第6話 オオカミの遠吠え
「店長、おかしくないですか?」
私はコーヒーを飲んでいる野田さんにそう言った。彼女は不思議そうに顔を傾げる。
「そう?普通に見えるけど」
「普段はそうなんですけど…」
最近なんだか店長に避けられてる、気がする。
ケーキをいらない、と言われた時には正直傷ついた。結構、バイトの中でも仲がいい方だったはずなのに。私はそのことを野田さんに伝えた。
「ほうほう」
野田さんはそう言いながらコーヒーの入っていた紙コップを捻り潰して、ゴミ箱に放り投げる。シュート!!
私がゴミ箱の方を見ていたら、クスクスと笑い声。視線を戻すと野田さんは小さく笑っていた。
「子供だなー」
「え?」
「いや、こっちの話」
なんなんだ?野田さんは可愛らしく笑いながら私を見つめた。
「それより波瑠ちゃん、可愛い年下のバイトくんに言い寄られているらしいね?」
言い寄られてる、なんてそんな恥ずかしい。事実だけど。
黙って口を噤んでいる私に野田さんは微笑みながらソファから身を乗り出して近づいた。
「あんな格好いい子、彼氏だったらよくない?」
「別に私はそんな…」
「いいじゃあん。私だったら嬉しいなあ」
野田さんの言いたいことがよく分からない。と、そこへ運悪く大上店長がスタッフルームへ入ってきた。
「あ、店長お疲れ様でーす」
「お、お疲れ様です…」
なんだか目を合わせられない。店長もしどろもどろに「う、うん」と答えた。
「店長聞いてくださいよー」
野田さんがにこにこ笑いながら店長に話しかける。彼女はちらっと私を見て、ふふと微笑んだ。
え、なに今の。
「波瑠ちゃん、二階堂くんに言い寄られてるんですよー」
うええええ!!何、言っちゃってるんですか!!私は思わず席を立って両手をブンブンと振った。
「ち、違います!違います!!」
自分でも何をこんなに慌てているか分からない。けど、否定したくてたまらなかった。ごめん、二階堂くん!!
店長はそんな私をつぶらな瞳でじっと見ている。そもそも素顔の店長が実際どこから物を見ているのかは分からない。
「知ってるし。そんなこと」
店長はアメリカのコメディアンみたいに両手を上げておどけてそう言った。
「一ノ瀬さんが二階堂くんみたいなイケメンに言い寄られてニヤニヤ、ウヒウヒ言ってるのも知ってるし」
「…は?」
私が二階堂くんに言い寄られてニヤニヤ、ウヒウヒ言ってる?そんなわけないだろ。何を勘違いしてるんだ、この人は。そう思うと何だか苛立ってきた。
私は狼の被り物を睨む。店長はそれに一瞬びくっとした。
「私は別にニヤニヤ、ウヒウヒしてません!何、勘違いしてるんですか!!」
スタッフルームで一人叫び出す。自分を抑えたかったがどうにも無理だ。
「店長のバカ!!」
小学生みたいな捨てゼリフを吐いて、私は更衣室へ逃げたのだった。
「ああもう!!」
私服に着替えながらも私は一人で苛つく。今は店長にじゃない。可愛くない自分に腹が立っている。
謝れば済む話だが、頑固な私にそんな勇気があるはずない。でも店長とずっとこのままは嫌だった。前みたいな関係に戻りたい。
「どうしよう…」
更衣室から出てスタッフルームに入る。そこには誰もいなかった。
私はそのまま裏口から出て駅へ向かう。17時。夏だからまだ明るい。ほんのりとオレンジの太陽はやけにまぶしかった。
「(やっぱり謝ろう)」
明日、また早く出勤して謝ろう。そして前みたいに戻れたらいいな。
―――――――――――――――
――――――――……
「えーと、おはよう」
「…おはようございます」
早く来たのはいいけど、気まず。挨拶一つでもこんなに緊張するなんて。私はそそくさと更衣室に入ろうとするが、謝らなきゃと思い足を止めた。
そして振り返る。
「…あの、」
「一ノ瀬さんさー」
言葉が重なった。またそれに気まずくなる。狼の被り物は顔をうつむかして手を振った。
「あ、先にどうぞ」
「いや、店長から」
「いや、しょうもないことだし」
「私もです」
「…」
また沈黙。私から言ったほうがいいかと口を開こうとすると、
「一ノ瀬さんって二階堂くんのこと好きなの?」
店長らしくないやけに落ち着いた声がスタッフルームに響いた。
一瞬思考が停止する。私が黙っていると、店長は慌てて両手を振った。
「ほら、しょうもないでしょ!?今の質問は忘れて、」
「好きじゃないです」
私は店長を真っ直ぐ見てそう言った。店長の動きが固まる。
「好きじゃないですし、付き合ってもいません」
はっきりとそう言う。正直、店長の質問の意図は分からない。だけど私が否定したいから否定した。
店長はまだ固まったままだ。
「そう、なの?」
「はい」
私が頷くと、固まっていた店長は一気に脱力した。
「はあ、そう、なんだ」
綺麗な両手で顔を覆っている。といっても被り物だけど。「はあ」「ふう」と何度も何度も安心したように息を吐き出している店長。
そんな姿がなんだか無性に愛おしく感じた。触れたい、と思った。だけどそこは理性を保つ。
「一ノ瀬さんが二階堂くんと付き合ってたら近づいちゃいけないなと思って…」
店長は未だ両手で顔を覆いながらそう言った。
思考が中学生である。でもそれさえ愛おしい。私は恥ずかしくなって、店長から目を逸らした。
「け、ケーキ欲しいですか?」
「欲しい」
即答。
「超欲しい。むっちゃ欲しい。マジで欲しかった」
店長は両手をといて、ソファから身を乗り出して私に言った。思わず笑みが零れる。
「じゃあ受け取ってくださいよ」
「だから、それはさー」
ふふふ、と私が笑っていると店長からもはは、と笑い声。
…笑ってるんだ。その無表情な被り物の下で。でも今は素顔なんてどうでもいい。
「仲直りしましょう」
私は店長に近づいて右手を出す。店長の綺麗な右手が私のそれを握った。
私より何倍も大きい手。ゴツゴツしてて、暖かい。私はまた恥ずかしくなって、自分から差し出したくせにパッと手をといた。ズボンで自分の手汗を拭きながら口を開く。
「まあ、今回は店長の勘違いってことで…」
「違うよ」
「へ?」
予想外の答えに驚いて店長の顔を見る。相変わらず狼だ。彼はソファの背もたれに肘をついている。
そして言ったのだった。
「俺の嫉妬」
一ノ瀬さんと二階堂くんが一緒にいるのを遠くから見て、苛立っただけだよ、
彼はゆっくりと立ち上がって仕事場へ行く。
「え?」
その言葉、どうとればいいんですか?
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