天までとどけ
NES
まだ肌寒い、風の強い春の日に
最初にデートしたのが、この場所だった。
だからってわけじゃないけど、この場所は僕にとって特別な場所だ。
三月の、まだ全然暖かくない、良く晴れてはいるけど風の強いある日。
駅前で友人たちと待ち合わせて、僕は家族――家内と五歳の娘を連れて、昭和記念公園に向かった。
友人たちは、元々は同じ会社の同期入社の仲間だったのだが、今ではみんなてんでバラバラだ。
今日は一応花見、の予定で声をかけたのだが、みんなの都合を調整してみた結果、こんな時期になってしまった。
まだ梅だってロクに咲いていないし。
風が強すぎて外で飲み食いなんて、とてもではないができないだろう。
花見というつもりだけは十分にあるので。どこか自然のあるところに行きたいという話になった。
ならば、と駅から少し歩いて昭和記念公園にまでやってきたのだ。
昭和記念公園は、米軍の航空基地跡に作られた大きな国立公園だ。
広い園内に入るのに入場料がかかるのが玉にきずだが、美しい銀杏並木や、ボートにも乗れる広い池、長大なサイクリングロードが存在している。
箱根駅伝の予選会がおこなわれることでも有名だ。
そして、花見の場所としては、のべ十一ヘクタールはある「みんなの原っぱ」がよく利用される。
みんなの原っぱのはしっこ、桜の木が多く植えられているエリアに来てはみたのだが。
案の定、桜の花はつぼみが膨らんでいるのかどうかすら定かではない。
それどころか、みんなの原っぱには僕たち以外、人影はほとんど見られなかった。
十一ヘクタール、ほぼ貸切状態だった。
五歳の娘は元気いっぱいだ。
この公園に来ると、いつも目にも止まらないスピードで走り去ってしまう。
しかし、今日のところは、僕が一人できりきり舞いする必要はないだろう。
何しろ、心強い友人たちがついていてくれるのだ。
みんな普段運動とは皆無な生活をしているだろうから、この機会に僕の娘に鍛えてもらうと良い。
原っぱの中央にある大きなケヤキの木は、高さが二十メートル以上ある。
日陰だと寒いので、そこから少し離れたところにビニールシートを敷いた。
風で煽られて、あっという間にめくれ上がる。
靴だ荷物だと、四隅に色々と置いてみたが、まだバタバタと暴れて危なっかしい感じだ。
誰かが見ていないと、気が付いたらなにもかもがばらばらになって吹き飛んでしまう。
そうなったとしたら、これだけ広いのだ。拾い集めるのが大変なことになりそうだ。
少し離れた場所で、娘は僕の友人たちと凧を揚げようとしていた。
花見に来て凧揚げって、どういう理由でそうなったのか。
「凧揚げできる広い場所って、イマドキなかなかないんだよ」
まあ、そうなのかもしれないな。
売店で買ったビニールのゲイラカイトを組み立てて、娘がきゃっきゃとはしゃいでいる。
楽しそうだし、いいか。相変わらず風でビニールシートが飛んでしまいそうなので、僕は家内と留守番をすることにした。
二人で並んで座っていると、空が高く感じる。
大きな青空のドームの下、芝生の色はまだ枯れ草色だ。
「あの子たち、大丈夫なのかしらね」
「知らん」
正直、友人たちは娘と精神年齢的にあまり変化が無い気がする。
他にほとんど誰もいない原っぱを、大声を出しながら走り回っている。
困った連中だ。
「みんな、結婚しないの?」
「相手がいないんじゃないのかなぁ」
何しろこんなところで、友人の娘相手に凧揚げして喜んでいるような連中だ。
デートする相手だっているかどうかも怪しい。
凧が揚がって、歓声が上がった。
強く引っ張られる凧糸を握って、娘が「すごいすごい」と喜んでいる。
あそこにいる全員、同じくらいの年頃の子供がいてもおかしくないのにな。
「でも、結婚が一番意外なのはあなただって評判だったけどね」
家内が愉快そうに笑った。
「なんでさ。別に普通だろう」
「だって、あなた独身主義者とか言ってたじゃない」
「うるさいな。当時はそうだったんだよ」
ここは、僕が君に恋をした場所。
まだ肌寒い春の日に、今と同じように、誰もいない広い原っぱで二人、並んで歩いた。
ずっと一人でもいいって思ってた。
誰かを好きになると、傷つけてしまうと思っていた。
手を繋いでいる君は、そんなことを感じさせない。
ああそうか。
ただ、そこにいてくれれば、それで僕は嬉しいんだって。
たったそれだけのことだけど。
君はそれに、気付かせてくれた。
「パパ、パパ、紐! 追加!」
娘がやかましく騒ぎながら走ってくる。
季節外れの凧は、春の強風にあおられてあっという間に空高く揚がってしまった。
継ぎ足しの凧糸が売店で売られているという話だ。
やれやれ。
娘の頭にそっと触れる。
暖かい、
真っ直ぐで、大きな黒い瞳。
こんな僕に、大切な人が、二人もできてしまうなんて。
じゃあ、もっと高く揚げてみようか。
どこまでいけるか判らないけれど、できるだけ、高く。
今の僕たちがいける限り、ずっと高く。
凧凧、揚がれ。天まで揚がれ。
天までとどけ NES @SpringLover
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます