水無月 ルキア END


「わぁあ~、御馳走なんだよぉ!」


 呪華は目の前に並べられた料理に目を輝かせた。


 ローストビーフ、骨付きもも肉のソテー、スパニッシュオムレツ。

 モッツァレラチーズとトマトのオーブン焼き、サーモンのカルパッチョ。

 じゃがいものポタージュスープ、ガトーショコラ、フルーツの盛り合わせ。


 これら全て、ケータリングのサービスだった。

 配達に来た者も、料理を作った者も、まさか僕が生涯最後の食事として頼んだなど夢にも思わないだろう。テーブルのセッティングは自分でやると断った。


 食事をとる場所は、もちろん愛する彼女達の目の前。地下室の棺の前。

 大事にとっておいた、当たり年のフランス・ボルドーの赤ワインも用意した。

 これ以上ない最高のディナーのメニューに大満足だった。


「この当たり年も……私が生まれた年なんです」


 ワインを注ぎ、私と呪華は棺の前で乾杯した。

 グラスの合わさる壮美な音が、静寂な空気を震わせた。

 食事中は何も喋らず、ナイフとフォークをただ動かした。

 あまりに静かすぎる晩餐は、人生の中で一番心が満たされた。


「幸せだ……こんなに幸せな気持ちになったのは……始めてです。

 これから死ぬのに、全然怖くない。生物は本能的に死を回避しようとするのに……生存しようとするのに……私はやっぱりおかしいのでしょうか?」

「ルキアは、おかしいから呪華は好きなんだよ?」


 彼女は快楽殺人鬼である私を気に入ってくれた。誰も知らない、本当の私を。

 普通の人間と同じように振舞わなければならないストレス。

 異端と思われてはいけない。群れから逸脱してはいけない。苦しい重圧。


 その全てを、ぶち壊してくれたのは呪華だ。


 明るくて、自由奔放で、無邪気で……自分の欲求にひたすら正直で……残酷と狂気が極上の美をもってして具現化した呪神。

 何度でも思う。呪華と出会えて、本当に良かった……。


「呪華、そろそろにしませんか」


 ワインを一気の飲み干して、私は呪華の手を引いて棺の前へ。

 しっかりと呪華の華奢な左手を握り締める。


「いこっか」


 愛らしい声が耳を心地よく、くすぐる。

 生命の終わりをもって永遠の契りを交わそう。

 それを、人は呪いと呼ぶかもしれない。

 けれども呪華とずっと一緒にいられるのなら……私は構わない。


 彼女に向かって黙って頷く。呪華も同じく返してくれた。

 私は深呼吸してから、言霊を使った。


「この五人の彼女達が受けた臨終の苦痛を百倍にした、最悪の死を私に」

「え?」


 呪華の、どんな宝石よりも美しい瞳を見た瞬間、私は息が苦しくなって言葉を発せられなくなった。喉を掻き毟れば掻き毟るほど、苦痛は増していく。


「ルキア、話してよ? 死ぬまでお喋りしようよぉ」


 呪華のお陰か、苦痛は消えないが話は出来るようになった。


「呪華……もっと……早く出会いたかったです……」

「何で?」

「呪華は……私と同じく……おかしいから……」

「ありがとう」

「おかしいから……仲間……なかま……ですよね?」

「そうだよぉ☆」

「嬉しい……良かった…………ふぅぐっ!」


 舌が膨張したように感じた。嫌だ。私は、まだ呪華と話したい。

 死ぬまで話がしたいんだ。出来るはずだ、そうでしょう?

 言葉に出したから。言葉に出せば……言霊を使えば……。

 しかし、私の口からは言葉が出て来なかった。ただ苦しげな息を吐く音だけ。

 何も話せない。言葉にならない。苦しくておかしくなりそうだ。


「ルキア、苦しい?」


 呪華は細く長く美しい指先で、脳天をくすぐるように撫でた。

 そのお陰で地獄のような苦しみが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。


「ルキア、死にたい?」


 死にたい? そうだ、死んで神様になるんだ。

 神様になって呪華と一緒になるんだ。呪華と永遠に一緒になるんだ。

 これほど苦痛に満ちた死など、どうってことない。

 だって最愛の者と一緒になれるのだから。

 彼女を、呪華を手に入れられるのだから。


「呪華ねぇ、こんなに人の死に際を見たりしたの、初めて」


 彼女の澄んだ声が微かに聞える。


「今まで呪華と一緒にいた人は皆、呪華の事、嫌いって言って死んでいったの」


 それは優美な芸術的な旋律のようで。


「最初は綺麗だ、好きだ、愛してる……って言ってくれていたのに。

 死ぬ時は、いっつも呪華の事を呪いながら、憎しみながら死んでいくの」


 初めて聞いた彼女の声音は、耳から私の心に染み込んでいく。


「ねえ、どうしてルキアは憎まないの? 呪華は死んでって言ったんだよ?

 それなのにルキアは迷わず、躊躇わず、呪華の為に死んでくれた……」


 呪華は私の目を覗き込んで、囁いた。


「どうしてなの?」


 そんなこと。そんなこと……わかっているくせに。

 何度も何度も言ったじゃないか。一緒にいたのに、わからないのか?


 ……いや、彼女は不安なんだ。信じられないんだ。


 人間の私では、想像も出来ない悠久のような長い長い時の中で。

 数え切れないほど多くの人間達に巡り会ったのに、彼女の素晴らしさに気付く者はいなかったんだ。私だけが。私だけが、彼女を理解する事が出来たんだ。


 言わないと。伝えないと。最期に、これだけは伝えたい。

 例え肉が裂けようと、骨が砕けようと、激痛がこの上、私を苦しめようとも。

 最愛の彼女に、最後の愛の言葉を――――。


「私は、永遠に、呪華を……愛しています」

「…………ルキア、うれしい……ありがとう……」


 あぁ、私も彼女を救えたんだ。微かな喜びが湧き上がり、一瞬で掻き消えた。



 次の瞬間、身体がバラバラになったような痛みが脳を灼いた。

 身体の感覚が無い。苦痛の海で溺れているかのようで今、どんな体勢なのか立っているのか座っているのか横になっているのか……上下左右もわからない。

 視界は闇だ。もう何も見えない。呪華の姿も。五つの棺の中の彼女達も。

 もう何も聞こえない。呪華の声も。自身の苦しい呼吸も。しかし痛みは消えてくれない。消えない。むしろ増していく。頼む、誰か、助けて……助けて!


 私は死にたいんだ! 死にたい、死にたい、死にたい……!!


「……こ…………ころ……殺し……て……」


 ……殺さないと。殺してって言われたから、殺さないと。

 両手を首に回して。いつもやっているみたいに。渾身の力を込めて。

 そして殺したら、死体を棺に入れて眺めるんだ。

 いつまでもいつまでもずっとずっとずっと。

 椅子に腰かけ、お気に入りのワインを持って、一日中ずっと。


 呪華と、一緒に――――。







「永遠にバイバイ! お馬鹿さん☆」


 その言葉が、私に贈られた弔辞の言葉だった。

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