神流木 隼 Ⅸ

 右腕が動かないのは、言霊の所為じゃない。

 馬鹿が、むやみやたらに滅多刺しにしたせいだ。もう右腕は使えないだろう。

 左頬は熱を持った痛みで疼く。傷が残るだろう。くそ、許せない。


 栄永 利口は先程から支離滅裂な言葉を喚いている。

 既に精神が、おかしくなっているようだった。ここまで来ると哀れだ。


 しかし、いつまでも大人しく刺され続けるつもりはない。

 何とかしてこの状況を打開しなければ。みすみす殺されて堪るか。


「恨月、何を怒ってるの? さっきカッターナイフを突きつけたからかな?」


 利口が怨雨に向かって話している。コンゲツ……?

 怨雨は眉間に皺を寄せて、唇を噛みしめている。


「ねえ、ちょっと……恨月!? 黙ってないで何か言ってよ!

 じゃないと僕が馬鹿みたいじゃないか!?」


 ケタケタ笑いながら利口が、怨雨に話しかけている。

 僕はわけがわからず、利口と怨雨を交互に見た。

 利口は僕に気付いたのか、僕に近付いて僕の視線の先を見た。


「……まさか、見えてるのか? 恨月が!?」


 質問されても答えられない僕は、睨みつけた。

 利口はとっさに言霊で僕の話す機能を元通りにした。


「おい、怨雨……何だ……コンゲツって?」


 目の前の呪神は尋ねた僕に一瞥を向けると、利口に向かって一礼した。


「初めまして、ワタシは怨雨と申します」

「エンウ? え? 何? 何を言って……!?」

「恨月は、ワタシの双子の兄です。


 ……恨月、見ているのなら前に出てくればいいではないですか」

 その言葉が終わると同時に怨雨と瓜二つの美少年が現れた。


「怨雨……一体、これは?」

「恨月、コイツは誰だよ!?」


 僕と利口は、ほぼ同時に問いかけた。

 二人の呪神は、互いにそっぽを向いて答えた。


「君には、知らせる必要はないと思いましたので言いませんでした」

「利口、さっき聞いた言葉通りだ。怨雨は、ボクの双子の弟だ。

 ただ勘違いしないで欲しい。怨雨は、ボクとは違う」


 恨月は、鋭い眼差しで怨雨の横顔をきっと睨みつけた。


「怨雨。これから、どうするつもりだ?」


 怨雨は、恨月の方には目もくれず利口を見つめていた。


「恨月こそ。どうするおつもりなのです? 彼に言霊を与えるなんて……」

「憎悪は復讐しなければ晴れないのに、利口は死を選ぼうとしていた。

 どうして憎悪に侵された人間は、簡単に死のうとするんだ?

 どうして仇なす敵を滅ぼそうとしない?」

「人間は、あまりに非力で愚かだからです」

「だから言霊を授けてやったんじゃないか。

 お陰で、面白いほど憎悪に忠実になったぞ。

 まあ、多少無駄な事をさせてしまったが……」

「あの異端の所為ですね」


 呪神共が何を話しているのか、そんなことよりも僕は大事な事を思い出した。


「僕は動ける、もう二度と動きを封じられる事は無い!!」


 言霊で、身体の自由を取り戻した僕は、利口に飛びかかった。いきなりの事に振り返る事しか出来なかった馬鹿の顔面に、左拳をお見舞いした。

 効き腕ではなかったので大した威力ではなかったが、怒りに任せて突き出した拳は奴の鼻の骨に当たって嫌な音を立てた。利口は呻きながら仰向けに倒れた。


 今度は僕が馬乗りになる番だった。その右手に握られているカッターナイフを奪おうと手を伸ばす。しかし片腕だけでは明らかに不利だった。


 利口は血塗れの顔を近づけて、僕に頭突きを喰らわせた。

 ガンッという音が脳内に響き渡り、意識が朦朧とした。


「よ、よくも……!」


 利口は顔を押さえながら立ち上がり、フラフラと呪神へと向かって行った。


「どうして神流木にまで言霊を!?

 僕だけに与えてくれたんじゃなかったのか!?」

「いつボクがお前だけに言霊を授けると言った?」

「僕と神流木が同じだなんて認めない認めない絶対に認めないっ!

 僕は誰よりも頑張って頑張って苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで!

