てるように言った。


「自分の胸に聞いたら?」


 冷たい刃が僕の胸を貫き、引き裂いていく。

 あまりの苦痛に僕の瞳からは涙が溢れた。


「さ……さっき言った事は、訂正する! 気を悪くしたなら、あ、謝るから!」


 美優は呆れ返ったように、肩をすくめて首を横に振った。

 遅すぎるよ……と、言葉よりもダイレクトに伝わって来た。


「口は禍の門っていうでしょう? 君は、取り返しのつかない事をしたんだよ」


 取り返しのつかない事?


「そ、そんな…………」


 美優は、顔を背けたくなるくらい嫌な顔をした後、硬直した僕を一瞥して……そのまま去っていく。腰まである綺麗な黒髪がなびくのを、僕は見つめていた。



※※※※※



 自室に入った瞬間、力任せに鞄をぶん投げた。

 美優の軽蔑と嫌悪の眼差し、そして悪意の言葉が焼きついてしまって。

 僕はその場にへたり込み、絶叫した。


「自業自得ですね」


 凛とした声が背後から聞こえた。

 振り返るとそいつは、いた。



 そいつは、純粋な漆黒の服を纏い、青黒色の髪と同色の瞳を持ち、色白の肌の中性な顔立ちの美少年だった。


「誰だっ!? いつの間に部屋に!」

「ワタシは怨雨えんう……呪神じゅしんです」


 存在するはずのない彼は、僕の言葉など聞こえていないように振る舞った。


「呪神とは、呪いを成就させる神です」

「神……? お前は一体、勝手に部屋に上がり込んで、何を言って」


 美少年は、わずかに口角を上げた。


 ……僕は、自分自身のことを冷静沈着な人間だと思っていた。

 異常事態に身を置かれても、それなりに冷静に思考を巡らせることが出来ると……しかし、本当に意味不明な状況に巻き込まれると、思考が追い付かないようだ。


 ひとまず落ち着くことが大事だ。

 冷静さえ取り戻せば、この状況から僕は容易に抜け出せるのだから。

 ……相手を刺激しないことだ。素性は、どうでもいい。

 誇大妄想を患っているらしいから、追及はやめて、しばらく話を合わせよう。


「いきなり部屋に入ってきたから、驚いたんだ」

「君と直接、話をする必要性に見舞われたので。

 不躾ぶしつけな訪問を、お許しください」


 怨雨の物腰は穏やかで、仕草は上品、立ち姿は優雅だった。

 変な事さえ言わなければ、世の女性の大半を魅了することが出来るだろう。

 彼がドアの前に立ち塞がっているので、ドアを使用しての逃亡をあきらめる。

 窓から? 二階だから、飛び降りでも大したダメージは負わないだろうが。


「窓から飛び降りるなんて、おやめ下さい。

 ワタシは、君に傷ついて欲しくはないのです」


 仕方がない……特に武器は持っていないのだから、多少強引に押しのけてでも。


「余計な事をしないで下さい。……動くな」


 僕が足を一歩、踏み出した瞬間、怨雨の両眼に危険な光がぎらついた。

 足が……足が、動かない。足だけじゃない!

 全身、硬直してしまっている!?

