第11話 訪問



 風竜国宰相、ムスタファは、このところ呆気に取られている。

 あれほど心弱くなり、あのレオンハルトめが「王権を返せ」とばかりに迫ってくればその話に応じるなどと児戯のようなことをほざいていたかの王が、なぜか急に、ある日を境に主戦論に傾いたからである。 


 曰く、

「我が兄ヴェルンハルトの子、王太子レオンハルトは、二十数年前に確かに死した。いまわが国に舞い戻り、我が甥の名をかたって王権を狙いおるやつばらなど、余は決して許すにあたわず」

「草の根を分けても探し出し、必ずやその偽者を我が面前に引き出すのだ」

「さすればこの主権者たる余が直々に、彼奴きやつの化けの皮を剥がして見せようほどに」

「彼奴のもとに参集せし雑兵どももまた、同様。早急に探し出し、厳罰に処するべし」――



(いったい、何が起こったのだ……?)


 御前会議がお開きとなり、会議場から三々五々、散ってゆく高級文官らの間を歩きながら、ムスタファは焦眉のままにその太った身体をゆすりあげた。

 周囲を歩く議会の面々は、一様に「近頃のゲルハルト陛下の覇気は、いや素晴らしゅうございますな」などと、ただ阿呆のように嬉しげにこちらに話しかけてくるのだが。


(阿呆どもめ。やかましいわ――)


 それすらも、もはや忌々しいとすら思うほどだった。


 まったくもって、腑に落ちぬ。

 つい先日まで、青い顔をして「あのレオンハルトは本物に違いない」「王座を明け渡すことこそ筋だ」等々、幼子のように震えていたあの男が。

 いったい何に力を得たものか、このところすっかり「偽者の『レオンハルト』討つべし」との主張に傾いている。

 もちろんそれは、有難い。自分たち臣下にとって、つまりはムスタファの一族にとって、それこそ都合のよい話にほかならなかった。


 しかし、何かがしっくり来ない。

 あの王は、今では何より、弑逆した兄王への贖罪を果たすことにこそ執着していたのではなかったか。

 かつて犯した自分の罪を負いきれず、後悔と慙愧に塗れて心を弱らせていたのではなかったか……。


(まったく、わからぬ……)


 王の身の回りにつけている侍従や召使いもすべて、自分の息の掛かった者らばかりである。王の異変については逐一、彼らから普段の生活ぶりまで聞き取って情報を得ているというのに。

 ここまでのところ、なにかとりわけ王の身辺に変わったことが起こったという報告は一切あがってきていない。

 一体なにが、王の心をここまで変貌させたものか――。


 この、胸内むなうちから湧き上がってくる嫌な予感だけは、どうしようもない。

 ともかくも、情報収集だけは怠らぬようにと口をすっぱくして王の近習らには申し渡しておくしかないが。


(いずれにしても。気を引き締めてかからねばな……)


 老人は、最終的にはいつもと同じ結論に達すると、じゃらじゃらと装飾品の音をたてながら、豪奢な文官服に包まれた重い体を自分の執務室へと運んでいった。




◆◆◆




 その夜。

 その思わぬ訪問者は、「風の城砦」に舞い降りた。


 竜としての高みに達したニーナの目には、はるか東方の、さらに北方辺境に存在する自分の「涙」の位置は明確に見えていた。

 そこは、風竜神のいますところよりもやや南側にある、とある美しい川に囲まれた城砦だった。それが「風の城砦ヴィント・フェステ」というものなのだとは、あの伯父でもある雷竜王からすでに聞かされていることだった。


 伯父がそう言っていた通り、そこには風竜魔法の結界が張られていた。

 周囲を広く魔法のもやで覆われたそこは、たしかに、普通の人間が立ち入ろうと思っても不可能なようにしっかりと「防衛」がなされている。

 しかし、白い竜にとってそれは無いも同然だった。


 普通、なにものかが結界を突破すれば、それはその術者の知るところとなる。そもそもそのための結界であり、そうでなければ結界の意味がないのだ。

 しかし、侵入者の魔力の程度が術者のそれをはるかに凌駕する場合だけは別である。

 侵入者は音もたてずにその間を擦り抜けて、やすやすとその内側に入り込む。

 だからこそ各国の王宮は、沢山の魔法官を召し抱え、その周囲に幾重にも魔法結界を張らせることを怠らないのだ。



 白き竜は、その姿を夜の闇に溶かすように、人の目に見えないよう、自分の周りに結界を作り出している。背に乗せた二人の人は、もう彼女の背にいることにだいぶ慣れた様子だった。

