これは大仏じゃなくて、盧舎那仏なんだからねっ!

綾部 響

東大寺―国立博物館

「ちょっとーっ! 何よーっ! 何がどーなってるのーっ!?」

 

 静まり返った館内に、水瀬みなせ由加里ゆかりの取り乱した叫びが響き渡った。

 

 ―――ガシャンッ……ガシャンッ……。

 

 その声へと呼応している様に、鎧の打ち鳴らす音をさせて、展示してあった筈の・・・・・・・・・国宝美術品達・・・・・・が彼女達に迫ってきた。

 

「ねぇねぇ、ユッキーッ! これってどーゆー事なのよ!?」

 

 由加里は傍らに佇む親友の征屋まさや雪白ゆきしろの袖をつかんで頻りに引っ張り彼女に問い質す。

 

「……そんなの……そんなの私にも解らないよーっ!」

 

 しかし雪白にも、何故訪れた奈良県国立博物館で展示されている無数の仏像に襲われているのか、明確に説明出来なかった。

 無機質に、無言で近付いてきた国宝級仏像達は、本来ならば退魔の力を持つというそれぞれの得物を振りかぶり、彼女達へ次々と降り下ろしていく。

 

 ―――ギュギュギュンッ!

 

 咄嗟に雪白が張った、まるでクマのヌイグルミを思わせる“断層”がそれらの攻撃を全て受け止め、跳ね返す。今の雪白は強い力を使える“装備”ではないものの、神仏達が繰り出す攻撃を受け止めるだけの力は発揮できた様だった。

 

「ユッキー、ユッキーッ!」

 

 由加里は半狂乱に近い状態で雪白に抱きついている。常軌を逸した現象は、常人を錯乱させるに十分だった。

 

「こ……これくらいなら……なんとか……って、ヤッバーイ……」

 

 取り囲む数体の仏像、その向こうに一際大きく力を感じる神仏が姿を表した。

 

「あ……阿修羅像……」

 

 流石に雪白も由加里でさえ、その姿形に見覚えがある。いや、日本国民ならば大抵は知っているのでは無いだろうか。

 

 ―――国宝重要文化財……。

 

 ―――三面六臂さんめんろっぴの闘神……。

 

 たった一神で、天上の神々に戦いを挑んだという武神が、彼女達の元へと向かっていた。その荘厳なる姿を見た雪白は、直感的に今のままでは敵わないと感じ取った。

 しかし神仏達の攻勢でその場から逃げ出すことも出来ず、程なく阿修羅像は雪白達の傍まで接近を果たした。

 振りかぶられる六本の腕。

 通常は眉根を寄せた、少し憂いを帯びた表情であるにも関わらず、今の阿修羅像には何の感情も見て取れない。

 恐怖で動きの止まった雪白達に、阿修羅の拳が降り下ろされた。

 

 ―――ガキュンッ!

 

 雪白と阿修羅像の間に割って入ったクマさんの断層だったが、僅かな抵抗をしたのみで打ち砕かれ霧散してしまった。

 

「な……っ!?」

 

 余りにも圧倒的な力を前に、雪白も言葉を無くしてしまった。だが阿修羅像はそんな事には構わず、第2撃を繰り出そうとする。

 絶望が彼女達を押し潰そうとしたまさにその時、突如石像達が動きを止めた。目を瞑り“その時”に備えていた彼女達は、突然起こった異変にゆっくりと周囲を見回した。

 

「おいっ! 大丈夫かっ!?」

 

 そこに現れたのは……。

 

「わ……渡会わたらい直仁すぐひとー!?」

 

 彼女は彼の姿を目にして、すっ頓狂な声を上げてしまった。

 見た目こそ女装をしているが、彼こそは雪白が(勝手に)ライバルと定める、渡会直仁その人であったのだ。

 

「あ……ああ、そうだが……君は?」

 

 だが彼と雪白の間に面識はなく、いきなりフルネームを呼ばれた直仁は、現状を差し置いてキョトンとしてしまった。

 