 そんな僕と神流木が、同じ? 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」


 僕は何とか使える左腕を駆使して、這うようにしながら階段へと向かった。


「勝手に逃げてんじゃねえぇえええよ!!」


 罵声と共に背中に激痛が走った。

 圧し掛かられているのか、踏まれているのか、刺されているのか。


「神流木 隼、僕がどれだけ痛めつけたとしても死なない。死ねない。

 死んで楽になることなんて、ない!!」


 僕は首を捻って後ろを向こうとしたが、後頭部を掴まれて額を地面に叩きつけられた。利口は笑いながら、何度も何度も頭を前後に振り続けた。

 首の骨が、おかしくなる。


「あまりやると首の骨が折れてしまいますよ?」

「大丈夫、恨月! コイツは、死なない、から!!」

「ワタシは怨雨です。利口」

「何? 似ているからわからないよ!」


 注意が呪神の方へ逸れたので、その隙に言葉を発した。


「手を放せ……そして死んでしまえ……クズがっ!」

「あっははははははははは!!」


 僕の頭から手を放す際、頭皮ごと髪の毛を毟り取られた。


「僕は死なないんだよ! とっくの昔に言霊で言ったから! ねえ、恨月?」

「確かに言っていたが……」

「言霊は全てを真にする力なんでしょう!? 僕は不死身なんだ!

 だから……殺されない! お前なんかに負けない!

 もう、もう、もう負けたりなんかしない!!」


 何か言いたげな恨月を遮って、利口は叫び続けた。

 死ね、と言ったのに死なないという事は……本当に奴は不死身なのか?

 言霊の力を疑うつもりはないが、こうも簡単に死の概念が覆されていいのか?

 ただ言葉を発するだけで生死すらも操れるとは……。


「何を考えているのですか?」


 僕が自由になり、話せるようになってから怨雨が近寄って目線を合わせて来た。

何の感情も浮かんでない青黒色の双眼が、薄気味悪かった。

 明らかに味方ではない存在に、自身の考えを曝け出すのは賢明ではない。

 今更ながら右腕が痛い。苦痛のあまり感覚がない。

 額も割れているようだ。あの馬鹿……言霊がなかったら死んでいるだろうな。


「……言葉を発した者が、死んだなら……そいつが発した言霊は無効になるのか?」


 自分の考えは言わないが、情報を得たい。僕は痛みを堪えて言葉を発した。


「いいえ。一度発した言葉の力は、消える事はありません」


 怨雨は、此方を向いてゆっくりと笑みを浮かべた。

 笑顔は初めて見たが、笑みを浮かべると……美形なのが際立って見える。


「憎悪に呑まれ、壊れた彼に言霊を使って対抗する事は出来ませんよ」


 美しい顔を近づけて怨雨が耳元で囁いてきた。


「言霊が最も効力を発揮するのは、人間の黒い感情です。

 君にソレはありますか? あったとしても、彼には敵わない。

 彼のおぞましいほどの殺意に畏縮してしまっている君は、殺されるしかない」

「殺されるしかない、だって?」

「そんな結末は、さすがの君もイメージトレーニングしていないでしょう?」

「これが僕の最期だって? こいつに殺されるのが末路だって?」

「散々、言葉で他人の心を殺してきた報いですね」


 僕が怨雨を見ると、その横顔には紛れもない笑みを浮かべていた。

 人の不幸をこれ以上ないくらい喜んでいる、至福の表情だ。

 コイツ、僕が不幸な事が嬉しいのか? 殺されるのが嬉しいのか?


「人間が作った言葉ですが……《口は禍の門》ということわざがありますね?

 うっかり言った言葉が不幸を招く原因となるから、口を慎めと。

 本当に、的を得ていると思います。人間が作り出した言葉とは思えないほどに」

「口は禍の……?」

「事が起こってしまってから、取り返しのつかない状況になってから、人は今までの行いを後悔します。

 けれども君は、自分は間違っていないと未だに思っているのでしょう?

 神流木 隼……そんな君はこれから待ち受ける運命に身を委ねる他、ありません」


 同じ言葉を一昨日、美優から聞いた。


『君は、邪悪だよ……邪悪。美優に近寄るな。汚らわしい』

『口は禍の門っていうでしょう? 君は、取り返しのつかない事をしたんだよ』


 何かが解りかけている気がする。何かが掴めそうな気がする。

 それなのに思考は、その先を考える事を拒否していた。

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