神流木 隼 Ⅱ

 僕の名前は神流木かんなぎ しゅん

 物心ついた頃から、新たな知識を身に付ける事が楽しかった。


 小学校に行き、本格的に勉強を始めてから、僕の生活は更に充実した。

 初めてテストを受けた時、何て簡単なのだろうと思った。

 教科書と同じ事が書いてあったからだ。

 ただ違ったのは、ところどころ空欄になっていることぐらいだ。その空欄を埋めて提出すれば、花マルと「100」という数字が赤ペンで帰って来る。

 何回目か忘れたが、テストを返された時、先生が僕に尋ねた。


『一日に何時間勉強しているのか?』


 僕は、確かこう答えたはずだ。


『一回の授業を受ければ、全て頭に入る。予習復習なんてした事が無い』


 時々あるテストをして、結果を持って帰れば両親は喜び、僕を褒めた。


 高学年になると、母親があるパンフレットを取り出した。

 それらは全て難関私立中学校のパンフレットだった。

 僕はその中で一番綺麗な学校を選んだ。それが、この聖童学園だった。

 聖童学園には、成績優秀者だけが集まる特進クラスがあった。

 特進クラスの中でも θ シータクラスは、入試上位の成績者が更に選別テストを受け、合格した者しか入れない……まさに、選ばれた者だけが入れるクラスだった。


 僕は、そこに入りたいと思った。

 いつも周りから秀才と言われているけれども、どれくらいのものなのか……実力を試してみたかったのだ。

 僕は生まれて初めて受験勉強をして、入試に挑んだ。結果は合格。

 そして、あっという間に特進 θ クラスに入る事が決まった。


 気になったので、僕は入試テストと選抜テストで何位だったのか、先生に尋ねた。

 答えは単純明快……一番だった。


 それから僕は、ずっと一番を取り続けている。


 特進クラスの教室に初めて入った時の事を、今でも鮮明に覚えている。

 今までの教室とは、まるっきり雰囲気が、空気が、違ったのだ。

 

 まるで、別世界に来たかのようで……僕は身体が震えるほどの喜びを感じた。

 ここにいるのは、僕と同等の頭の良い選ばれた人間だけ。



 そう思っていたのだ――――入学してから、二ヶ月の間までは。



 選ばれた者しか入る事の出来ない特進 θ クラス。

 このクラスに、存在価値のない馬鹿がいる事が、また判明したからだ。

 今回で三人目だった。本当に、いい加減にして欲しい。


 登校してから朝のSHRショートホームルームが始まるまでと、授業が全て終わってから帰りのSHRが始まるまでに、十~十五分の空白の時間がある。

 何故なら、教師達は職員室へ集まって簡単な会議をするからだ。


 この短い休み時間は自習をするか、馬鹿をいたぶるか、そのどちからをする。

 最近は、後者をする事の方が多くなってきた。

 悪い点を取っているのに、ヘラヘラ笑っている馬鹿を見ると、殺したくなる。

 幼少の頃から、馬鹿に激しい嫌悪感と憎悪を抱いていた記憶がある。

 今までは、そんな馬鹿がいても仕方なかった。普通のクラスだったからだ。


 しかし今いるクラスは、この特進クラスは「頭の良い人間」がいるクラスだ。

 それなのに、あり得ないくらい低い点数を取る奴がいる。

 信じられなかった。最初はショックでおかしくなりそうだった。


 馬鹿は努力しても馬鹿なんだから。学校に来て欲しくない。

 そうだ。いない方がいい。すっきりする。

 だって、このクラスに存在する条件は「頭の良い事」なのだから。

 馬鹿は必要ない。邪魔だ。消えてしまえ。


 そうやって、いつものように罵詈雑言を叩きつけているのだが……。

 今度の馬鹿は変に堪えている。

 前の二人は、二週間で来なくなったのだが……この馬鹿は一ヶ月も耐えている。

 ここまで神経が図太いと呆れを通り越して、感心する。


 ……まあ、いいだろう。いずれ、このクラスから追い出す。絶対に。




 僕は間違ってはいない。馬鹿に馬鹿って言って、何が悪い?