「い……いえ……別に……」

 

 しかし本人を前にしているとは言え、今この状況で彼に何かを言うことは憚られた。

 

「兎に角ここは危険だ。すぐに離れろ、良いな?」

 

 渡会直仁が出てきたならば、それは「異能力」を必要とする案件だ。本来ならば雪白も手伝いたい所だが、彼女の経験と力は彼に遠く及ばない。悔しさを滲ませて直仁の後を歩く雪白を尻目に、由加里は状況を確認した。

 

「あ……あの……すみません、これは一体……」

 

「ああ……“無機物を操る異能者”が海外から来て犯罪を繰り返してる。俺はそれを止める為に動いてるんだが……」

 

 言い澱んだ彼の表情は苦渋の色が見える。恐らくは上手くいっていないのだろう。

 

「や……野郎……何て事考えやがる……」

 

 国立博物館を出た雪白達は絶句し、直仁はそう呟いた。

 博物館の北東、すぐ近くにある超有名寺社「東大寺」。その本尊が安置してある社から、不気味な地鳴り音が響いている。彼女達にはその理由が即座に想像できたのだ。

 

「くそっ! 君達は早く逃げろっ! 良いなっ!」

 

 それだけ言い残して、直仁は音の方角へと駆けていった。

 

「ユッキーッ! 早く逃げようっ!」

 

 裾を引く由加里の声に、雪白は直ぐ様反応できなかった。

 

 ―――逃げたいけれど逃げたくない。

 

 彼女の心には、その二つの葛藤が渦巻いていた。

 

「ゴメンッ! 由加里、行ってくるっ!」

 

 雪白はそう言うと、由加里を置いて直仁の去った方角へと駆けていった。

 

 

 

 

「くそっ! この大仏の動きを止めておけれれば……っ!」

 

 直仁は思わずそう毒づいた。

 今彼が相手にしているのは、何あろう「国宝 奈良の大仏」であった。

 正式名称「毘盧舎那仏びるしゃなふつ」。日本最大級の座像として全国的に超有名であり、知らない者は殆ど居ないだろう。座高15mの大仏が立ち上がった今の全長はおおよそ30m。さしもの直仁と言えど、これだけ強大で巨大な物を押し止めておくには、今の装備では全精力を傾けなければならず、首謀者を探しに向かうことも儘ならなかった。

 と、突然大仏の前に、クマさんを模した半透明の物体が出現し組み付いた。

 

「渡会直仁っ! ここは私がっ!」

 

 直仁が声の方へと目をやると、そこには雪白の姿があった。しかしその姿は、先程までと全く違うものだった。

 紫色の直垂ひたたたれを身に纏い、頭には烏帽子えぼしを付けた姿は平安時代の武士さながらであった。直仁には何故そんな姿をしているのかすぐに思い付かなかったが、彼女が大仏を押し止めている事実に間違いはなかった。

 

「すまんっ! 少しだけ持たせてくれっ!」

 

 そう告げた直仁は、殆ど特撮映画の様相を呈してきた現場を雪白に任せて駆け出した。

 

「まっかせなさいっ!」

 

 その言葉に殊の外気分を良くした雪白は、断層で作られた巨大クマさんに更なる力を込めた。

 

 

 

 

 

「……まったくユッキーは無茶してー……でもよくあんな衣装を見つけたね」

 

 全てが終わり、帰路に着く雪白達は先ほど起こった出来事を振り返っていた。

 

「近くに貸衣裳のお店が見えたから、ここならって……ね」

 

 雪白達は事件のゴタゴタに巻き込まれる前にその場を立ち去っていた。形を変えた仏像郡も、直仁が首謀者を捉え、全てを元通りにさせたのだった。

 

「あー……でもこんな事はもうコリゴリだよー……」

 

 由加里の心底から吐き出された呟きに、雪白もにこやかに微笑んで頷いた。

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これは大仏じゃなくて、盧舎那仏なんだからねっ! 綾部 響 @Kyousan

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