神流木 隼 Ⅲ
週明け……僕は、いつもより早く家を出た。
いつも美優と待ち合わせで行くのだが、しばらく顔を合わせたくなかった。
美優にはしばらく一緒に通えない、それらしい理由のメールを送っておいた。
怒りはしないだろう。というか、美優が怒る姿は想像出来ない。
教室内は誰もいなかった。
席に座り、一息つく……と同時に睡魔が襲ってきた。
最近は、あまり良く眠れてなかった。
目を閉じる度に美優の声が甦って来て、悶絶した。
美優とは恋人同士にはなれない。
彼女は、あまりに無垢で無邪気だから。僕とは釣り合わない。絶対に。
教室内を見渡す。馬鹿の席で目が止まる。
僕のしている事は間違いではない。
馬鹿を追放している行為に罪悪感は覚えない。
しかし……美優に胸を張って、誇れる事でもない……。
今日もまた、気だるい学校生活が始まる。
前は、勉強して過ごせる時間が楽しくて、しょうがなかったのに。
生きる価値のない馬鹿のせいで、余計なストレスを感じるようになってしまった。
毎朝、ウンザリした気持ちで過ごさなくてはならないのは、馬鹿のせいだ。
あぁ……いつにもましてイライラするな。早く休み時間にならないだろうか。
※※※※※
朝のSHR。入って来たのは、担任の男性教師――――いや、違う。
初めて見る、若い女性だ。
亜麻色の長髪を紺のリボンで一つにまとめていて、清楚な感じの女性だった。
整った顔立ちをしていて、皆その美貌に釘付けになっていた。
「本日から
英語を担当します。皆さんの知識がより深いモノになるよう、尽力します」
何だ、辞めたのか……ざまあみろだ。事あるごとに自分は名門大学を出ている事を永遠と話し、授業はよく脱線し、僕には自分の出た大学を勧めてくる。
本当に鬱陶しい奴だった。僕は新担任を見る。
どんな奴なのか……しばらく観察する必要がありそうだな。
「ええと……クラス委員長は、どなたですか」
「僕です」
僕は立ち上がり、笑みを見せた。
「神流木 隼と申します。これからよろしくお願いします、白鳥先生」
新担任からの信頼の眼差しを感じながら、僕は椅子に深く座り直した。
白鳥が教室を出て行ってから、クラスは彼女への期待と前任の秋谷への悪口で盛り上がった。僕は、そんなどうもいい話には加わらない。
有限である時間は、極力有効活用しなければ。
さっきから、幽霊のように机に座り続けている馬鹿の目の前に立つ。
「…………何?」
いつもは黙り続ける馬鹿が口を開いた。
出鼻を挫かれた憤りを、ストレートにぶつける。
「まだ、生きているんだ?」
「……悪いのか?」
言葉が返って来て、驚いた。
馬鹿は馬鹿なりに、自らがクラスの足を引っ張っている事への罪悪感を持っていてそれに成績の悪さに自己嫌悪しているから、今まで僕にどんな事を言われても黙っていた。それなのに――――。
「馬鹿は、生きている価値が」
僕の言葉を馬鹿は鼻で笑い、遮った。
「何を言われようと、もう屈しない」
そして、感情が抜け落ちたかのような無表情で、僕を睨みつけてきた。
僕は、態度の変化の理由に思い当たり、思わず苦笑した。
「まさか――――あの女教師が、助けてくれるとでも思っているのか?
本当に馬鹿だな。教師なんて奴等は、自分の評価の事しか考えてない。
一人の生徒のために身を粉にする教師なんか、ドラマの中にしかいない。
そんな事も解らないのか? 馬鹿って可哀想だな」
「……可哀想なのは、お前だろ」
僕は机を蹴った。
「口のきき方を改めろ! 馬鹿のお前に救いなんてあるものか!」
馬鹿は肩をすくめると、そっぽを向いた。
その生意気な態度に、僕は怒りでその場に釘付けにされていた。
もう一度、蹴るために足を上げたところで、コツコツという靴音が近付いてきた。
僕は馬鹿を睨みつけた後、席に戻った。
筆箱からカッターナイフを取り出し、耳に近づけて刃をゆっくりと慎重に出した。
カチカチ。カチカチカチ。 小気味よい音が鼓膜を震わす。
僕は、この刃が出る時の音が気に入っていて感情が高ぶった時、この音を聞いて落ち着く。僕が自分の席に戻るのを合図に、クラスが一団となって平穏を装う。
それは暗黙の了解。適応力の高い優秀な者が自然と選ぶ、最善の選択だった。
※※※※※
「――――起立、礼」
僕の一言に全員が立ち上がり、挨拶をする。帰りのSHRだ。
出席確認を済ませ、明日の日程が簡単に話される間、僕は馬鹿を何度も盗み見た。
「……以上です。神流木君、号令」
「――――起立、礼」
今日もいつも通りだ。そうだ、どこもおかしいところなんてない。
いずれ……馬鹿のいる席が空席になる。
それでも、このクラスは、いつも通りなんだ。
呼ばれた気がして振り返った。しかし、僕は呼ばれていなかった。
白鳥が呼んだのは、馬鹿だった。二人は小声で何か話している。
そして二人は一緒に教室を出ていった。
咄嗟に、追いかけたい衝動へ駆られたが、もう一人の冷静な自分が止めた。
……大丈夫。大丈夫さ。
たとえ、あの女が僕に疑念を持ったとしても何も出来やしない。
しかし、不安は心の片隅で燻り続けて完全に消え去ることはなかった。
あの女教師は……いずれ、僕に直接何かしらのアクションを起こしてくるだろう。
それに備えて、僕は今からイメージトレーニングをする事にした。
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