第8話 小さなわかだまり


「あ、一ノ瀬さん」


「おは、おは、おはよう!!」



次の日、私は7時に出勤出来なかった。二階堂くんに挙動不審な挨拶をして、更衣室へ逃げ込む。



「はー…」



自分のロッカーを開けながらため息をついた。


ああ、寝不足。二階堂くんのことを考えてなかなか寝れなかった。と言ってもいくら二階堂くんのことを考えていても、何故かあの狼の被り物のことばかり思い出す。


それを繰り返していたらソファで寝ていて、気づいたら朝になっていて、今に至るというわけだ。



「どうしたものか…」



二階堂くんの告白はもちろん受け取れない。好きじゃないのに付き合うなんて考えられない。


私が悩んでいるのは、それをどうやって彼に伝えたらいいのかということだ。辛気くさく言うのもあれだし、笑いながら言うのも馬鹿みたいだし。


その時店長だったらどうするんだろう、そんな風に私はずっと頭で繰り返していたのだった。








――――――――――――――

――――――――……



「くまさんだ」



一人で昼食を食べていると、いきなり視界に狼が飛び込んできた。



「ひっ」



私は思わず身体をのけぞらす。狼は笑いながら私から身を離した。狼がいきなり出たら、心臓に悪いっ!私はパンを持ってない方の手で心臓を抱える。


店長は向かいのソファに座って、ジーパンを履いている長い足を組んだ。ぱたり、上げた足から黒いスリッパが落ちる。



「店長、スリッパ落ちましたよ」


「そういうのは恥ずかしいから言わないで欲しいね」


「すみません」



私はさして反省もしないまま謝り、あんパンをかじる。


何しに来たんだろう、この人。



店長はじっと私を見ながら、人差し指で自分の被り物の目の下を差した。



「くま、できてる」


「あ、ああ…」



私も自分の目の下を触る。でも触ってみても分からない。



「寝てないの?」



店長は落ちていた黒いスリッパを拾い、足にはめながらそう私に聞いた。



「寝て、いますよ」


「嘘つき。狼少女」



狼に狼少女とか言われた。


私はあんパンに目を落として握る。ブーン、と自販機のうめき声が静かなスタッフルームを埋める。



「何があったの」



うめき声を消すように、店長は呟いた。



「一ノ瀬さんが気になったから、仕事サボってきたんだよ」


「いつもサボってますよね」



私はため息をつく。不謹慎ながらも店長に気にしてもらえたことに、私は小さく胸が躍っていた。


だけど私は口を開けなかった。だって、二階堂くんのことは私の問題。店長に話せない。私が沈黙を通していると、「ハー」と深いため息。



「まあ、一ノ瀬さんが言いたくないならいいけどね」



そう言いながら、店長は首もとのセンスのいいネックレスを手でいじる。



「すみません、」


「なんで一ノ瀬さんが謝るの」


「いやあ、何となく」



私がそう苦笑すると、彼はネックレスを外した。



「一ノ瀬さんが元気ないとつまらないんだけど」



ネックレスをジャラジャラと片手で弄ぶ。



「突っ込みのキレがないしさあ」



銀色であるそのネックレスは店長の手の中でキラキラ光っている。



「一ノ瀬さんが元気無かったら、俺もなんか落ち込むしねっ」



彼が腕を上げると、ネックレスはスタッフルームの中で放物線を描き、私の膝の上に落ちた。


私はそのネックレスをつまみ上げる。



「あ、店長、コントロール悪いですね」



私は店長にネックレスを差し出した。彼は「バカ」と言って、私の手を軽く叩く。



「あげる」


「へ?」


「あげる」