 ただ、小さな少年よりも、体の大きな青年のほうが、どうも下を見ることを嫌がっているようだったが。

 彼らの身体に負担を掛けないよう、ひとりでそうするときよりもはるかにゆっくりと飛んでいるというのに、この青年にはあまり関係がないようだった。


「わあ、あれかな? すげえ、ほんとに城砦だ。かっこいい〜……」

「どこに下りますか、姫殿下。なんでもいいので、ともかく早くおりていただけると助かるんですけど……」


 楽しげな少年の声とは対照的に、やっぱりちょっと情けない声で、青年が半分哀願するようにして言った。

 竜はしばらく、城砦の様子を伺いながらその上空を旋回するようにしていたが、やがて物見の塔のあたりに見当をつけると、音もなくそちらに向かって下降を始めたのだった。





 いきなり城砦の中に現れた青年と少年を見て、兵らはひどく驚いた。

 青い水竜国の軍服を着た赤毛のカールと、王家に仕える召使い見習いのような格好のクルトは、まあどう見てもちゃんと人間には見えただろうけれども、それでも周囲の兵たちは、二人を化け物でも見るような目で見つめていた。

 ニーナはといえば、彼らをこれ以上驚かさないようにと、例によってまた身体の大きさを小さく変えて、クルトの肩に掛けている頭陀袋の中に入っている。

 本当は、彼女はクルトとカールをここへ降ろしたあと、そこらで姿を隠しておきたいと思っていたようなのだったが、それはクルトが「あのミカエラが襲ってきたら、ニーナさんいないと困るだろ?」と言って阻止したのだった。

 それはそれで事実なので、ニーナも仕方なくこうすることを了承したわけである。

 とはいえ勿論、クルトの意図はそこにはなかった。



「あ、えっと。こんばんは。驚かしてすんません。俺たち、雷竜国ドンナーシュラークから来たんです。ちょっとお願いがあるんだけど」


 クルトはその辺にいた下級兵らしい男に無造作に近づいた。

 男らは、ざざっとクルトから飛び退り、それぞれ手近にあった棍棒やら剣やらを構えている。

 クルトはちょっと半眼になった。それを怖いとかなんとかいうことよりも、「子供相手に何をするんだ」という思いのほうがはるかに強かった。


「あーもう、慌てないでってば。俺たち、レオンの知り合いなんだよ。クルトとカールが来たって、誰かレオンに伝えてくれない?」

「な、……なんだって……?」

「レ、レオンって、まさか、レオンハルト殿下のことかよ……!?」

「いや、まさか――」


 ごく普通の様子でにこにこ笑って、さっぱり物怖じする風もない少年を見下ろして、兵たちはみな変な顔になり、互いの顔を見合わせた。


「雷竜王のエドヴァルトさんって人から、レオンあての大事な手紙を預かって来てんだよ。なあ、早くしてくんないかな。早くレオンに会わせてよ。俺もう、腹へっちまって――」


 それは本当だった。

 竜のニーナの空を飛ぶ速さは素晴らしい。けれども、それでもあちらの王宮からこちらに来るまでは数刻を要するのだ。というか、それはむしろ自分たちの身体のことを気遣って、彼女がゆっくり飛んでくれているから、ということのようだったが。

 ともかくも、出発前にちゃんと食べてはきたが、すでにクルトの腹の虫は相当にやかましいことになっている。


「ほら、これ。早くレオンに見せないと、あんたら後で、めちゃくちゃ叱られることになるぜ?」


 油紙に巻いて大事に懐に入れていたその書簡を、ほんの少しだけちらっと相手に見せて、クルトはにかっとまた笑った。

 背後でカールが「やれやれ」という顔になっているのは百も承知だ。


「あ、う……、ちょ、ちょっとそこで待ってろよ……!」


 クルトが話しかけた男は、周りの同僚たちに目配せをしたかと思うと、慌てたように城砦の建物の中へと走りこんでいった。

 男の背中を見送ってから、クルトはそっと、肩に掛けた袋の中へ小さな声で語りかけた。


「けど、ニーナさん。ほんとに、レオンに会わなくていいの……?」


 袋の中からは当然ながら、なんの返事もしなかった。

 どうやらニーナは、このままレオンと顔を合わせる気はないらしい。


(いや、でもさあ……)


 できることなら、クルトはこのまま、なんとかニーナをレオンに会わせてやりたかったのだ。

 最初にこの話を聞いた時にはあのエドヴァルトに対して「なに無神経なことしてんだよ」と思ったクルトだったが、いざここに来てしまった以上、やっぱりニーナがレオンと会わずに帰るなんて忍びないと思うようになったのだ。

 実際、こうやって竜の彼女にこの袋に入ってもらうことにしたのも、本当はそれが目的みたいなものだった。


 しかし、クルトが困って見上げると、カールもちょっと顔を顰めて、「やめとけよ」と言うようにかぶりを振っただけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る