第7話 後輩を舐めてはいけない
「一ノ瀬、なにスキップしてんの」
椿さんに怪訝な顔で見られる。恥ずかしっ、私は一瞬でスキップをやめた。
しかし椿さんはニヤニヤ。
「わかった」
「ええ!?」
「俺に会えたからだろ」
「違いますね」
違うに決まってんだろ。私が即答すると、椿さんは心底驚いた顔をした。それを無視して私は仕事場の掃除を続行する。
あの店長が、嫉妬したと言った。それだけで胸が高鳴る。
そもそも、店長に嫉妬されたと喜んでいる自分の方に驚く。まさかあのオオカミの被り物に恋を!?とか思うが、断じて違う。じゃあこの喜びはなんなのか、とか言われたら何も言えないのは事実だが。
下準備を終えてスタッフルームに戻ると、二階堂くんが挙動不審にスタッフルームをうろうろしていた。
「あ、二階堂く」
「おはようございます!!一ノ瀬さん、俺がいない間何もありませんでしたか!?」
いきなり私に詰め寄る二階堂くん。草食動物みたいに可愛い大きな目はうるうると私を見ている。
昨日二階堂くんはバイトが休みだったのだ。何も無かったと言ったら何も無い。店長と少しケンカしたけど、仲直りできた。それに店長は嫉妬していて…ふふ。
思い出しただけで顔がにやける。
「いや、何も無かったよ?」
「そうなんですか、良かった。一ノ瀬さん、嬉しそうですね。何かあったんですか?」
「いや何もー」
スタッフルームの中でもスキップしちゃいそうだ。そんな私に二階堂くんは不思議そうに首を傾げている。
「ミーティングしますよー」
店長がバインダー片手にそう声を掛ける。従業員は一斉に彼の近くへ集まった。
事務報告をする大上店長。他のバイトさんより後ろに立ってるから被り物は見えにくい。でもあの低い声を聞くだけで私の胸はほこほこしていく。ああ、夏は暑いなあ。
仕事中、可愛い女の子達に話しかけられてはゲヘゲヘしている店長を何度も見たが、不思議と腹が立たなかった。
何故なら私はすこぶる機嫌がいいから。ケーキを作り直して明日に店長に渡そうとも思っている。
『俺の嫉妬』
あの色気のある声を頭でリピートするだけで、身体を動かさずにはいられなかった。
仕事が終わり、スタッフルームに行く。私服に着替えたら、店長に何のケーキがいいか聞きに行こうっと。
「今日は元気だね、波瑠ちゃん」
更衣室には野田さんがいて、ふわりと私にそう笑いかける。そんな分かりやすい自分が恥ずかしい。
「あはは、まあ…」
「店長と仲直りした?」
「はい!お陰様で!!」
…でかい声を出しすぎた。だけど野田さんは制服のエプロンを縛りながら、目を細めて嬉しそうに微笑んでくれた。
私服に着替えてスタッフルームに入る。そして従業員用のトイレに入って、髪型を整えに行った。
「(なんか椿さんみたいだな、私)」
いや、違う。決してナルシストではない。さっきまでひとつにくくっていた髪の毛をほどく。セミロングの黒髪。どこにでもある髪型だ。そんな髪の毛にてぐしを入れて、まとめる。
「よしっ」
店長に会いに行こう。小さな声で気合いを入れて、私は手を洗ってハンカチでそれを拭いた。
ドキドキする。ケーキを渡すと言ったら店長はどんな反応をするのだろうか、
嬉しそうにするのか、はたまた驚くのか、いずれにせよなんだかむずむずしてしまう。
早く会いたい。話したい。
トイレから出るとスタッフルームには私服の二階堂くんがいた。緑の背景に黄色の柄のTシャツなんて、本当に派手だなあ。彼は私を見て顔を輝かす。
「あ、一ノ瀬さん」
「二階堂くん、おつかれ」
私は笑顔を浮かべてそう二階堂くんに告げ、店長のいる仕事場に向かった。
――――「あ、」
クレーンゲームの間から狼の被り物をした人物を見つけ、私はそう小さく声を零した。無論、その声はゲームの騒音でかき消される。
私はパタパタと店長の所へ駆け寄った。
「店長っ」
「ん?一ノ瀬さん?」
店長は宣伝用メガホンを片手にこちらへ振り返った。
「あ、あの」
私は用を口に出そうとしたが、急に手汗が出てきて体温が上がってきて、口を濁す。狼は黒い瞳でただ私を見つめている。それが恥ずかしくて、目を逸らした。
ああ、何やってんだ自分。
早く言わなきゃ。
ケーキ、渡したいんです。って言わなきゃ一ノ瀬!!
「て、店長…」
「はい」
「店長っておいくつですか…」
ああもう、何聞いているんだ自分。関係ないじゃないか!どうでもいいじゃないか!