「いや、いりませんよ」



私がどれだけネックレスを差し出しても彼は受け取らない。何なんだよ。どうしろっていうのだ。



「いや、ちょっとした手違いで2個買っちゃったし」


「何故それを今?あげるなら椿さんにあげてください」


「彼が受け取ると思う?」


「思いません」



そう言い合っているうちに私は思わず笑っていた。どうしようもない、乾いた笑い声が自分の口から出る。口に手を当てて、小さく笑っていると、



「やっと笑った」



狼の被り物から、安心したような声が漏れた。



その被り物の下ではどんな表情をしているのか、見たくても見れない。




「そのネックレスはね、魔法のネックレスです」




狼は私の持っているネックレスを指差して言う。



「魔法のネックレスを手違いで2個買ったんですか」


「ちょっと黙ってください。その魔法のネックレスはね」



せっかく突っ込んだのに、軽く逆ギレされた。私はしょうがなく店長の次の言葉を待つ。



「一ノ瀬さんが困っている時に助けてくれますよ」


「…へー」


「信じてる?」


「いいえ」



私が即答すると、狼はうなだれる。いや、いきなり渡されて説明されても信じられませんから。



「一ノ瀬さんね、もうちょっと子供心を思い出してみなよ」


「店長が子供過ぎなんですよ」


「減らず口だなあ」



どうとでも言えばいい。ふんぞり返ってソファに座っている店長を睨もうとするが、それは出来なかった。


重かった心を軽くしてくれたこの人には、感謝の思いしか無かったからだ。



私は無言でネックレスをつけてみる。前から静かな視線を感じてどぎまぎして手が震えそうになるが、なんとかつけることができた。


銀色の小さいアクセのついたネックレス。それがひんやりと首もとを冷やして気持ちいい。



「ど、どうですか?」



私が恐る恐る聞くと、店長は手を被り物の顎に添えて、



「似合わないねー」



と言い放った。私はまた無言でネックレスを外そうとする。



「待って待って待って!!うそ、うそアメリカンジョーク!!」



そんなに必死に止めるなら、最初から冗談なんて言わないで欲しいものだ。私が訝しげに前を向くと、店長は両手を合わして、



「お願いだから、外さないでね」



と首を傾げて私にお願いをした。前にも言ったが、この被り物は可愛いものではない。


リアル狼。今にも、私を噛みちぎりそうな目をしている。よってこのジェスチャーもシュールだ。私はしょうがなくネックレスから手を離して、昼食を再開した。



「あ、店長」


「ん?」


「早く仕事に戻ってください」


「…はーい」








「波瑠ちゃん、どうしたの?そのネックレス」




バイトが終わり、スタッフルームでメロンソーダを飲んでいた私に遅番の野田さんが声をかけた。彼女はいつも通り、茶髪の髪を巻いて可愛らしい出で立ち。


私はメロンソーダから口を離し、自分の首もとを見て、「ああ」と声を漏らした。



「なんか店長がくれたんです」


「店長が?なんで?」


「分からないですけど…間違って2つ買っちゃったらしいです」



私がそう言うと、野田さんは訝しげに私の首もとに顔を近づけて、「うーん」と唸る。あ、髪の毛からいい匂いがする…って私は変態か。



「これ、有名なブランドものだよ。多分」


「ええ!?そうなんですか!?」


「多分だよ、多分。一つ3万はするよ」



『3万』という言葉に私はネックレスを引きちぎりそうになる。



野田さんは慌てて私の手を掴みそれを制した。さ、さささ3万!?冗談じゃない。毎年のお年玉ぐらいだ!



