第10話 失脚



 そこから、十日後。

 土竜国ザイスミッシュの宰相、ハンネマンは突然、国王バルトローメウスの寝所に呼びつけられた。

 ハンネマンは怪訝に思いながらも、あとの政務を補佐の文官らに任せ、急ぎ足にそちらに向かった。


 声を掛けて入室すると、部屋はすでに人払いがなされており、そこには寝台に横たわるバルトローメウス王と、王太子テオフィルスがいたのみだった。

 ハンネマンはすぐにお二方に低く臣下としての礼をして、足音も立てずにそちらに近づいた。


「……来たか、ハンネマン。もそっとちこう」


 寝台の中から、もはや枯れ木のように痩せた王がこちらへ手招きをした。

 王はこのところ、ご体調がさらに優れない。しかしそれでも、頭はずっとはっきりされており、その威厳も、かつての威風を少しも減じてはいないように見えた。

 ハンネマンが命ぜられるままそっと寝台に近づくと、バルトローメウスは息子テオフィルスの手を借りてそこで上体を起こした。そうして、脇に置いていた何かの書簡を手に取ると、それをテオフィルスに渡して頷いて見せた。

 それはどうやら、「読んでやるがよい」という意味のようだった。


「……は」


 テオフィルスはいつものように控えめでありながらも落ち着いた態度のまま、静かに書簡を受け取ると、低い声で読み上げ始めた。

 それは、雷竜王エドヴァルトによる書簡だった。

 それは大体、以下のような内容だった。



『 拝啓 

 親愛なる土竜のご当主、バルトローメウス陛下。


 こないな文書をいきなりお送りしました無礼、どうか堪忍しておくなはれや。っちゅうのも実は、ウチの国を通りよる商人が、ちょ〜っと妙な手紙モン、懐に隠し持っとったんが分かりまして。

 色々、こっちでも調べさしてもろたんですが、どうもコレ、そちらさんのお国のけっこう偉いお方のお手紙や〜っちゅう話になりましてん。


 内容からして、バルさんのんとも、テオ君のんとも違うみたいやけんど、「これはお知らせしとかんとまずいんちゃう?」と思いましたんで、ほんまお節介なことやとは思いましたんやけど、一応お知らせしたようなわけですわ。

 お宅のどなたはんか知りまへんが、どうもあのレオン君の足、ひっぱりたい御仁がいらしゃりますようでんなあ。なんやしらん、あの火竜のぼんぼんと手ぇ組んで、「レオン君に恩売りたい〜」とかなんとか、書いてあるみたいでっせ。

 どない思いはります?


 ま、あとのことはお国の問題やさかいに、ウチとしては出来るんはここまでですけど。

 なんしか、レオン君はワシから見ても甥っ子みたいに可愛いもんで。なんちゅうても、可愛い姪っ子の大事な大事なお人やさかいにねえ。まあそんなんで、余計なことやとは思うたんですが、ちょっと黙っとかれへんかったんですわあ。


 ともあれそんなことなもんで。

 あとのことはそちらであんじょう、よろしゅう頼んます〜。  


                  隣国の友 

                   雷竜王エドヴァルト    』



 テオフィルスは、無論、このような他国の地方の言い回しなどに詳しいわけでもなんでもない。

 従って、大真面目な顔ではありつつも時々あちこちでつまったり戻ったりしながら、どうにかこうにか、このとんでもなく読みにくい文書を読み上げてくれたらしかった。

 とはいえ、ハンネマンは勿論、それどころではなかった。


「い、いえ……陛下――」


 そう言ううちにも、文官の飾り帽のあたりから嫌な汗が流れ落ちる。

 喉はからからで、思うように声も出なかった。

 いや、それでもまだ、「そんな書簡は身に覚えがございませぬ」と言い張る方法はあったのかもしれない。しかし、いま目の前におられるお二方の目は、そんな言葉を信じる様子がかけらもなかった。

 というか、ここへこうしてハンネマンを呼び寄せるまでにもう、このお二人はその裏もしっかりと取っておられるのに違いなかった。


 土竜国王家の身上は、着実、堅実、誠実の三つである。

 おいそれと他人を疑ったりしない代わり、どんなに時間と労力を割くことになっても必ず、きちんとした証拠を地道に集め、いざ敵を攻めるとなれば一気呵成いっきかせい。そこから先の容赦はない。

