桜ひとひら落ちて、人生の春を知る

1週間後。


私は順平と一緒に陽平のお墓参りに行った。


陽平のお墓は、電車で1時間ほどの、都会の喧騒から離れた静かな丘の上にあった。


お墓の前で順平は、穏やかな顔をして手を合わせた。


「陽平…朱里が来てくれたぞ。朱里には言わないって約束…破ってごめんな。」


ここに陽平は眠っているんだな…。


私も静かに手を合わせた。


陽平の死を聞かされた時は悲しくて、逃げ出してしまった自分を責めたけど、今は驚くほど心が穏やかだ。


もう陽平のふりをする必要がなくなったからなのか、順平の表情も以前より柔らかい。


「ごめんな、陽平。オマエのふりして朱里にはひどいことした。朱里、悪かった。」


「うん…。」


「朱里に陽平の事話した夜にな…夢に陽平が出てきてめちゃくちゃ怒ってた。“なんで俺の大事な朱里にあんな事したんだ!!”って。それから“朱里の手料理を残すな!!”って。朱里の手料理は全部うまいんだってさ。」


「そうなの?」


夢の中でまで私を大事にしてくれるんだな、陽平は…。


順平が陽平に怒られているところを想像して、少しおかしくて思わず笑ってしまう。


「陽平の好きな女に手ぇ出したんだからな。水ぶっかけて噛みついたし?そんな事すりゃ怒って当たり前か…。」


「うん…そうだね、あれはひどかった。」


「悪かったって…。」


「でも順平が怒ってくれて良かったのかも。私はずっと、逃げ出した事を後悔してたから。」


「ふーん…。陽平に言いたい事あるんだろ?俺はその辺にいるから、ゆっくり話してやれ。」


「ありがとう、そうする。」


順平がその場を離れると、私はまた陽平のお墓にしばらく手を合わせた。


閉じたまぶたの内側に、陽平とのたくさんの想い出が蘇る。


笑った顔、芝居の稽古中の真剣な顔、私を見つめてくれた優しい顔。


初めてのデートで手を繋いだ時の照れた顔や、初めてキスした時の緊張した顔。


初めて一緒に迎えた朝の、幸せそうな顔。


ネックレスをプレゼントしてくれた時の笑顔。


ずっと一緒にいようと抱きしめてくれた腕のぬくもり。


“愛してる”と言ってくれた優しい声。


「大事にしてくれて…たくさん愛してくれてホントにありがとう。」


私は陽平を心から愛してた。


ずっと忘れないよ。


陽平と過ごした幸せな日々を。


「大好きだったよ、陽平。」





お墓参りを終えた私と順平は、駅のそばの定食屋で食事をした後、再び電車に乗って家路に就いた。


マンションに戻り、コーヒーを淹れて順平と二人で飲んだ。


「それで…オマエはこれからどうするの?」


「これから?」


「もう一緒に暮らす必要なんてないだろ。俺も陽平の事はオマエに全部話したし…。」


「うん…そうだね。順平はどうするの?」


「俺は…オマエが出てくなら、ここ引き払って地元に帰る。もうここに用はないからな。」


「彼女がたくさんいるんじゃないの?」


「ああ…。あれは仕事だ。金もらってデートするやつ。オプションでホテル行ったりもしたけどな。」


うわ…この男は…。


「双子でも全然違うんだね。」


「俺は昔からモテたからな。手っ取り早く金になる仕事はそんなもんしかなかったし。」


なんとなくこういうところは順平らしい。


「地元に帰ってどうするの?」


「さあな…どうにかなんだろ。オマエは?」


「どうしようかな…。」


「マスターは?オマエも好きなんだろ?」


順平に意表を突かれ、ドギマギしてしまう。


「ん?うん…。でも…。」


「遠慮する事ないぞ。向こうも本気みたいだしな。まぁ…オッサンだけど。」


「オッサンじゃないよ、大人なの。」


早苗さんとはあれから会っていない。


順平の事は自分でなんとかするから、しばらく見守っててと私が言ったから、何も言わずにそっとしておいてくれているようだ。


「それとも…俺と一緒に来るか?」


「順平と?なんで?」


「バーカ、冗談だ。また夢で陽平に怒られるのはイヤだからな。あいつ、ああ見えて怒ると怖いんだよ。」


陽平の怒った顔は記憶にない。


昔は陽平も順平と兄弟喧嘩なんかしたのかな。


「ふふ…そうなんだ。私の前では怒った事なかったから意外だな。いつも笑ってた。」


「怒る必要ないくらい幸せだったんだろ。オマエが幸せになれんなら陽平も喜ぶんじゃね?マスターんとこ行けば?」


相変わらず口は悪いけど、順平の言葉がいつになく優しい。


「うん…。少し考える。なんかここ数ヶ月でいろいろありすぎて…。」


「考えてるうちに歳食って逃げられんぞ。…ってかさ、オマエが出ていかないと、俺もここ出られないだろ?出てかないとまた襲うぞ。」


「ひどいな…順平は…。」


そんな事はもうしないだろうけど…。


これは順平なりの優しさなのかな?


