第12話 謁見


「よ。久し振りだな、坊主」


 城砦の中の小さな部屋で少し待たされていたクルトたちのもとにやってきたのは、あの巨躯の男、ファルコだった。

 男はやってくるなりにかっと笑って、そのでかい手のひらでクルトの頭をぼすぼす叩いた。


「お。ちいっと、背、のびたかあ?」

「ってえなあ! やめろよ、おっさん……!」

「いや、わりい悪い。なんせ、丁度いいとこにこう、お前の頭があるもんでよ――」


 一毫いちごうも悪いとは思っていない声で男はそう言うと、「ついて来な」とひと言いって、城砦の通路を先に立って歩き出した。

 石造りの城砦は、各所に武器や食料の蓄えなどもたっぷりとしてあるようで、夜だけれども松明の明かりの中、剣術の鍛錬中らしい兵たちのきびきびした声が聞こえてきている。ちょっと見るだけでも、ここにいる兵士たちの士気はとても高いようだった。


 城砦の奥まった部屋に着き、ファルコは中へ声を掛けると、素朴なつくりのその木製の扉を開いた。

 中に入ると、隅に置かれた燭台の明かりに照らされたそこは、十ヤルド(約十メートル)四方ほどの会議のための部屋らしかった。

 正面の壁には風竜国のものらしい地図の描かれた大きな布が掛けられ、風竜国の色でもある緑の布地に金糸で竜頭をあしらった旗が立てられている。その旗以外には全体に、特に華美に見えるような設えは一切ない。


 大きめの卓の向こう側に、黒髪、隻眼のその男は立っていた。彼の脇には彼の養父であるアネルと、黒髪のあの女が立っている。

 レオンは旗の色とよく似た濃い緑色の軍服を身に纏い、黒いマントを流した出で立ちだった。山の中を放浪していたときには本当にほったらかしにしていてぼさぼさだった髪なども、今はある程度整えられているようで、はるかに男ぶりが上がって見えた。


「レオン……!」


 クルトは彼を見ると思わず、なにも考えずにそちらに駆け寄ろうとした。が、あっさり背後にいた巨躯の男の大きな腕に肩をつかまれ、それを阻止されてしまった。

「こらこら。おめえは一応、隣国から来た『お使者サマ』だろうがよ。ちゃんと手順を踏まねえか」

「ちょ……、放せよ、おっさん――!」

 ばたばた両手を振り回して抵抗しようとしたが、クルトの身体はまるでそこに縫いとめられたかのように、一歩も前に進めなかった。なんだか万力にでも掴まれたような感じだった。

「いいから先に手紙をよこしな」

 男はそう言って、あっさりクルトから書簡を取り上げると、それをごくぞんざいにアネルに渡した。

 アネルはそれを一読し、少し眉を顰めると、すぐに隣にいるレオンに渡した。レオンもそれに素早く目を通すと、「なるほどな」とひと言いって、改めてこちらを向いた。


「わざわざご苦労だったな、クルト、カール。エドヴァルト陛下のお気遣い、痛み入る。土竜国の宰相、ハンネマンについては、こちらも注視はしていたところだった。陛下には、俺が重々、礼を申していたとお伝えしてくれ」

「あ、うん……」


 淡々と静かにそう言われてしまうと、クルトは今までこの男に次に会ったら絶対に叩きつけてやるんだと思い続けていた言葉のほとんどが、重たく胸の底に落ち込んでゆくのを覚えた。

 いかにも次代の王らしい出で立ちと佇まいの彼を見ると、急にこの男がひどく遠い人になってしまったような気がした。


 この男はもう、ニーナやクルトと一緒に山や森の中を放浪していた、あのレオンとは違うのだ。

 レオンはもう、風竜国の正統な王位継承者レオンハルトとしての道を歩みだしている。もう二度と、あんなふうに自由に、ニーナと山野を旅することなどない男なのだ。


 その現実を、いまはっきりと目の前に突きつけられたような気がして、クルトの胸はぎゅうっと痛みを訴えた。

 背中にかけた布袋の中にいる「人」は、こそりとも音を立てない。


(ニーナさん……)


