第4話 エデンノソノ
天国や地獄。それが何を意味するのか分からなかったのは、当時、僕がどうしようもなく子供だったからなのかも知れない。
その日も僕達はいつもの様に食堂に集まっていた。誰もが一様に膝下まである白い服を着ていて、誰もが一様に疲れ切っている。その中でも特に、ふとっちょビクターはまだ朝だと言うのに元気が無く、目の下に大きな隈を作っていて今にも机に突っ伏して寝てしまいそうな状態だった。
「親愛なる家族、そして我等の神に感謝を」
誰かがそう言うと、次々と神への感謝を口にする。ふとっちょビクターも何とかお祈りを捧げ、目の前にあるパンとスープに手を伸ばす。僕の隣に座るアビゲイルが言った。
「チャーリー、お祈りしろよ」
「え、あぁ。我等の神に感謝を」
よし、とアビゲイルが満面の笑みを浮かべ、それからガツガツとパンを食べ始めた。僕等の中で一番背が高く、そして力も強いアビゲイル。何故だか仲良くなった彼と僕は可能な限りの時間を共に過ごした。
「ねぇ、アビゲイル。一ついい?」
「なんだよ?」
「神様にお祈りを捧げるのって何でなのかな?」
押し黙る彼をよそに、僕はスープから手をつけ始めた。人参と玉ねぎのスープ。とても質素な味だったのを今でも覚えている。少し間をおいてからアビゲイルは天井を見上げ、
「そう言う決まりだろ?此処にいる皆がしてる事だ。俺たち家族の決まり事、当たり前な事だろ?」
そう、アビゲイルの言う通り。皆がしている事。神に感謝し、食事をする。僕等家族の決まり事。そして食事を済ませたら今隣にいる友達と殺し合いをするんだ。それは此処にいる皆がしている事。つまりは当たり前な事なのだ。
その日の相手はふとっちょビクターだった。小さくて壁も天井も真っ白な部屋の中に膝下まである真っ白な服を着させられた僕とビクターが正対する。部屋中に刀やナイフなどの武器がばら撒かれている。僕はこの部屋が大好きだ。
「ビクター、顔色が悪いよ?」
「え、うん。チャーリーは元気そうだね」
「うん。始めようか」
お互いに一礼。その場に落ちている槌を僕は拾った。
「チャーリー、僕は思うんだ」
「何を?」
「本当に、神様はいるのかな、ってさ」
ふとっちょビクターがその巨体を震わせながら小さなナイフを握り締め、そんな事を言うから、僕は彼との間合いを詰めるのをやめた。
「いるんじゃないかな?分からないけど」
「チャーリーは変わってるね。皆はいるって信じてるから、今までの子達は僕が問いかけると凄く怒ったよ。マーカス、覚えてる?」
「あぁ。君が先週殺した子だろ?」
「そうさ、僕が殺した。マーカスは神様がいないなら、僕等はどうやって生まれてきたのさって癇癪を起こしてたんだよ」
ビクターの顔が次第に青ざめていく。
「チャーリーは本当は分かってるんでしょ?」
「何をさ」
「神様なんて、オトナ達が作った嘘っぱちだって」
刹那、ビクターはその巨体からは想像出来ない程の速さで身を屈め、僕との間合いを一気に詰めてきた。彼の一閃を何とかかわすと、彼はバランスを崩して転んでしまった。
「チャーリー、チャーリー!そうだよ、僕達は分かってる。神様なんていない!僕達はオトナ達に操られてるんだ。何で殺し合わないといけないのさ!」
「ビクター」
「何か悪い事をしようとしてる!そうだ、そうに違いない。サザンカやサラ達もこのままじゃ死んじゃうよ?女の子が僕達に勝てるわけがないんだから」
「ビクターってば」
「神様にお祈りを捧げ、殺し合って、それで天国になんかいけるもんか!天国なんてない、地獄なんてない」
僕はビクターのお腹に槌で一撃を見舞う。息がし辛くなった彼はその場に倒れ込み、尚も僕に問いかけてくる。生きる事について、死ぬ事について。
「チャーリーなら分かるだろ?違和感があるんだろ?僕達のしている事に一体何の意味がある?外の世界にいる化け物達を倒す為に、僕達は友達を殺し続けないといけないの?」
「分からないよビクター」
息を吸うのもやっとなはずの彼は喋る事をやめなかった。だから、僕は大きく槌を振り上げ、彼の頭に振り下ろしたんだ。