でも店長の前だと脳がうまく働かない。脳はアドレナリンばっか出してくる。
「ノーコメント」
心の中で強く自虐していると、低い声がそう落ちてきた。
「はい?」
「プライベートな質問はノーコメントです。事務所を通してから聞いて下さいねー」
じゃあね、店長は私に背中を向ける。一瞬ポカンとしてしまったが我に返った。私は慌てて店長のエプロンの後ろの紐を手で掴む。
今はもうノーコメントって何だ、とか事務所ってどこだよ、とかそんな突っ込みはどうでもいい。振り返る狼の被り物を見上げて、私は口を開いた。
「ケーキ、渡したいんです!!」
言った!言えたよ、一ノ瀬波!!心の中でガッツポーズをする。
「へ?」
しかし店長は素っ頓狂な声を上げて私を見下ろしたままだった。
…言葉が理解できなかったのだろうか。私も呆然として、牙がむき出しの可愛くない被り物を見上げる。
ちょっと間の沈黙。その沈黙を破ったのは店長だった。
「ケーキ?一ノ瀬さん、俺に、ケーキ、くれるの?」
何故かカタコト。だけど私は恥ずかしくて、突っ込むことが出来ず首を縦にブンブンと振る。
「なんで?」
「き、気分です」
ケーキあげたい気分って何だよ。とか思うが気にしない。
私はただ店長の返事を待つだけだ。店長はただそんな私を見下ろしながら黙り込んでいる。
うるさいゲームセンターのはずなのに、私達の周りだけ音が無いような感覚。…何なんだろう。その沈黙がまた私の心拍数を上げていく。困っているのかな、と反省して店長のエプロンから手を離そうとした時、
「嬉しい」
と言いながら店長は私の紐を離そうとした手を自分の手で握った。
「っ…」
その握ってきた店長の手が熱くて。私の心拍はドキンッと大きく跳ね上がった。慌てて周りを見るが、奇妙なことに誰もいない。クレーンゲームの中の人形達がいるだけだ。
「何のケーキ、くれるの?」
また店長らしくない声。そんな大人っぽい低い声がまた私の心臓を揺るがす。
私は乾燥した唇を舐めて、俯いた。
「な、何がいいですか?」
「チョコレートケーキ」
即答だ。私は依然としてうつむきながら答える。
「チョコレート、無理って言ってたじゃないですか」
「一ノ瀬さんのチョコレートケーキなら食べれるよ」
前はいらない、って言った癖に。本当に自由人。
ていうか、一ノ瀬さんのならってどういうことよ。
私の心臓は破裂寸前だった。このままではヤバいと思い、私はいつものように乱暴に店長の手を振り払った。
「わ、分かりました。明日、渡しますから」
1メートルぐらい店長から距離をとって私は言う。
そうしてもまだ心臓は忙しく働いていて。店長に触れられた手の血管はドクドクと動いている。狼の被り物はそんな私を見つめてから、
「楽しみにしてるよ」
とだけ言って、私に背中を向けて歩き出した。
そしてメガホンを片手に『わんピースのフィギュアのクレーン、今なら100円です!!』と、何事も無かったかのように店内の宣伝に戻る。
あの表情が分からない被り物の存在が憎い。私ばっかりが、彼にほだされている。
「(超絶うまいの作ってやる)」
私は買い出しに向かうため、急いでゲームセンターから出た。
――――――――――――――
―――――――…
「あ、おはよー」
「いっ、一ノ瀬さん、おはようございます」
次の日、チョコレートケーキの入った紙袋を持って7時に出勤すると既に二階堂くんがいた。
店長と何やら話していたのか、ソファに座っている店長の傍に立っていた二階堂くんは、わたわたと分かりやすく慌てている。
店長はいつも通り表情一つ変えずに、ソファに座りながら私に手を振っていた。
「おはようございます」
不思議に思ったが、私は平然と挨拶をした。そして2人へ近づいて、
「て、店長これ…」
持っていた紙袋をしどろもどろに店長に渡したのだった。
「ああ、例のブツね」
店長は綺麗な手を私に差し伸べてくる。例のブツって言い方はちょっと語弊があるだろう。二階堂くんだったら勘違いするのではないか。
と、二階堂くんの顔を確認しようとした時、袋を持ってる手に何か熱い柔らかいモノが触れた。
「ひゃっ」
私はびっくりして、女の子っぽい声を出し、思わず袋を持っていた手を離す。
「ああああ!!危ない!!」
店長は叫び声を上げながら、ソファから身を乗り出し、見事にその袋をキャッチした。今、何が触れた?
