栄永 利口 Ⅺ

 上空を、パラシュート無しで飛んでいるような、不安定な爽快感から我に返った時目の前には神流木 隼が倒れていた。

 頭を渾身の力を込めて、踏みつけてやろうかと思ったが、思い直してやめた。


 いつの間にか屋上だった。教室からここまで、よくここまで運び出せたものだ。

 でもここなら広いし、復讐の舞台にはいいかもしれない。

 目の前で無抵抗で気を失っている神流木を見ると、笑いが込み上げてくる。


 それにしても……こんな奴に、本当に……今まで何を怯えていたんだろう?

 ちょっと頭が良いからって、学校一番だからって、それが何なんだ?

 こんな奴に、僕の人生を全てを滅茶苦茶にする資格なんてないはずなのに。

 これから思い知らせてやるんだ。僕よりも苦しんで貰わなくっちゃ。


 ふと、復讐をするにあたって、どうしても使いたい物がある事を思い出した。

大急ぎで教室に戻って、中身がぶちまけられている奴の鞄の中を漁った。

 金属製の筆箱の中にアレが……カッターナイフがあるはずだ。

 あっさり見つかったソレを手に取り、刃を出してみる。カチカチカチッ……。


 時々、神流木は見せつけるように刃を出し入れしていた。


『こうさせるのはお前のせいだから』


 これ見よがしにカッターナイフを目の前で振って、言っていた。


『お前みたいな馬鹿がいるから、僕のストレスが溜まって、こうでもしていないと落ち着かないんだ。全部お前のせいだ。お前みたいな馬鹿のせいなんだよ!』


 そう言って僕が座っている椅子を足蹴りしていた神流木。

 あの時は成績が下がりに下がって最下位になったショックで、神流木の言葉が当然のように僕の心に突き刺さっていたが……今、思い返せば何て下らないんだろう!

 もし、今の僕があの場にいたなら……あいつの手からカッターナイフを奪い取ってその喉笛を切り裂いてやる事が出来るのに!

 そして、笑って見ていた傍観者共も全員、皆殺しにして!


 湧き上がる殺意に身体がぞくぞくする。僕はぶるりと身震いした。


「人間の憎悪は尽きる事が無いな……フッ」


 振り返ると恨月だった。机の上に腰掛け、足を組んで、腕組までしている。


「こうさせたのは、呪神だろ」


 僕が睨みつけると恨月は澄んだ青黒色の瞳を細めて、僕を見下してきた。


「ボクは、言霊を与えただけだ。

 根拠のない甘言を息を吐くように話したのは、呪華。

 それを鵜呑みにしたお前が取り返しのつかない過ちを、殺人を犯した。

 しかも殺したのは〝血の繋がった家族〟だ。

 これでお前は晴れて……天涯孤独となったわけだ」


 恨月は嬉しそうに更に言葉を紡いだ。


「そして……もはや死ぬ事も出来ないお前は、やり場のない怒りを憎しみへと変え、自分を虐めた者にぶつける。これからが、楽しみだ。

 お前がこれからどれだけの」

「あのさ、恨月」


 僕は笑顔で彼に向き直って、言った。


「それ以上言うと、二度と喋れなくするよ?

 今は、とても気分いいから許してあげるけど、僕は神流木みたいに上から目線で話されるとムカついてくるから。 次、口開いたら殺すから、永遠に黙って」


 カッターナイフを突きつけると恨月は目を細めたが何も言わず腕を組んだ。

 もう僕は呪神でも怖くない。怖いものなんて、何も無い!

 今なら何でも出来そうな気がする。この万能感は病み付きになりそうだ。



※※※※※



 既に外は暗かった。


 僕は、カッターナイフの刃を出し入れしながら、屋上へ向かう。

 奴が愛用している刃物で、身体中を切り刻んでやる。本当は重い金属バットや斧で全身をスタボロにしてやりたいけれども、それではすぐに死んでしまうから。


 僕は奴に苦しみと痛みを与えたいんだ。殺すのは、その後。

 きっと痛いだろうなぁ、こんなので皮膚を切られたら。

 あいつは泣くかな? 叫ぶかな? 許してくれ、とか言うかな?!


 許さない。許さない許さない絶対に許さない。僕の不幸。全ての元凶。


 あいつのせいだ、あいつのせいだ! あいつのせいで、こんな事になったんだ。

あいつがいなければ僕は未来永劫、永久に幸せだったのに、あいつが壊したんだ! あいつがあいつがあいつがあいつがあいつがっ!!


 謝っても許さない。傷ついても許さない。死んでも許さない。痛めつけて苦しませて歪ませて殺して殺して殺して殺し殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!

 あぁ、あぁああぁ! とっても楽しみだなぁあああああああああ……!


 嬉しくて震えて来た僕は、笑いながら屋上のドアを開けた。


 屋上は、よく風が通って心地良かった。

 普段から立ち入り禁止の看板で塞がれていて、施錠されている屋上には転落防止のフェンスなど不要だった。屋上からの夜景は、初めて見たけれど悪くはなかった。


 僕は美しい景色から、目の前のクズに視線を向けた。

 神流木は意識を取り戻していた。

 次の瞬間、狂喜で破裂しそうだった胸から何にも無くなった。


「……神流木 隼。動く事は許さないけれども声は出しても構わないよ」


 言霊は効いたはずの神流木は無言で、しかも生意気な眼差しで僕を見ていた。

 今、どういう状態が理解出来てないようだ。どっちが馬鹿なのか……。

 僕はゆっくりと馬乗りになった。右のカッターナイフは後ろに隠した。


「ねえ、僕の事、思い出してくれた?」

「……馬鹿の名前は覚えるだけ無駄だからな、知らない」

「そう? じゃあ自己紹介させて貰おうかな?

 僕の名前は、栄永 利口。二ヶ月前までθシータクラスにいたんだ。

 お前のせいで学校に行けなくなったんだ。それは思い出してくれた?」

「僕のせいだって? 馬鹿だから来れなくなったんだろ?」


 僕は神流木の左頬にカッターナイフを突き刺した。

 刃は面白いくらいに皮膚にめり込んだ。頬骨に当たった感触がした。


「ぎゃあぁああああああああああああああああっ」

「あはははははははは、お前でも痛いと叫ぶんだ? ははっ、面白いな。

 もっと叫んでみろ」


 突き刺した刃を耳の方へ滑らす。

 骨に当たって上手く動かせず、歪な切り傷となった。どんな激痛でも、悶える事は出来ない。ただ叫ぶだけ。

 永遠に叫び続けることは不可能だから、息が切れるまで好きなだけ叫ばせた。

 声が小さくなれば、別の所を切った。傷つける言葉しか話せない口を切り裂いてしまおうかとも考えたが、それは後回しにして効き腕の肩から指先に掛けて、刃を何度も何度も何度も何度も何度も突き刺した。


 悲鳴と絶叫にも飽きた所で、再び言霊で声を奪った。

 ただ僕の一言で、一人の人が支配出来るのが愉快で快感で堪らなかった。


「あはははははは。へぇ~……お前の中を駆け巡る血も赤いんだぁ? てっきり冷血漢なお前には、青色の血が流れているもんだと思っていたよ。意外だ」


 血で真っ赤になった両手とカッターナイフを服で拭う。

 心臓が痛いくらいに速い。興奮で脳内は沸騰して、視界がチカチカしていた。


「それはそうと。本当に久しぶりだな、こうやって顔を合わせるのは。

 少し前までは毎日毎日毎日毎日毎日、お前は僕に様々な嫌がらせをしたよな。

 一つ一つ、挙げていこうか?

 抜け落ちていたらごめんよ? なにせ、あまりにも多すぎるんだから。

 えぇっと……定番な事、と言ったら可笑しいのだけれども、一番印象に残っているのは――――休み時間のチャイムが鳴ると同時に、僕の席までわざわざやって来て、僕がどれだけ劣っているか長々と述べて、なじり、罵り……生きている価値はないと大声で言ってくれたよな。あれは本っ当に辛かったなぁ。

 小テストの点数を、クラスの皆に教えて一緒になって嘲笑い、持っているだけ無駄だとノート類も破り捨てて、食べる資格がないって僕の昼食を床に叩き落として、授業で答えられなかった事をずぅーっと耳元で囁いてくれて、僕の事をとにかく全て否定して馬鹿にし続けて……」


 話せなくなった神流木 隼の代わりに、僕は壊れたかのように話し続けた。

 それは、とてもとてもとてもとっても楽しくって、言葉が止まらなかった。


「お前が羨ましいよ、神流木。ろくな苦労も努力も勉強をしなくとも、この学校に居られるだけの出来の良い頭を持っているお前が。本当に羨ましくて妬ましい……。

 なあ、死んだら、その頭をかち割って脳味噌を引きずり出して見てもいいよな?

 どうなっているか、是非見てみたいんだよ。前々から、やりたいと思っていたんだ構わないよなあ? まあ、今のお前に拒否権は無いけれどさ……!」


 カッターナイフを投げ捨てて、神流木の頭を踏みつけた。

 ぐりぐりと踵で圧迫してやると痙攣するかのように身体を震わせている。


「今まで散々馬鹿だと見下していた者に、見下されるのはどんな気分だ?

 僕はこれ以上の喜びはない。あの神流木 隼が、学年一番の優等生が、無様に醜く地べたに這い蹲っているのを見下せて最高の気分だ!

 お前が悔しそうに顔を歪めているのを見るだけで、ね!!」


 こいつも同じ人間なんだ。特別なんかじゃない、普通の人間だ。

 刺せば血も流れるし、痛がる。僕と何一つ変わらない同じ人間なのに。

 ただ学校の成績なんてもので区別されて、いじめていじめられて。


「馬鹿だよ、神流木。お前が、お前自身が一番の大馬鹿野郎じゃないか!!

 くっだらないイジメなんかしてさあ!?

 僕の人生を滅茶苦茶にしてくれてさあ!?

 あーっはっはっはははははははははははははははははははははは!!!」


 足元がふらついた。頭の中でガンガン音がする。胸も苦しい。

 僕は、その場に尻餅を着いた。気付けば荒い呼吸を繰り返していた。

 話し過ぎた事で息継ぎをし忘れて、酸欠状態になったようだ。

 僕は何度も深呼吸を繰り返して、落ち着いてから残りの言葉を発した。


「もっと悲しめ苦しめ怒れ呪え絶望しろ!!

 僕が感じた苦痛を億倍にして返してやるから余さず受け取るがいい!!」


 まだ足りない。まだまだ足りない。こんなんじゃ、全然足りない!

 思いつく限りの悲しみと苦しみと痛みと……絶望を、奴に与えてやりたい!!


 ――――いや、簡単な事だ。


「神流木 隼……これからお前は、死にたくなるくらい絶望するから」


 そう。こうやって言葉に出してしまえばいいんだ。

 だって言霊は、全てを真にする力なのだから。

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