幻の陶磁器

小暮悠斗

第1話

 私はしがない陶芸家である。

 陶芸家と言っても自分の作品の売買だけでは生活をすることの厳しい無名の陶芸家の一人である。

 私の住まうこの地―臼杵うすき末広すえひろはかつて焼物で繁盛していた。

 僅か十数年という短い期間ではあったが、確かに末広に藩窯として開窯し、近世陶磁器が生産された。

 その末広焼の栄華も二百年以上も前のことである。

 臼杵藩の藩窯として開窯した末広焼は現代で言うところの特産品として売り出すために生産をしていたはずなのだが、廃窯になってしまったのにはそれなりの理由がある。

 しかし、十数年しか開かれていなかった窯ということもあり記録はあまり多く残ってはいない。

 そんな中、要因の一つとして考えられているのが、長崎県の島原から招いた陶工、伊右衛門いえもんが亡くなったからだとも言われている。しかし、それだけではなく、そもそも臼杵には焼物に適した良質の陶土とうどがなく、原料を他の地域から取り寄せなければならず――そうした他の地域に依存しているために経費がかさんだり、安くて良質な焼物が藩外からもたらされたことなどが重なり廃窯へと繋がってしまったのだろう。

 しかし、現代ではそれらの問題の多くは解決される。

 材料の運搬料金も工夫次第で抑えられるし、多少高価な代物でも売れる時代である。

 安い大量生産品も高価な一品物も関係なく消費される時代なのだ。

 では広末焼はどちらの路線で売ればいいのか、そんなことは言うまでもなく高級品として売るしかない。材料を仕入れている中、安価で売れば赤字は確定なのだから。

 

 工房に籠り末広焼の制作に着手した私は、早々に壁にぶち当たった。

 再現するべき現物が手元にないのである。知識として、磁器の文様は延岡小峰焼の系譜をひき、陶器については小石原焼の影響が伺える、というような知識はあるものの、現物が手元にない時点でそれ以上のことはわからない。

 どうしたものかと頭を悩ませる。

 そんな時にメインの収入源となっている陶芸教室の受講生である中学生の女の子に言われたひと言が私の制作活動に大きな影響を与えた。

 「マネするのもいいけど、先生もいつも私たちに言っているように自由に作ればいいじゃん」

 その何気ないひと言が私の中にあった固定概念を打ち壊した。

 私は他の誰でもない。ましてやかつての陶工、伊右衛門でもないのだ。私は私の作品を作ろう。きっと自分のオリジナルで作品を生み出すということは容易ではないのだろう。それでも、私は生まれ育ったこの地で、自分を表現したいと思う。

 「何か吹っ切れた? 先生」

 「ああ、ありがとう君のおかげでね」

 「そう、それはよかった。でも、早く何とかしないとこの工房潰れちゃうよ」

 痛いところを突いてくる。

 「ご忠告ありがとう」

 「いえいえ、当然のことです。私は先生の一番弟子ですから」

 そう言うと、私の一番弟子を名乗る少女は、泥だらけの顔に白い歯を覗かせながら、私に歪なお椀を差し出して笑う。

 私はそのお椀を受け取ると乾燥室へと持って行く。

 乾燥室には試作品が積み上げられていた。

 丁寧に一番弟子の作品を乾燥棚へと仕舞う。


 工房に戻ると一番弟子は黙々と轆轤ろくろを回していた。

 腕を捲り、私は一番弟子と向かい合う形で轆轤を設置し、自分も轆轤を回転させた。

 こうしてのんびり誰かと制作するのもいいかもしれないと考えながら土殺しを行う。

 「先生は何を作るの?」

 「そうだな、まずは君のためにお椀のお手本でも作ろうか」

 そして私がお椀を作るのを二つの瞳がじっと見つめていた。

 「私もこのくらいできるようにならなくちゃ」と小さな声が聞こえた。

 目の前の一番弟子が私と同じようにお椀を作れるようになるのは何年後になるのだろうか。いや、もしかしたらあっという間に私を追い抜いて末広焼を完成させてしまうかもしれない。

 意外と近いかもしれない未来に思いを馳せながら私はお椀を形作る。

 そしてそれは明日も明後日も――これからもずっと続いて行くのだろう。

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