第5話 風の高原



 竜国暦1039年、初夏。

 第五の月、<麦苗月むぎなえづき>のついたちに、その会談は執り行なわれることに決まった。


 そこからのレオンハルトの動きは、思ったよりもずっと早かった。

 かの「王太子」は素早く雷竜国、土竜国に使者をとばし、両国からもこの会談の場に同席して貰う者を募ったのである。

 すなわち、雷竜国からはその王の側近の老人、ヤーコブが。そして土竜国からは、王太子テオフィルスが、それぞれわざわざ自分の少しの手勢を連れて、この会見に臨むとの返答があったとのことだった。


(これは……まずいのではないか)


 「敵方」のこのあまりの首尾のよさに、風竜国宰相ムスタファはずっと気が気ではなかった。

 やはり、おおっぴらにはしていなくとも、かのレオンハルトは両国の王のはっきりとした後ろ盾を得ているのだ。このままでは、この王権も、我が権勢も危ういものとなってしまう。


(だというのに……!)


 ムスタファは、己が執務室の机の前で苛々と両手をもみ合わせた。

 肝心の王ゲルハルトはと言えば、相変わらず「そやつは我が甥の名を僭称する不届き者よ」「会談の場で化けの皮を剥がして見せようほどに」と飽くまでも強気な主張の一点張りだった。

 こうまでなると、ムスタファもなにがしかの裏があるのではないかとさすがに疑いを持ち始めている。あの王は、なにやら密かに思うところがあるのではないのかと。


(いや……その時は、その時よ。)


 王の周囲に侍らしているのは、すべて我が息の掛かった者ばかり。

 いざとなればあんな王、あっという間にあの世へ叩き送ってしまえばよいのだ。別に大声で吹聴するようなことではないが、人をそうとはばれぬように「病死」させるなど、この王宮にあっては容易いこと。

 今後、あの王がちらとでも不審な様子を見せればその瞬間に、奴にはこの世からおさらばして貰うまでだ。

 会談には勿論自分もついてゆくが、そこに伴う人員についても、ムスタファはすでに十分に吟味している。いざとなれば秘密裏に王に「病死」をして頂くための人員をだ。

 なんとなれば、今のうちにそうなっていただくこともやぶさかではないぐらいなのであるが。如何いかんせん、今は他の貴族連中が主戦論を唱える今の強気なゲルハルト王を結構気に入ってしまっている。今すぐに奴を殺してしまうことは、彼らの意を無にすることでもあり、今後の自分の人脈にも影響しかねないのだった。


 実を言えばムスタファは、かのレオンハルトが偽者であるとの証拠とするため、先王ヴェルンハルトに面差しの似た若者を国内から探し出して、こちらに「本物」を仕立て上げることも考えたのだ。

 だが、それについては例の「風の峡谷」にまつわる伝説の話が出たことで諦めざるを得なかった。

 それこそ、「ではどちらが本物か」とばかりにその地域に連れてゆかれてしまったら、恥をかくのは恐らくこちらになるだろうから。いや実際、偽者の王太子をでっち上げたりなどすれば、こちらは単に恥をかくばかりでは済まなくなろう。それこそ、死罪を賜っても文句は言えぬ。


 そうして、この太った老人がなんのかのと手をこまねいているうちに、月は変わり、遂にその日がやってきてしまったのだった。




◆◆◆




 その日、空は快晴だった。

 初夏の日差しが明るく広い草原を照らし、初々しい緑の波の上に爽やかな風がわたっている。

 周囲よりもやや小高い位置にある高原の、その北方に目をやれば、常に分厚い雲に山頂を隠しているその山、「風の峡谷ヴィント・シュルフト」の中心に聳える竜の眠る山が、巨大な威容を晒していた。

 この峡谷の地域は、深い谷と峻険な山々の織りなす厳しい環境となっているけれども、そこからすこし離れたこちら側はあちこちに草原も存在している。



 今、草原のあちらとこちらには、優に五百ヤルド(約五百キロメートル)も離れてそれぞれの軍勢が隊列を整え、ひしひしと詰め寄せている。

 彼らのそばには、それぞれの長が収まるべき大きめの天幕が張られていた。中でも最も大きな二つの天幕は、勿論レオンと、国王ゲルハルトの入るためのものである。

 何も知らない者がこの場を見れば、それぞれの天幕に全く同じ設えの旗を立てていることが、一種異様に見えたことだろう。

 草原の東側にいるのは、隻眼の黒馬に跨った文官らしい中年の男と、それぞれ馬に乗った武官らしき巨躯の男はじめ、騎馬の一個大隊、約五百名である。

 それは事前に互いに協議して決めた数なので、西側のゲルハルト率いる一団もほぼ同数であった。とはいえお互い、見えない場所に置いた伏兵などについてはこの限りではない。

 葦毛の馬にまたがるゲルハルトの隣には、豪奢なつくりの箱馬車が引いてこられており、中にはぶくぶくと太ったムスタファがさも大儀そうにその巨体を座椅子に押し込めていた。