「す、すいません。思わず…」
そう言って手を抱える。何故か手はジンジンと熱い。いつか、店長に触れられた時と同じように。
店長は袋の中身を確かめて、息を吐いた。
「ふう、良かった良かった。ケーキさんは無事みたいだ」
そう言ってから私を見る。
「ありがとう一ノ瀬さん。じっくり味わわせてもらうから」
と、スキップしながら更衣室へ入っていった。
狼がスキップしている姿はそれはそれはシュールである。私は呆然としていたが、ハッと我に返り自分も制服に着替えに更衣室へ向かおうとした。が、
「一ノ瀬さん、」
と二階堂くんに呼び止められる。振り返ると、彼はいつもと違う表情をしていた。大きな目はキリッとつり上がっていて、可愛いイメージは全くない。
彼はゆっくり私に近づいて来る。
私は思わず後ずさりをする。
彼の手が私の顔に近づいて来た時、
――――「てめーら、俺の前で下品なものを見せんな」
椿さんが出勤してきた。彼はいつものように前髪を触りながらこちらへ向かって来る。
「お前ら、美しい俺の前で破廉恥なことをするんじゃねーぞ」
「は、破廉恥なんてそんな…」
「口答えをするな、若造」
若造って…椿さん何歳なんですかあなた。
「す、すみませんでした…」
二階堂くんは不服な顔をしながら、伸ばしていた手を戻した。
私はほっと胸を撫で下ろす。椿さんは「フッ」と、決まったな、みたいな顔をして更衣室に入っていった。
無言で二階堂くんはそれに着いて行く。その背中が更衣室に消えていくのをしっかりと見届けて、私も更衣室へ入った。
「(どうしたらいいんだろう)」
エプロンを締めながら二階堂くんを思い出す。
私は彼のことを好きにならない自信がある。だからこそ、彼のアプローチは辛い。ここははっきりと言った方がいいのか。こんな経験初めてである。
自分は恋愛に疎い。改めてそれを知らされた。
―――――――――――――――――
―――――――――――……
何事も無く仕事は終わった。
本当に何も無く。
いつも二階堂くんは私に熱視線を送ってきていたのに、今日はそれが無かった。
「(諦めてくれたのかな…)」
そう思いながら、私服に着替え、遅番の野田さんに挨拶をし、裏口を出た。クーラーの効いた所からいきなりの外。じわり、と熱い湿っぽい空気がまとわりつく。
じんわりと額に浮かぶ汗を拭きながら歩いていると、いきなり肩を掴まれた。
「ひっ」
小さく声を漏らして振り返ると、二階堂くんが申し訳なさそうにお辞儀をした。
「すみません、」
そう謝る彼の出で立ちは、だれんと延びてしまっている赤のTシャツに、膝丈のダメージパンツだ。
金のメッシュ、耳元のピアス、首もとのネックレス、全てが17時の太陽で光っている。
「あ、いいよ。ごめん驚いちゃって」
私は身体を彼の方へ向ける。
へらり、笑った彼を見て
「(あ、八重歯あったんだ)」
と今更ながら気づいた。それぐらい彼をちゃんと見てなかったことにまた申し訳なくなる。
「あの、一ノ瀬さん」
「はい」
「俺、けじめつけます」
そう言う彼に頭に「?」が浮かぶ。首を傾げている私を見て、彼は微笑んだ。
「好きなんですよ」
と呟く。
「客として何回かあのゲーセンには行ってました。まあ最初はオオカミがいるっていう好奇心でしたけどね」
へらへらとしている彼を見ながら私は心が痛んだ。必死に彼が笑おうとしているのが分かるから。
「オオカミはいつも女の子達と写真撮ったりしていて。まあ、オオカミだからいいんでしょうけど。その近くをせかせかと動いている、女の人に俺は目がいきました。あのオオカミは仕事してないけど、あの人はしっかり仕事してるなって」
あの店長と比べないで欲しい、そう思うが私は黙って彼の言葉を聞く。
「んで、このバイトを始めてその女の人が一ノ瀬波瑠って名前だと知りました。その人が運良く俺の教育係になり、話すようになって、一ノ瀬さんを知っていきました」
そこで彼は「ふー、」と息を整える。そして私との距離を縮めてくる。
私は、拒めなかった。
「理由なんてないんですよ、本当は。一度好きだと思ったら、その気持ちは加速していってしまう」
彼の手が私の頬に触れた。
その手は冷たくて。
「(店長と違う)」
こんな所でも、私は店長を思い出してしまった。
「好きです、好きなんです。大好きなんです」
彼はもう笑っていなかった。
苦しそうに顔を歪まして私を見ている。
「なんならストーカーにだってなれます」
「そ、それは…」
「冗談です、すみません」
この場面で冗談言う?私があっけに取られていると、彼は八重歯を出して笑った。
「だから、考えて欲しいです。俺のこと」
二階堂くんは名残惜しそうに私から離れて、去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます