神流木 隼 Ⅷ

 ――――気がついたら僕は、学校の屋上にいた。仰向けに倒れていて、拘束されているわけでもないのに身じろき一つ出来なかった。

 既に日は暮れて、すっかり夜だ。肌寒い。ズギッと後頭部が痛んだ。

 一体、何がどうなっているんだ。


「時が経つにつれて……人の世から星空が見れなくなっていく。

 どうして人は、美しいものを消しても平気なんでしょうか」


 傍には呪神、怨雨がいた。こちらを一瞥すらせず、言葉を紡ぐ。


「……神流木 隼。君は、まだ栄永 利口の言霊に縛られたままですから、動く事も話す事も出来ませんよ」


 まるで心配した様子もなく淡々と呟かれた。誰だよ、サカエ トシアキって。


「たった二ヶ月前に追い詰めた者の名前すらも、君は忘れてしまったのですか?ならば……このような状況に陥ったのは、君の自業自得で因果応報ですね」


 そうだ。今日、放課後に僕が一番最初に追放した馬鹿がやって来たんだ。

 奴に突き飛ばされて、思いっきり後頭部を床に打ちつけた。

 それで意識を失って、今の今まで失神していたという事か。

 命があって、記憶も知能も特に異常はないようで心底ほっとする。


 それにしても馬鹿は、馬鹿な事しかしないのだと確信し、改めて吐き気を催すほどの嫌悪感が湧き上がる。


「全く……自らが犯している愚行を棚に上げて、よくもそこまで他者を馬鹿にすることが出来ますね……呆れを通り越して感心します」


 助ける気は微塵みじんもなさそうな怨雨を無視して、現状況を整理する。

 周囲を見渡したくても首すらも動かすことが出来ないので、聴覚を駆使して周囲の様子を探る。聞こえるのは冷たい風が運んでくる雑音だけだ。

 人の足音らしきものは、聞こえない。


 放課後から何時間、ここに放置されていたのだろうか?

 これから、どうなるのか。馬鹿が僕に復讐をするというのか。

 僕は、間違った事はしていない。それなのに、馬鹿の自分勝手な理屈で仕返しされるなんて甚だ心外だ。学校にも来れなくなった落伍者のクセに……苛立つ。


 怨雨は、無関心な瞳で僕を見ている。僕が睨み返すと、言葉を返してきた。


「君は六年前から全然変わってない……いや、ますます酷くなっています」


 ……頭の中を走るのは、忌まわしい封印した記憶。



 それが今、鮮明に甦った――――。




※※※※※



 あれは、さわやかな初夏の薫り漂う、清々しい日の出来事だった。

 小学四年生だった僕は、はしゃぐ同級生達を白けた眼差しで見つめていた。

 学校からそんなに離れていない、ただの大きな公園に来ただけなのに、まるで幼稚園児に戻ったかのように羽目を外す奴等を見て、レベルの低い奴等だと呆れていた。


「シュンくぅ~ん!」


 耳障りな喧噪の中……彼女の声だけがクリアに耳に届いた。

 僕は振り向かなかった。だって、金城寺 美優が呼んだのは僕じゃないからだ。


 ――――あの日まで当たり前のように彼女の隣に居て。

 そして、当たり前のように、彼女と接していた存在。


 名前は光下みつもと しゅん。僕と異句同音の名を持つ者。僕とは正反対の人種だった。

 学年の中でも底辺の成績で、宿題をやって来ても間違っている事が多く、いくら努力をしても実力がないので一向に成績が上がらず、先生も手を焼いていた。


 それなのに、家が近いというだけで奴は美優と一緒にいた。



 肌を刺すような真夏の日差し……それから逃げるように木陰に隠れた。

 ミンミンッ、と力尽きるまで蝉が鳴いている。

 木の根元には既に死に絶えている他の蝉が転がっていた。

 無意識の内に右足を上げ、蝉の死骸を踏み潰そうとした。


「だめっ」


 すると横から腕が伸びてきて、左肩を押した。

 片方の足で立っていた僕は、すぐにバランスを崩して尻餅をついた。

 突き飛ばした奴は蝉の死骸を両手で包むように掬い上げると、木の根元に穴を掘りその穴の中に埋め直した。


「……知ってる? セミってね、悲鳴を上げることがあるんだよ?」


 光下 俊は、そう言って僕に微笑んできた。

 慌てて目を逸らして、立ち上がった。服についた土を乱暴に払った。


「仲間を呼ぶために鳴くときは〝本鳴き〟。

 他のオスを追っ払うための〝じゃま鳴き〟。

 メスに求愛するときは〝誘い鳴き〟。

 そして、敵に襲われた時は〝悲鳴〟を上げるんだ」


 一気に話した後、僕を見上げてまた笑いかけてきた。


「鳴き声の種類なんて、興味ない」

「あのねミンミンゼミは、だいたい朝の七時から午後の三時まで鳴くんだ」

「蝉の生態なんか僕には必要ではない知識だよ。

 大体、僕を突き飛ばしておいて謝罪の言葉もないのか?」


 これだから馬鹿は嫌いなんだ。


「あっ、ごめんね! もう少しで神流木君、セミを踏んじゃいそうだったから」


 悪びれもせず奴は言った。

 僕は距離を取りたくて、小走りで奥へ進んだ。


「どこに行くの?」

「ついて来るな」

「ねえ、待ってよ!」


 拒絶したのに……追ってくる。それ以上は無意味であると悟って口を噤んだ。


「そっちは、行っちゃいけないって……!」


 〝ソレ〟は、雑草が生い茂る、少し開けた場所に忘れ去られていた。

 所々、苔がこびりついた古い竪井戸。

 今では使われていないはずなのに、蓋が外れていた。


「わあっ、何コレ!?」


 僕を押しのけて、馬鹿は身を乗り出して、井戸の中を覗きこんだ。


「深いなあ……百メートルくらいあるかなあ?」


 あまりに馬鹿馬鹿しい台詞に、僕は呆れてしまった。


「せいぜい二十メートルから三十メートルくらいが妥当の数字だよ」


 深さもわからないなんて、馬鹿にも程があると付け加えたいぐらいだった。


「へえ~! そうなんだ!」

 返事が貰えて嬉しいのか、笑いかけてきた。

 この笑顔を見ると無性に苛立ってくる。


「あのさ。井戸って、あの世と繋がっているんでしょ?」

「……はあ?」

「大昔の人で、井戸を通って地獄に行った人がいるんだって!

 おばあちゃんが言ってた!」


 自分で言った言葉なのに、怖くなったのか辺りをキョロキョロと見渡す。


「――――馬鹿じゃないの?」

「え?」


 もう限界だった。これ以上付き合いたくなかった。


「常日頃から馬鹿だと思っていたけれども、もう我慢出来ない!

 そんな馬鹿げた迷信を常識のように話すな!

 虫酸が走るんだよ、馬鹿馬鹿しくって!

 お前も、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりでもううんざりだ!!」

「君は間違っているよ!」


 まさかの返事に、僕は一瞬の脳裏が真っ白になった。

 そして一気に怒りの色に染まった。


「この僕に間違ってると言える立場なのか!? 馬鹿のくせに!!」

「どうして、人を見下してばかりなの!?

 どうして、みんなと仲良くしようとしないの!?

 このままじゃ、神流木君は、ずっと一人ぼっちだよ!?」


 ここまでなら僕だって『あんな事』はしなかった。一線を越えなかった。

 奴が、続けて言った言葉に僕は完全に我を忘れてしまった。


「だから君は、美優ちゃんにも嫌われているんだよ!!」


 怒りが殺意に昇華した。絶対に……謝っても許さない!

 両手を突き出して、右手で奴の帽子を鷲掴みにし、左手で右肩を掴み上げた。

 突然の事にパニックになった奴は、両手を滅茶苦茶に振り回した。

 掠りもしなかった。泣き叫ぶ声が、異様に耳障りだった。


 僕は赤い帽子をもぎ取り、井戸の中へ放った。


「ああっ!」


 奴は、井戸の中を見る為に、かなり身を乗り出した。

 僕はすぐさま奴の両足を持ち上げ、勢いよく前へ押し出した。

 悲鳴を上げる間もなかった。そのまま勢いよく、井戸の中へ落ちていった。

 重たい物が落ちる生々しい音。それを聞いた瞬間、僕は――――。


「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ……」


 井戸の淵を掴んで呪文のように同じ言葉を繰り返した。

 消えろ消えろ消えろ、馬鹿も、嫌な記憶も、何もかも全て……消えてしまえ。

 そして、僕の望み通りに全てを消し去ることが出来た。



※※※※※



「いくら記憶を、忘却の彼方へ葬り去ったとしても。

 ……犯した罪が消える事はありません」


 怨雨は言った。漆黒を纏った非道な呪神は無表情で続ける。


「――――光下 俊が死んだ後、悲しみに沈んだ彼女の隣には、君が居座った。

 そして……長い時間を掛けて、君は金城寺 美優の幼馴染となりました。

 君が今まで金城寺 美優と深い関係にならなかったのは、無意識の内に彼女への罪悪感があったからです。彼女の〝本当の幼馴染〟を殺してしまったから……」


 怨雨は、軽蔑の眼差しで僕を見下して言った。


「偽りの平穏は、楽しかったですか?」


 僕は答えようとして、出来なかった。

 ゆっくりとした足音と狂ったような笑い声。

 僕を屋上まで運びこんだ存在が、やって来たからだ。

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