 本当に、会わないつもりか。

 このまま、黙って帰るつもりか。

 あの時、たしかにレオンは「もうお会いすることはない」とは言ったけれど。

 でもそれは、この男が一方的にそう言っただけのこと。そこにいるミカエラに脅されて、ニーナの身を気遣うあまりに、勝手にそう決めてしまっただけのことだ。

 ニーナがそれを、「はいそうですか」と素直に了承する必要などないことではないか。

 それに、多分あのエドヴァルトだって、この使者の務めにニーナの力を頼ったのは、他に含むところがあるからに決まっている。

 きっとあの王だって、伯父として姪のニーナに、レオンに会わせてやりたいと思ったのに違いないのだ。

 それなのに。


「ニーナさん。……出てこいよ」


 低い声でそう言ったら、隣でカールが「おい」と心配そうな声を出した。明らかに「やめとけよ」という意味だったけれども、クルトは聞こえないふりをした。


「出てこいったら。……ニーナさん……!」


 むかむかと腹の底から熱くて不快なものがこみ上げてきて、脳天がかあっと熱くなった。

 クルトは唇を噛み、拳を握り締めた。

 そして、その翠色をした隻眼で少し悲しげにこちらを見ているレオンをぎりっと睨みつけた。


(大人って……バカだ。)


 なにを、格好つけてるんだ。

 会いたかったら会いたいって、素直に言えばいいじゃないか。

 本当に大事な人はだれかなんて、一緒にいたい人はだれかなんて、二人ともちゃんと分かってるくせに。

 余計なごたくなんて、どうだっていい。


(だって俺、……俺はこんなの、ぜったいイヤだ……!)


 そう思ったのと、布袋を肩から外したのは同時だった。


「お、おい……!」


 カールが慌てて止めようとしたらしかったが、クルトは彼の手からさっと飛びすさって、あっという間に袋の口を緩めると、それをさかさまにして、そこで思い切りばさばさ振った。

 ばらばらっと、その中に入っていた弁当代わりの固焼きパンやら干し肉やら水筒やら、傷薬の軟膏やらが、石づくりの床の上に散らばった。

 そしてころんと、小さな白い竜も転がり出た。


「…………」


 場の皆は、絶句してその様子を見つめていた。

 レオンも声を無くし、ただ呆然とクルトの足許に転がり出てきたものを凝視していた。

 彼はその瞬間、確かに思わず一歩こちらに踏み出し、小さな竜に手を差し伸べようとしたように見えた。けれども、ぴたりとその動きを止めて、あとはただもう、出そうとした手を拳に握り、竜を見つめているばかりだった。

 ミカエラだけは、それが何であるかを悟った途端、凄まじい目でこちらを睨んだ。

 ファルコは何故か、素早く移動してその女のそば、竜と女との間に立ちはだかるように、さり気なく立ったようだった。


「あ〜、ごめんな。手、すべっちゃった」


 クルトはすっ呆けた声でそう言って、何事もなかったような顔でしゃがみこみ、そこらに散らばった自分の持ち物をのんびりと集め始めた。

 竜は小さな姿のまま、困ったように周囲を見上げ、一瞬、レオンと目が合ったようだったが、しおしおと首を下げて彼から目をそらすようにしていた。


「…………」


 レオンはなんともいえない目をして、しばらくじっとその竜を見ていた。

 そうして、その場に片膝をつくと、竜に向かって静かに頭を下げた。


「……姫殿下。お久しゅうございます。お変わりなきご様子、なによりにございます……」


 竜は悲しげに頭を上げて、レオンの顔を見返したけれども、またふいとその顔をそらすと飛び上がり、ぱたぱたとクルトの方へとやってきて肩にとまった。

 彼女はもう、レオンのほうを見ようとする様子はなかった。「もう許して」とでも言うようにして、その小さな頭をじっとクルトの耳の辺りに押し付けているだけだった。そっと手をやると、その小さな体が震えているのがはっきり分かった。


(ニーナさん……)


 クルトは自分の身体が震えてくるのを感じた。

 ぐらぐらと滾るような何かが身内から膨れ上がってきて、どうにもこうにも、口を閉じていられなくなった。


「ばっきゃろ……。バカレオン――」


 本当は言ってはいけないことだ。それは分かっている。

 それもこれもみんな分かって、レオンもニーナも、あの時にああしたのだから。

 分かっているが、我慢すればそのぶん、それはここで見せたくもないものになって、目からあふれてしまいそうに思った。


「わかってんのか? ニーナさん、あのあと、どんだけ泣いたか、分かってんのかよっ……!」

「…………」


 床に膝をついたまま、じっとその隻眼でこちらを見上げるようにしたレオンは、やはり無言だった。その顔は、今までクルトが見た中でも一番、傷ついた人のそれに思えた。

 それでも歯を食いしばり、男は無言を貫いた。

 レオンはそのまま、厳しく眉間に皺を立てて、黙ってこちらに頭を下げた。


 クルトは今度は、ぎゅっと彼の背後に立っているミカエラに目をやった。

 女の紫色をした瞳は爛々と輝いていて、まっすぐにクルトの肩にいる竜を射抜き、明らかな憎しみに燃え盛っているようだった。


「ばっきゃろ……」


 噛み締めた歯の間から、クルトはまたその言葉を搾り出した。


「バカかよ、あんた……! ニーナさんがどんな思いで……あんたのこと、言わずに来てると思ってんだっ……!」


 ミカエラがそれを聞いて、ふと怪訝な目になった。

「なんですって……?」

 前にいるファルコが軽く片手を上げて彼女を制し、腕を上げさせまいとしている。

 レオンは黙って、苦渋に満ちた面持ちで視線を床に落としたままだった。


「何を言ってるの? この坊や――」

「みんな、ニーナさんには聞こえてんだ。あんたの心の声、思ってること――昔のことも、何もかも……あのアレクシスとおんなじにな……!」


 途端、女がはっと目をみはった。

 どうやらようやく、こちらの意図が分かったらしい。

 クルトはさらに言い募った。


「でも、ニーナさんは誰にも言わなかった。俺にも、もちろん、レオンにもだ。何年も、何年も……あんたのため、あんたみたいな奴のために、ずーっと我慢してくれてたのに……!」

「どういう意味よ。その女……何を聞いていたというの? わ、わたくしの――」


 次第しだいに、ミカエラの声がひきつり始める。

 その顔は真っ青で、全身がかたかた震えているのがこちらからでもはっきり分かった。


「言ったろ? 聞いてないって。だから知らないよ、ほんとのとこは。分かってるのは、あんたとニーナさんだけだ」


 クルトはじっとミカエラを睨みすえるようにして、あたかも相手を挑発するかのような笑顔さえ浮かべて言った。

 しかし、せっかく笑っているつもりなのに、とうとう、目からは見せたくないものが溢れ、頬から顎へとこぼれおちた。


「それなのに、あんたは……、あんたは、ニーナさんに酷いことばっかして。ニーナさんの一番大事なもの、平気で取り上げて。それでも、それでもニーナさんはあんたのこと、やっぱり誰にも言ってねえのに……!」


 こんなことがあるか。

 こんなにこの人は泣いているのに。

 いや、泣きたいのを堪えて、笑っているのに。

 それでもこんな女のために、ここまでしてやる必要があるもんか。


「人のこと、『坊や』とか言うんなら、大人だってんなら、ちゃんとしろ……!」


 嗚咽まみれで、もう、自分でも何を言っているのかよく分からなかった。

 それでも、小さな白い竜を片手で耳元に抱くようにして、しゃくりあげながらクルトは叫び続けた。


「そんなもんが大人だって言うんなら、俺……俺は、大人になんか、ならなくていい……!」


 と、そこまで叫んだところで、ずいといきなりファルコがこちらへやってきた。

「わかったわかった。坊主、お役目ごくろーさん」

 先ほどと同じように、またぼすぼす頭を叩かれる。

「そこの困ったおねーちゃんには、俺からもちゃんと言っとくからよ。今日のところはもう帰りな。……そっちのお姫サンも、なんかもういたたまれねえみてえだしよ」

「……う」


 そう言われて初めて目をやったら、肩の上の小さな竜はもう、しゅんと完全にしおたれて、翼で顔を半分隠すような状態になっていた。

 あまりにも悲しそうな竜の様子に、クルトは毒気を抜かれたようになって、すとんと肩から力がぬけた。

「あ……」

 震えている竜を見ているうちに、クルトの中でせりあがって、今にも爆発しそうになっていたいたものが、急にすうっと萎んでいった。

「ご、ごめんね……ニーナさん」


 そうして襲ってきたのは、ひどい後悔だった。

 やっぱり自分は、言うべきでないことを言ってしまったのかもしれない。

 そう思ったら、恥ずかしいような泣きたいような、もうどうしようもない気持ちがどっと溢れて、口の中に苦いものが広がった。


「おれ……」

「さ、出た出た。お帰りはこっちだぜ――」


 そのまま巨躯の男に背中をぐいぐいと押されるようにして、クルトとカールはあっさりと部屋の外へ連れ出された。

 後ろを振り向くような暇もなかった。


「ちょっと、待ちなさいよっ……!」


 ほとんど金切り声のようなミカエラの叫びが追ってきたが、どうやら女は他でもない、レオンの腕でその肩を抑えられて動けなくなっているようだった。

 ミカエラもさすがに、彼の腕を邪険に振りほどくことまではできないらしい。

 ファルコはすぐに後ろ手で扉を閉じて、大股にずんずんと二人を追い立てるようにして砦の建物の外へ出た。



 先ほどクルトたちを最初にみつけた兵たちが、怪訝そうな目でこちらを窺うようにしていたが、ファルコはぞんざいに手を振って「散れ、散れ。見世物みせもんじゃねえや」と彼らをそこから追い立てた。

 そしてそのまま、先ほどクルトたちが到着した塔のところへ案内した。


 塔のてっぺんで石造りの縁壁の上に足をかけ、竜はまた、音もなく体を大きなものに変えた。

 下で見ていた兵たちは、胆を潰したらしかった。

 月光に照らされた竜の鱗は、白銀にきらきら光って、本当に神々しいような美しさだった。


「竜だ……」

「竜……!」

「本物かよ、あれ……?」


 そんな呆然としたようなざわめきが下から聞こえてくる。

 ファルコはそんな兵らをじろりと見下ろして、ほとんど眼光だけで彼らを散開させてしまってから、改めてこちらを見た。

 男は不思議と、ごく機嫌がいいようだった。そしてまた、クルトの頭をぼすぼす叩いた。


「な〜んも、後悔なんてするこたあねえ」

「……え」

 驚いて見上げると、巨躯の男は月の光をあびて金色に見える瞳をきらきらさせて、顔じゅうでにっこりと笑っていた。

「よくぞ言ってくれたぜ、坊主。……あれでいいのよ。これでちったあ、目が覚めんだろ。あの女もよ――」

 そう言って、ちらりと砦の建物のほうを眺めたその目は、不思議と優しいもののように思えた。


 竜はカールとクルトをいつものように背中に乗せると、ほとんど翼の音もさせずにふわりと浮き上がり、次にはもう、あっというまに高度をあげて、「風の城塞」をあとにしていた。

 一瞬のうちに、塔の上から見送っているファルコの姿が小さくなった。

 そして城塞そのものも、あの魔女の発生させているもやに巻かれて、すぐによく見えなくなってしまった。


 それでも、クルトは気づいていた。

 かの男が、城塞の小さな物見の窓から、じっとこちらを見ていたことに。

 夜空を駆け去ってゆく自分たちの姿を、あの精悍な翠色をした隻眼が、いつまでも追いかけてきていたことに。

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