 派手なところはないけれども、そこが何よりこの王家の強みであり、良さであるともいえるのだった。

 王も、王太子も、まぎれもなくその王家の血をひく御方なのだ。

 だから、ここで下手に「身に覚えのないこと」などと言い逃れをしてしまえば、かえって自分の立場を悪くする。


 真っ青な顔で黙りこくってしまったハンネマンを、バルトローメウスもテオフィルスもごく落ち着いた、しかし一筋も相手を侮る様子のない目で見据えて、しばらく黙っていた。

 が、やがてバルトローメウスがごく穏やかに口を開いた。


「聞けば、火竜国ニーダーブレンネンの王アレクシスは、恐るべき勘気の持ち主じゃというではないか。しかしそれでいて、若いながらも頭も切れる男なのじゃとか。その上、レオンの言を信ずれば、九年前に例の『火竜の眷属』として顕現したは、他ならぬアレクシスだという話じゃったではないか」


 淡々と紡がれるその言葉は、もはやハンネマンに「今回の絵図を引いたはそなたか」と尋ねることすら割愛して、さらに先の話をするものだった。


(ああ……だめだ。)


 ハンネマンはもはや、観念した。

 お二方はもう、事実のほぼすべてを掌握しておられるのだ。

 ここで醜い自己弁護などをすればするほど、自分の首を絞めるばかり。


 ハンネマンはそう考えるとすぐ、その場に膝をついて低くこうべを垂れた。

「は、申し訳もござりませぬ……!」

 バルトローメウスの声音は、それでもこちらを責め難じる色を少しも浮かべず、先ほどと同様の淡々としたもののままだった。

「そのような恐るべき御仁に、うかうかと近寄るものではあるまいぞ。利用するつもりがいつのまにか、こちらを丸ごと飲み込まれかねぬ。下手をすればそなたばかりか、この王国全土ですら、彼奴きやつの欲望の炎によって焦土にされぬとも限らぬわ――」 

「……は。まことに、臣の短慮の極みにございまして――」


 ハンネマンはもう、床に額をこすりつけんばかりだ。

 王家に対して反逆を試みたというほどのことではないが、このお二方の目を盗んで他国の王とよしみを通じようとしたというのは、決して軽い罪ではありえない。


「が、これもそなたがわが国の安寧を思ってしたこととは思うておる。反逆等の罪に問おうとは思うておらぬゆえ、安心いたせ」

「はっ。あ、有難き――」

「しかし」

 が、思わずほっとして言いかけたハンネマンの言葉を、すかさず王太子テオフィルスが遮った。

「次はないぞ。ハンネマン」

「……!」

 ハンネマンは思わず喉をひきつらせ、床に向かって目を剥いた。


「そなたはただおのが利のために、我が甥であり、父の孫たるレオンハルトの仇敵とも言うべき男に、こうも易々とつこうとした。その罪、わたしは決して軽いものとは思っておらぬ。此度こたびのことは、父上のご一存あって不問にはいたすが、先ほども申したとおり、次はない。努々ゆめゆめ、そのことを忘るるな――」


 低く、感情に支配されない落ち着いた声音は、壮年のその王太子の揺るがぬ人格によって支えられたものだった。

 そうしてそれだけに、その意思の強さをうかがわせるものでもあった。


(ああ……遠のいた。)


 ハンネマンは平伏しながら、密かに心中でほぞをかんだ。

 これで、次代の王テオフィルスの我ら一族に対する恩寵は薄らいだ。ここからしばらく、自分たち一族は王宮内で重責を担う立場からは相当に遠ざけられることになろう。決してあからさまにはなさるまいが、この王太子はそうした方だ。

 一度失った信頼というものは、その何十倍、何百倍の時間をかけてまた一から積み上げてゆくしかないものなのだから。


 ハンネマンは悄然として、低くこうべを垂れたまま、静かに王の寝所をあとにすると、やや肩を落とすようにして、王宮の廊下を去って行った。

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