 とにかく、僕は間違ってない。


 先生達だって、他のクラスメートだって、足を引っ張っていた馬鹿がいなくなってせいせいしたって……口に出して言っていなかったけれど、思っている。


 だから、僕は間違ってはいないのだ。



※※※※※



 気だるい一日が終わった。

 僕は、黒い革の鞄に、一日分の教科書とノートとその他を詰め込んでいた。


「シュンく~ん! 帰ろ!」


 澄みきった明るい声が聞こえた。お迎えが来たようだ。

 出入口ドア付近で、ブンブンと手を振っているのは、幼馴染の金城寺こんじょうじ 美優みゆだった。

 家が近くなので毎日一緒に帰っていた。


 彼女は、普通クラスだった。でも、けして馬鹿ではない。

 馬鹿ではなく……限りなく無垢だった。

 少し天然が入っているが、慣れてしまえばどうってことない。


「……帰ろうか」

「うん!」


 首を大きく縦に振る美優。あまりの子供っぽさに、思わず苦笑した。


「何? 何か面白い事でもあったの?」


 自分が笑われている事を知らず、笑顔の美優。


「……あったよ」

「良かったね!」


 美優の澄みきった笑い声が辺りに響いた。

 僕は、幸せな気持ちになると同時に、何故か……悲しくなった。



「綺麗な夕焼けだよ~! 見て見て~!」


 帰り道、大きく夕日を指差して叫ぶ美優。

 恥ずかしいから止めろ……と喉元まで出かかったけど、言わなかった。

「あれ? シュン君?」


 僕が返事をしないので、顔を覗きこんでくる美優。


「シュン君、元気ない……美優も、悲しくなっちゃったぁ」


 どんどん美優の声から元気が無くなり、表情が暗くなる。


「美優は、笑っていないと駄目なんだ」


 口から言葉が飛び出していた。


「…………駄目?」

「美優の笑顔を見れば、僕も元気になるから」

「………………」


 しばしの沈黙の後、美優は満点の笑顔を見せた。


「シュン君、元気出して!」

「ありがとう、美優」


 美優といる時は、余計な事を考えなくていい。本当に……気楽な関係だ。



 美優の家に着いた。ここからは一人だ。


「またな」


 僕は手を軽く振って踵を返した。


「……シュン君!」


 美優が呼びとめるなんて珍しい。だから僕は、無警戒で振り返った。

 ――――軽い衝撃。

 美優が僕の胸に飛び込んで来た。突然の事に僕の脳内は思考を停止した。

 抱きついたまま上目遣いで見上げてくる美優は、僕を見てクスリと笑った。


「美優ねぇ、シュン君の事、だ~い好きっ!」


 心臓が跳ね上がり、顔が熱くなった。

 見事に思考回路がショートしてしまったかのようだ。


「じゃあね!」


 混乱する僕を放置し、美優は鼻歌交じりで家へ入っていった。



※※※※※



 家に帰ってからも、脳内は落ち着きを取り戻さなかった。

 母親の前を無意味に二往復した。


「何やってるの? どうしたの、顔が真っ赤よ?」

「な、何でもない!」


 グチグチ言ってくる母親を無視して、洗面所で手を洗い、顔も洗う。

 冷水で、顔を火照りを冷ました。


「隼、一応熱を測りなさい」

「大丈夫だよ!」


 二階へ逃げる。自室は絶対立入禁止の領域だった。

 一人になると、先ほどの出来事が脳内でリフレインされる。


 ……美優の事だから、口から出る事は全て本心なのだろう。

 …………つまり。あの「大好き」も、本心なわけで。

 ………………だから、つまり、僕の事が――――。



 そのままベッドの枕に顔を埋めた。これ以上は、考えてはいけない。

 

 だって「大好き」って、恋愛感情だけじゃない……。

 友達として「大好き」って言ったのかもしれない……。

 そうさ、そうだ、そうに決ってる。

 あんな、無垢で無邪気な美優が……あんな、大胆に告白なんかするわけない。

 うん、それが一番合理的だ。


 自分で出した答えには、大概納得できるのに。

 今回の答えは、何故がすっきりしなかった。

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