神流木 隼 Ⅳ

 そして昼休み。早速、白鳥に呼び出された。


「白鳥先生、僕に何の御用でしょうか?」


 僕は、先手を打つ事にした。相手のペースに乗せられたくなかったからだ。


「実は、特進クラスでイジメがある、という匿名の手紙が届きまして……」


 僕は、易々やすやすと言葉を出さない。


「クラスの様子を見てどうですか? 辛そうにしている子とか、いませんか?」


 一つ呼吸を置き、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。


「特進クラスは、三クラスあります。

 その匿名の手紙には、 θ クラスにイジメがあると書かれてあったのですか?」


 白鳥は、しばらく黙った。

 匿名の手紙というのは出まかせだ。馬鹿から相談されたに違いない。

 僕が、首謀者だというのも聞いているだろう。

 下手に追及すると、馬鹿へのイジメがエスカレートするかもしれないから、遠回しに訊いているのだ。 まあ、概ね賢明な判断だろう……だが、駄目だな。

 イジメの物的証拠がないのだ。こっちは、いくらでも誤魔化す事が出来る。


「……特進 θ クラスの可能性が高い……と、手紙には書かれていました。

 クラスの様子を見て、どうですか?

 辛そうにしている子とか、いませんか?」

「定期試験前ですので……皆、神経を昂ぶらせていて……。

 …………そうですね、確かに……ノイローゼ気味の人もいますね……」


 これは嘘ではない。皆、勉強のストレスを抱えている。

 だから馬鹿をいたぶる事で、ストレス解消しているのだ。


「神流木君は、大丈夫ですか? 無理していませんか?」

「ご心配ありがとうございます。大丈夫です」

「……そうですか」


 会話が途切れる。その間、白鳥は必死になって、僕を刺激しないようにイジメの事実を聞きだそうと、言葉を選んでいる。その姿が滑稽で…………笑える。


「――――白鳥先生」

「な……何ですか?」


 白鳥は解り易いくらい、反応が大きかった。


「他にお話がなければ、もう教室に戻っても構いませんか?」


 これ以上付き合ったら、退屈すぎて欠伸が出てしまう。

 白鳥は何か言いたげに口を開けたが……結局言葉を発さずに口を閉ざした。


「あの、クラスの変化を見つけたら、どんなに些細な事でもいいから教えて下さい」

「わかりました。それでは、失礼します」


 ドアを閉める間際、背後から深い……自分の無力を悔やむ溜息が、聞こえた。



※※※※※



 夕暮れ。赤く染まった帰路を、美優と共に歩く。

 いつも通りの明るい笑顔を浮かべて美優は、昇降口からずっと喋り続けている。


「今日は三人もお休みの人がいたんだよ?」

「へぇ。そろそろ性質の悪い風邪が、流行り始めたのかな?」

「シュン君が病気になったら、美優、絶対にお見舞いに行くね!」

「こ、来なくていいよ……」

「どうして? どうして?」

「美優まで病気になっちゃったら、どうするんだよ」

「大丈夫! 美優は、丈夫だから!」

「……あはははは」


 僕は勝利した喜びを噛みしめていた。

 白鳥のマヌケ面を思い出し、笑っていた。


 今頃、自分の無力さを嘆いているだろうか?

 身の程を知らないで問題を解決しようとするからだ。自業自得だ。


 問題を解くには、それ相応の力量が必要だと言う事が…教師のクセにわかってなかったのだろうか? あんな新米に、クラスの〝平穏〟を変える事など出来やしない。心配する価値もなかった。初めから全て杞憂きゆうだったのだ。


「シュン君、何かいい事あったの?」

「…………え? あぁ、うん」


 僕の機嫌の良さは、美優にすぐ看破されたようだ。


「テストで、また一番になった!?」

「いや、そうじゃなくて」

「な~に? 美優にも教えてよう!」

「テストといえば、もうすぐ期末テストだな」


 美優は、誤魔化された事に立腹しているようだ。幼児のように、頬を膨らませている。あまりの可愛らしさに、僕は笑みが零れた。


「また、勉強教えてやるから」


 美優はすぐに笑みを見せ、はしゃいだ。


「じゃあ、シュン君の家で!」

「それは駄目」

「何で~?」

「何でって……だから」


 背後でリンッ、とベルが鳴った。

 思わず身体が強張り、反射的に振り返ってしまう。


「隼!」


 低いハスキーボイス。

 軽いブレーキ音を響かせて競技用の自転車が目の前で止まった。

 乗っているのは僕の従兄、水無月みなづき ルキアさんだった。


「お久しぶりです、隼。元気でしたか?」


 名前には敬称はつけないが、いつも誰にでも敬語で話すルキアさん。

 赤みがかった茶髪、整った目鼻……文字通りの美男子だ。

 全国で指折りの大富豪の御曹司で、今はたしか、大学四年生。


「お陰さまで」


 ルキアさんは、僕の隣にいる彼女に視線を合わせた。


「……もしかして、美優ですか? あの、神流木 隼の従兄の水無月と申します」

「覚えています、お久しぶりです~!」


 美優が屈託なく笑う。


「すっかり大人びたので気付くのに時間が掛りました。

 でも……昔と変わらず、まるで天使のようですね」

「あははっ! 嬉しいな~」


 ルキアさんの言葉に美優は、輝く笑顔をみせた。


「ルキアさん、大学は?」

「今日は午前の講義だけです。隼達は学校の帰りですか?」

「はい」


 ルキアさんは、凛とした真顔で言った。


「楽しい学校生活を送っていますか?

 人生は楽しく生きてこそ、意味があるのですから。

 勉強に専念する事もいいですが、たまには息抜きしなければ」

「そうだよぉ、シュン君!

 お勉強できるのもスゴイことだけど、それだけじゃ良くないんだよ!」


 ルキアの言葉に、美優も同意して頷いた。

 僕は、勉強という言葉に反応して、よく考えもせずに返事をした。


「でも、やっぱり勉強出来ないと駄目だよ。

 勉強出来ない馬鹿なんて、生きてる価値が無いんだから」


 ――――言ってから、数瞬後……はっとした。

 美優の顔から笑みが、消えたからだ。

 同時に周りの空気が急速に乾いていった。


「…………それは、ちょっと言い過ぎじゃないですか?」


 ルキアさんはそう言って笑い、何とか空気を変えようとした。

 しかし、美優の笑顔は消えたままだった。

 無表情とも違う……この表情は一体?


「……では、わたしは用があるので……また、会いましょう!」


 まるで逃げるように、ルキアさんは去って行った。


「…………美優?」


 僕は恐る恐る声をかけた。


「…………その……」


 何と言えばいいのだろう……。

 こんな展開は考えてなかった。間違いをするなんて、久しぶりすぎる。

 大丈夫。まだ取り返せるはずだ。

 何か言葉を……美優の笑顔が戻るような、何か……なにか……。


 僕の脳は、あの日と同じく思考を停止してしまっていた。

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