「落ち着いて、波瑠ちゃん?ソファから落とすよ?」



にっこりと野田さんにそう言われ、私は戸惑いながらもこくこくと頷いた。すると野田さんは「ふう」とため息をつき、私の隣に座る。



「野田さん、仕事は…」


「遅番だし。意外と客少ないのよ」



そういう問題なのでしょうか…と、私が額に冷や汗を流すと、



「おい、一ノ瀬」



椿さんが仕事場から登場してきた。確か椿さんも私と同じ17時上がりのはずだ、なのに今終わったのか。



「お疲れ様です、椿さん。なんでしょうか」


「椿くん、おつかれー」



私を睨んでいた椿さんだったが、野田さんに声を掛けられ、一瞬びくっとして頭を下げた。


今更だが、椿さんが野田さんのことを好きなのもこのバイト内では既知のこと。椿さんはナルシストのくせに、恋愛には非積極的なのだ。


ごほん、椿さんはわざとらしく咳払いをする。そして白黒がはっきりした、中性的な目で私見た。



「やい、一ノ瀬」


「へ、へい。何でしょう」


「お前のせいで今日1日、俺は大変だった」



私はなんか身に覚えの無い怒りをぶつけられているらしい。訳が分からず目をぱちくりさせていると、横から「ふふ」と笑い声。



「椿くん、ちょっと言葉が足らないんじゃなあい?」


「ひっ、すみません」



野田さんにかかれば、普段はえらそうな椿さんもこうなる。このゲームセンターの影の支配者とも言えるだろう。


椿さんはまた咳払いをして、私を見た。



「二階堂がうるさいんだよ」


「え、二階堂くん?」


「ああ、あいつ、告白したからお前に避けられてるだのなんだの何回も言ってきやがるんだ」


「……」



避けてたの、バレてた。


私は持っていたメロンソーダに視線を落とす。



「二階堂くん、告白したんだー。何て言われたの?」



揚々とそう言って私の顔を覗き込んで来る野田さん。私が「そ、それは」と渋ると、



「冗談だよー」



と、バシッと私の肩を叩いた。痛い。椿さんがそれを細目で見ながら、また口を開く。



「しかもよー、友達が来たとか言ってそっち見ると、いかにも頭が悪そうな奴らが群がってたし」


「あらまー」


「俺とは違って下品極まりない集団だった。反吐が出る」



椿さんはそう言いながら、眉間に手を添えている。



「二階堂くんを避けてるの?」



椿さんの言葉を無視して、野田さんは私に質問してきた。正解なので何も言えず、私は無言で首を縦に振る。



「そっかあ」



野田さんはふんわりと微笑んだままだ。しかし「でも、」と言葉を繋げる。



「波瑠ちゃんが店長に避けられた時、嫌だったでしょ?」



確かに私は少し前、店長に避けられていた。


あの時は辛かった。野田さんの言うとおり嫌だった。柄にもなく泣きそうにもなった。



「はい…」



缶を握りながら、小さな声で私は返事をする。



「二階堂くんも同じ気持ちだよ。きっと、」



野田さんは優しい声音でそう言った。物わかりの悪い子供に言い聞かすように。


そうか、私あの時の店長と同じことしてるのか。自分で自分を情けなく思ってくる。



「だから、波瑠ちゃんの気持ちは分からないけど、どちらにせよしっかり二階堂くんと向き合わないと、」



野田さんは私の頭をぽんぽんと撫でた。


野田さんの言うとおりだ。私は顔を上げて彼女を見る。野田さんは変わらず、ふんわりと笑っていた。私もそれに釣られて、力無く笑う。



「そうですね。私、二階堂くんにしっかり伝えてきます」


「そっか」


「椿さん、二階堂くんはまだ仕事場にいるんですよね?」



「あ、ああ」という椿さんの返事を聞いて、私はソファから立ち上がる。



「私、二階堂くんと話して来ます」



私がそう言うと、野田さんは手を振りながら



「頑張って」



と励ましてくれた。椿さんは目を見開いて、何か言おうとしたが野田さんにみぞおちを殴られて、その場でうずくまる。


椿さんの言いたいことは分からなかったが、私は2人に頷いてスタッフルームから出た。


どうやって伝えようか、なんて。そんなことで二階堂くんを避けていた自分が恥ずかしい。



私は自分の気持ちをただ真っ直ぐに伝えたらいいのだ。しっかり向き合ったら、分かってもらえる。前の店長との一件と同じように。二階堂くんとも店長と同じように、仲直りできるはずだ。



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オオカミ店長 朝比奈ヨウ @ashnyo

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