 さらに二つの隊列から少し離れて、北側には雷竜国のヤーコブ老人、南側に土竜国の王太子テオフィルスとが、それぞれの手勢百名ばかりをつれて待機していた。

 かれら二名は一応、この場の見届け役としての任をもってここに招待されている。





 一同が集まったのは、すでに午後も相当に遅い時間であった。

 もともと、南の国々とは異なり、北の国である風竜国フリュスターンにあっては春先とはいえまだ日中の時間の短い時候である。

 午後もやや遅めの時間に参集することとなっていたこの会談は、そのおもな部分が夜間に入ってから行なわれることになるのは必定だった。


 一般的に、こうした会談は午前中、あるいは昼間の比較的早い時間に行なわれるのが通例なのだが、レオンハルト側からの強い要望があり、今回はこうした遅い時間に執り行われることになったのだ。

 もちろんムスタファがそれに文句をつけたのは言うまでもない。しかし、当の王ゲルハルトが「まあ良いではないか」と当然のごとくに承諾してしまったために、遂にこういう仕儀になったのだ。

「伏兵なりなんなり、万事怠りなく準備すれば済むことであろう。暗いのならば、それこそ好都合というものではないか」

 というのが、その時の王の弁だった。

 ムスタファはまたぞろ、腹の底で不穏なものが波立つのを覚えたけれども、それをしかとはつかみきれぬまま、王の言うままに周辺に兵らを潜ませ、この会談に臨むことになったのだった。



 やがて遠い山のに、空と雲と山々の額とを赤く燃え上がらせながら太陽が没すると、高原には急に肌寒い風が吹き渡った。

 それが、会談の合図でもあった。

 二国の面々は、会談に臨む者だけがゆるゆると天幕近くから離れて、騎馬の武官二名だけを連れ、高原の中央部、すでにそのために篝火に囲まれた卓と椅子などの準備された場所へと歩みだした。

 それまでその場に姿を見せていなかったレオンハルトは、黒馬に乗っていた男が天幕に呼びに戻ったらしく、その時になってようやくその姿を見せた。



(あ、……あれは!)


 遠目にその男の姿を見た時から、ムスタファは我が身の芯が震えるのを禁じえなかった。

「お、……おお」

「あれは……」

 ムスタファの背後にいるほかの将軍、文官らも、ただそう言ったきりもはや声を失ってその青年を凝視している。


 これはもう、仕方がないと思わざるを得なかった。

 長い黒髪に、その精悍な佇まい。若いながらも身にまとうのは、紛れもない威風だった。濃い緑色の軍装に黒いマントを翻しながら歩いてくるその姿、身のこなし。そこには一分の隙もなかった。

 ここまでかの先王ヴェルンハルトに生き写しでは、だれもこの男を「偽者だ」などとは言い切れまい。

 単に容姿が似ているばかりではなく、その雰囲気といい何といい、これではどうしたってあの颯爽とした先王を彷彿とさせずには置かないではないか。


 やがて、もっとよく見える位置までその青年がやってくるにつれて、ムスタファの胸はますます、暗い霧にふさがれるように思われた。

 爽やかな色を湛えた翠の瞳は、残念ながら黒革の眼帯によって片方を閉じられてはいるものの、それでもその父――と、ムスタファですら心の中では認めざるを得なかった――と、瓜二つと言っても良いほどに、叡智と厳しさと冷静さとを併せ持った光を湛えていた。



 会談を始めるにあたり、皆は仲介役とも言うべき雷竜国のヤーコブ老人によってそれぞれの紹介を受けた。


 一堂に会した面々は、護衛の武官を除いて以下のとおり。

 ゲルハルト側は王と宰相ムスタファ、将軍ら二名、高級文官二名と侍従の男。

 そしてレオンハルト側のアネル、ファルコ、ベリエス、コンラディン。そこに、さらに付き添いの女がひとり。

 そして、この場の仲介および傍聴役としてのヤーコブとテオフィルス。

 以上、十六名である。


 (このアネルと言う男、もしや……)


 ムスタファは、紹介されて着座するまでの間、相手の面々をじっと観察しながら考えていた。

 実は彼も、かつてヴェルンハルト王のお気に入りであった医術魔法官エリクという青年との面識がある。ゆえに、目の前にいるこの中年男の顔には確かに見覚えがあったのだ。

 しかし、怪訝な顔で自分をじろじろと見やる老人の視線に、アネルはただそ知らぬ顔で、にっこりと微笑を返してくるばかりだった。


 レオンハルトはゲルハルトの正面に着座して、改めて王に対して一礼をした。

「陛下と皆々さまにおかれましては、斯様な場所までご足労いただき、まことに有難うございました。改めまして、ヴェルンハルトの子、レオンハルトと申します」

 そう言う声も、非常な落ち着きと胆力を感じさせるものである。先王を知る者らにとっては、もはや背筋が寒くなるばかりにあの王のものにそっくりだった。

 ムスタファと共に着座している武官、文官の面々も、声をなくしてこの青年に見入っている。

 だが不思議なことに、当のゲルハルトはさほどに驚いた様子がなかった。


(これは……もしや)


 ムスタファの嫌な予感は、どうやら的中しているようだった。

 間違いない。彼らは恐らく、すでに面識があるのに違いなかった。

 いったいどこでどうやって、そんな再会を果たしていたのかは皆目わからなかったけれども。


(し、しかし――)


 だとすればこの会談そのものが、もはや茶番以外のなにものでもないのではないか――。

 嫌な予感と緊張が、ぴりぴりと老人の肌に痛みを生じさせた。

 そしてムスタファは、ひっそりと皆の背後に立っている、自分の侍従の男にそっと目配せをしたのだった。

 いざとなればこの男に、その行動を起こさせるために。

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