エレベーターで地上に上がる。扉が開くと大勢の感染者達が僕を見つめている。
「ビクターの言う通りだな」
自然とそんな言葉が口から溢れ、不意に笑ってしまった。確かに、天国も地獄も存在しないのかも知れない。僕は虐殺の一群を前にしてもこれを地獄だとは思わない。これは過去、僕達の先祖達が引き起こしてしまった過ちの代償でしかないからだ。正常な者、感染者、そして
もし、地獄が、あるいは天国があるのだとすれば、それはきっと僕達の頭の中にあるのだろう。そう思う。
跳んだ。そして目の前の男の頭をかち割る。次いでその隣にいるお婆さんの横腹に蹴りをいれ、バランスを崩したところに一撃。そんな具合に次々と
「チャールズ!」
遠くからアビゲイルの声。僕とアビゲイルは感染者の一群を挟むようにして応戦している。あいも変わらず、彼の武器は手甲のみ。己の力のみを信じる彼らしい戦い方。あの施設に入る頃から変わらない。
拡張現実を開く。アビゲイルと僕の回線を繋ぎ愚痴をこぼす。
[すまん、すまん。俺の方も中々多くてな、時間がかかった]
[それでも連絡は取れたろ?サザンカが心配してたよ]
バツが悪い様子で頭をかくアビゲイル。拡張現実で会話しながら、僕達は次々と戦浄していく。拡張現実のお陰で高次元の連携が取れるのはありがたい。味方が何を考え行動するのか、僅かなニュアンスも逃さずに理解し合えるからだ。
後、数十体。敵を視認して槌を振るおうとした時、僕は有り得ない光景を目にした。
[アビゲイル]
[どうした?サザンカの事ならこの後謝るつもりだぞ?]
[いや、違うんだ。感染者の中に……]
[何だよ]
[女の子がいる]
虐殺を繰り返す感染者達の群れの中を、しっかりとした足取りでこちらに向かって来る一人の少女。赤黒い色の髪の毛を風になびかせ、その髪の色が映える白いワンピースを着ている。何故、何故感染者に襲われないのか。
アビゲイルも視認した様で、嘘だろと言葉を漏らした。
今にも泣きそうな表情を浮かべながら、赤黒い髪の少女は此方へ向かって来る。得体の知れない少女に対して恐怖を覚え、僕は槌を構え様子を伺う事にした。
「ナニモコワクナイ」
単語と単語を繋ぎ合わせた簡単な英語。気がつくと彼女は既に僕との距離を詰めていて、槌にそっと手を添えていた。
「こんな所に居たら危ないよ、僕等と逃げよう」
「ナニモコワクナイ」
「僕の言ってる意味が分からないのかい?」
少女は首をかしげる。真っ黒で綺麗な瞳だなと思う。
「アナタ、ワタシ、ミンナ、シナナイ」
「うん。死なないさ」
少女が両の手を空に向け挙げた。するとどこに隠れていたというのか、至る所から現れた感染者達が彼女の周りに集まって行く。僕は慌ててその場から離れ、その異様な光景を見つめるしか出来なかった。そして少女は自分の顳顬に指を立てて言った。
「エデンノソノ」
それから数分で何処かへと赤黒い髪の少女と感染者達は消えて行った。
僕とアビゲイルはその光景をただ見守っていた。何故だか感染者に襲われる事はなかった。
[一体何だったんだありゃ、あんなの初めて見たぜ]
驚きを隠せないのはアビゲイルも一緒だった様で、拡張現実の中の彼の顔は引きつっている。僕もきっとそうなのだろう。
[何が何だか……あの子は一体……]
[感染者か?]
[いや、それはないと思う。彼等よりもあの子には知能がある気がする。少しだけ話をしたんだ]
[普通の人間が、感染者に襲われないなんて有り得ないだろ]
僕達は殺した感染者の山の上で立ち尽くした。目の前で繰り広げられていた光景を何度も頭の中で再生しながら、頭の中で映し出される映像を未だに現実の物だと認識出来ずにいる。
僕は少女が言った言葉を、少女と同じ様に顳顬に手を当てながら呟いてみた。
「エデンの園」
虐殺の戦浄者【ロンダリンガー】 小村計威 @Keii
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