 この状況下で何かを考えることなど、もう出来なかった。

 自分の意志では一ミリも動かせない身体に、氷よりも冷たい戦慄が駆け巡った。


「何だこれ。何をした!? 僕に何をしたんだ!?」


 戸惑いや憤怒をぶつけても、神を名乗る者は表情、顔色一つ変えなかった。


「落ち着いてください。ワタシは、話をしたいだけなのです。

 誓って、君に危害を加えるつもりは毛頭もありません。

 ただ君は先程から、話し合いの場から逃げる事ばかりを考えていましたから。

 事は急を要するのです。

 これで、ワタシが神であることも、ご理解頂けましたよね?」


 どう考えても、理論を組み立てたとしても、認めざるおえない。

 例えそれが常識に反することでも、受け入れざるおえない。

 敗北にも似た、苦い思いをしている僕に、怨雨は言った。


「神流木 隼……知能の低い者を虐めての憂さ晴らしをする愚か者」

「何だと!?」

「知能は確かに高いですが、やっている行為は動物と同じ」

「僕は間違った事をしていない!! 馬鹿は生きている価値がないんだ!!」


 怨雨は、僕の怒鳴り声を醒めた表情で聞いていた。


「勝手な価値観で、自らを正当化して本当に愚か……いや、哀れだ」


 動けない現状で、いくら反論しても相手に届かなければむなしいだけ。

 わかっていても、この僕を愚か者呼ばわりした事が許せなかった。

 それに……怨雨の、僕を見る青黒色の瞳。

 〝見たことある〟その目つきに鳥肌が立った。


「やめろ! そんな目で、僕を見るな!」


 虫唾が走る。

 目の前の存在が、一刻も早く目の前から消え去ってほしい!


 僕の怒りなど知ろうともしない怨雨は、軽く首を横に振ってから言った。


「その黒い感情……晴らしたいですか?」

「――――どうしてくれるっていうんだ? 救済でもしてくれるのか?」


 怨雨はパチンと指を鳴らした。その瞬間、身体が自由を取り戻す。

 膝から力が抜けて、その場に膝をつく。


「救済になるかどうかは、わかりませんが……言霊ことだまを授けましょう」

「……コトダマ? 何だよそれ」

「言霊の力は、全てを真にする力です。

 しかし、たった今、君の言霊は力を取り戻しました。だから、気をつけて下さい。

 迂闊うかつな事を言うと、君自身にも災いが降りかかるかもしれません」


 呪神の言葉は、有り得ないほど脳内に染み渡り、全てを染め変えていく。

 僕はゆっくりと目を瞑り、言葉の意味を理解しようと努めた。


「言葉を操る者は、全て言霊を持っています。

 天帝は、言霊の力で、人間が日々を幸福に過ごせるよう、その神の力を授けられました。しかし今では、物騒な言葉を平然と口に出す人間がいます。

 言霊を持たせたままにしたならば、世界が阿鼻叫喚の死屍累々となってしまいますから人間達の言霊の力は、剥奪しました」


 怨雨は、僕の顔を直視しながら説明を補足した。


「その、言霊という力を、僕に返したということか?」

「返したのではなく、授けたのです。言霊は本来、神の力なのです」

「本当に……言ったことが全て、本当になる、のか?」

「はい。発した言葉通りの事が起こります」

「どんな支離滅裂な事も、か?」

「はい。しかし……世界には秩序というものがあります。

 乱す事は容易い事ですが、正常に戻すことは大変な苦労が伴います。

 人間は、基本……矮小で無力な存在です。大した力もない人間が、世界を捻じ曲げた後の応酬に耐えられるとは……思えないのですが」


 好き勝手やっても構わないが、それなりの反動がくるということか。

 怨雨の遠まわしな言い方に、嫌悪を抱く。


 絶対にやるな、と強く止めないのは……僕のような人間など別にどうなっても構わないと思っているから。禁断の力に溺れ、自滅しても呪神は心を痛めないだろう。

 いや、そもそも心があるのだろうか?



 怨雨が僕の顔を覗き込む。また思考を読まれているのだろうか。

 また何かされるのではないかと身構える。

 しかし、ぞくりとするほど綺麗な顔をした呪いの神様は、美しい笑みを浮かべた。



「君は、この言霊で何をするのですか?」



 何故、笑うのだろう? それが気になってしまい、すぐには答えられなかった。

 しばらくたって……答えるまで、怨雨は立ち去らないと悟り、慌てて答えた。


「――――さあね。上手に使わせて貰うよ、この力……」


 気づいたら、僕の顔には確かに笑みが浮かんでいた。

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