「さっさと荷物まとめて出てけ。」


「天の邪鬼…。」


小声でボソッと呟くと、順平がギロリと私をにらんだ。


「なんか言ったか?」


「なーんにも。」


順平とはいろいろあったけど、今となっては昔からの友人のような、不思議な感覚だ。


順平は順平なりに、私のためを思って背中を押してくれているんだと思う。


「できるだけ早く出るようにするから。」


「おぅ、とっとと出てけよ。」


順平と離れるのは少し寂しいような気もする。


だけどもう、順平は陽平の身代わりをする必要なんてない。


順平は順平だ。


順平には順平の生きる道がある。


私も前に進まなくちゃ。




翌日。


カフェのバイトを終えて少しした頃、早苗さんが事務所にやって来た。


私はコーヒーを2つトレイに乗せて、事務所のドアをノックした。


「ハイ。」


ドアを開けて、早苗さんが顔をのぞかせた。


「あ…朱里…。」


「コーヒー持って来ました。少しお時間いいですか?」


「ん、どうぞ。」


事務所に入り、テーブルの上にコーヒーを置いて、向かい合わせに座った。


「朱里から来てくれるなんて珍しいな。」


「お話ししたい事があって…。」


それから私は、少し時間はかかったけれど、順平から聞いた事を順を追って話した。


早苗さんはコーヒーを飲みながら、静かに耳を傾けていた。


すべてを話し終わると、早苗さんはため息をついた。


「そうか…。そんな経緯があったんだな。双子の弟か…。」


「亡くなったって聞いた時は正直ショックだったけど…やっぱりそうなんだなって…。順平は彼のために身代わりになってたんです。昨日、順平がお墓参りに連れて行ってくれました。変な言い方かも知れないけど、私も順平もやっと肩の荷が降りたというか…。」


早苗さんはコーヒーを飲み干して、何か考えている様子で、ソーサーの上にそっとカップを置いた。


「それで…順平はなんて?」


「もう一緒に暮らす必要もないし、マンションを引き払って地元に帰るそうです。」


「そうか…。順平、地元に帰るのか…。」


早苗さんは少し寂しそうだ。


「そうなんです。だから私にも早く出てけってうるさくて。」


私が笑ってそう言うと、早苗さんは少しためらいがちに私の方を見た。


「朱里さえ良ければ……俺んち…来る?」


「順平にもそうしろって言われました。私が幸せになれるのなら、陽平も喜ぶんじゃないかって。」


順平がそんな事を言っていたのが意外だったのか、早苗さんは少し驚いているようだ。


「朱里が俺と一緒に幸せになりたいと思うなら…俺んちにおいで。俺は朱里を幸せにしたいって思ってる。」


「それだと私…甘えすぎじゃないですか?」


早苗さんは私の隣に来て、優しく私を抱きしめた。


「俺にだけは甘えていい。いくらでも受け止めてやる。これでもかってくらい大事にする。」


早苗さんはいつでもあたたかくて優しい。


ずっと私を気にかけてくれて、私の弱さを全部受け入れてくれた。


なかなか素直に自分の気持ちを表に出せない私に、泣いても甘えてもいいんだと言って包み込んでくれた。


早苗さんのそばにいたい。


早苗さんと一緒に、同じ未来を歩みたい。


今、素直にそう思う。


「早苗さん。」


「ん?」


「好きです。」


初めて気持ちを言葉にすると、早苗さんは嬉しそうに笑った。


「俺も朱里が好きだよ。毎日、俺のためだけに朝食作ってくれる?」


「喜んで。」


「ありがとう…。一生大事にする。」


私の唇に優しいキスが降りてきた。


今までの早苗さんとのキスの中で、一番甘くて幸せなキスだった。




1週間後。



私はわずかばかりの荷物を持って、早苗さんの部屋に引っ越した。


順平も荷造りを終え、明後日にはマンションを引き払って地元に帰るそうだ。


夕べ、私はたくさんの料理を作り、順平とビールで乾杯をした。


お酒を飲んでたくさん話した。


順平と陽平の幼い頃や中学時代の話をいろいろ聞かせてくれた。


二人はとても仲の良い兄弟だったようだ。


順平は部屋に戻る前に“陽平に幸せな思い出を作ってくれてありがとう”と言った。


そして私を抱きしめて“いろいろごめんな。幸せになれよ”と言った。


その時私は、順平の腕の中で、陽平のぬくもりを感じた。


朝、私が起きると順平は出掛けた後で、テーブルの上に“合鍵置いてけよ”と書き置きだけが残されていた。


天の邪鬼な順平の事だ。


しばらく一緒に暮らしたから、別れの瞬間が寂しくて、わざと出て行ったのかも知れない。


私は早苗さんに手伝ってもらって部屋から荷物を運び出した後、順平に書き置きを残した。



“順平、元気でね。

短い間だったけどありがとう。

順平も幸せになってね。”



私はきっと順平と過ごした短い日々の事も、陽平の想い出と共に忘れないだろう。


ほんの少しだけど、順平はもう一度、陽平の夢を見せてくれた。


つらい事の方が多かったのに、今となっては、それも無駄じゃなかったと素直に思えた。





早苗さんと暮らし始めてしばらくしてから、ファミレスのバイトを辞めて、バーの仕事に復帰した。


俊希くんが劇団の活動が忙しくなり、バイトを辞める事になったからだ。


今は早苗さんと私の二人でバーの仕事をしている。


朝、目が覚めると朝食を作り、早苗さんと二人で朝食を取る。


それからカフェの仕事をして、一度家に帰って洗濯や掃除をしてひと休みする。


夕方になるとまた店に行き、簡単な夕食を作って早苗さんと一緒に食事をしてからバーの仕事をする。


バーの仕事を終えると、早苗さんと一緒に帰宅して、入浴を済ませて一緒に眠る。


ほとんど毎日がそのくりかえしだけど、早苗さんとの暮らしは穏やかで、一緒にいる時はこれでもかというほど甘くて優しい。


バーの定休日は一緒に出掛けたり、部屋でのんびり過ごしたり、時にはベッドで甘い時間を過ごす。


特別な事はなんにもなくても、早苗さんといると幸せ。


早苗さんも、朱里といるとホントに幸せだと言ってくれる。


早苗さんがそう言ってくれる事を、また幸せだと思う。


幸せって、誰かにしてもらうものじゃないんだなと初めて気付いた。


お互いに相手を幸せにしたいと思うから、相手が幸せだと言ってくれると自分も幸せなんだ。


やっと少し、幸せの意味がわかった気がした。






季節は移り変わり、春。


満開の桜が花吹雪を散らす。



バーの仕事をいつもより早めに終えると、早苗さんが夜桜を見ながら散歩しようと言った。


日付は既に変わり、明日は私の誕生日。


今日は20代最後の日だ。


思えば20代はいろいろあった。


陽平と出会って恋をして、突然陽平を失う事を恐れて逃げ出した。


そして壮介と出会い、一緒に暮らして、婚約して、結婚の直前に破談になった。


それから順平と出会い、嘘や偽りに翻弄され、陽平の死を知って悲しい思いもした。


そして早苗さんと出会い、再び愛し愛される事の喜びや幸せの意味を知った。



私の予定では、何がなんでも20代のうちに結婚しているはずだった。


今になって考えてみるとそれが滑稽にも思えるけれど、あの時私は私なりに幸せを求めて必死だったんだ。


とりあえず結婚すれば幸せになれると思っていたんだから、自分でも笑ってしまう。



私は私なりに進めばいい。


幸せが結婚の延長線上にあるというのも間違いではないかも知れないけれど、今は、結婚は幸せの延長線上にあるものなんだと思う。



早苗さんと手を繋いで桜並木道を歩きながら、そんな事を考える。



「夜桜、綺麗ですね。」


春の夜風がフワリと桜の花びらを運ぶ。


私の髪に舞い降りた花びらを、早苗さんが指先で摘まんだ。


「明日は朱里の誕生日か。」


「そうです。今日が20代最後の日ですよ。20代は楽しい事もつらい事も、悲しい事も嬉しい事も、出会いも別れも、ホントにいろいろありました。」


「そのいろいろあった20代最後の日のしめくくりに…朱里、俺と結婚しませんか。」


「……え?」


突然のプロポーズに驚いて、早苗さんの顔をじっと見た。


「…イヤなら断っていいんだよ。」


「い、イヤじゃないです!!」


早苗さんは私と向かい合わせになって、両手で優しく腰を抱き寄せた。


「じゃあ…朱里、俺と結婚して下さい。」


「ハイ…喜んで。」


早苗さんは嬉しそうに笑って、私をギュッと抱きしめた。


「朱里、一生大事にするよ。」


「私も早苗さんを一生大事にします。」



桜の花が舞い散る中で、私たちは優しいキスを交わした。


嘘も偽りもないまっすぐな気持ちで、大切な人と生涯を共にすると約束した。



キラキラ光る想い出は胸にしまって、大切な人と手を取り合って、この先に続く未来を自分の足で歩いていく。




これから先の人生に、サクラは要らない。










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季節外れのサクラの樹に、嘘偽りの花が咲く 櫻井 音衣 @naynay

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