第9話 二刀流



「ほら、クルト! また、正中線はずしてんぞ!」


 雷竜国、離宮の庭で、カールの叱咤の声が飛ぶ。

 春先の庭は、午前中にはまだ少し肌寒いけれども、それでももう、クルトは汗びっしょりになっていた。

 練習用の木でできた剣を片手に、カールがクルトの剣の稽古をつけてくれているのだ。


 春のはじめ、<鳥得とりうる月>に入ったこの日、その名のとおり春の花々に彩られはじめた王宮の庭園は、鳥たちがにぎやかに歌い交わし、明るい陽光に照らされて平和そのもののようにしか見えなかった。


「だから言ってるだろ。怖がるんじゃないよ。ちょっとでも怖がると、相手の身体の中心から剣先が逸れる。そうすると、打ち込む隙を与えちまうからな」

「こ、怖がってなんかねえよ!」

 クルトはかっとなってそう叫んだが、カールは苦笑しただけだった。

「強がってもだ〜め。剣先は嘘つかないんだって。剣を合わせた相手には、何でもかんでも丸分かりだぞ」

「う、うぐ……」

 言葉に詰まったクルトを見ても、カールは別に見下すような様子はなかった。

「ってまあ、俺もレオンによくおんなじこと言われてたわ――」

 自嘲するようにそう言って、赤毛の青年が再び剣を構えなおす。


 カールは長剣と同じ仕様の木剣だが、クルトはいま、短剣よりは少し長めのものを持っている。いずれ武官になるなら長剣を使うのが基本ではあるけれども、いまは体格的なこともあり、もう少し短いものを選んでの稽古をしているのだ。

 木と金属では重さも重心も変わってくるため、これは本当に、ごく初心者のための練習に過ぎなかったけれども。

 しかし、もしクルトが望むのであれば、「短い剣で二刀流という手もあるぞ」とカールは言った。

 王家に仕える武官としてはちょっと毛色の違う剣術ではあるけれども、そうした二刀流で凄まじい速さによって相手を切り伏せる独特の剣法もこの大陸には存在する。特に南方に多い剣だが、土竜国出身のクルトなら、むしろそのほうが体質にも合うかもしれないというのだった。


 ニーナとともにこの雷竜宮に世話になるようになって、すでに数ヶ月が過ぎている。

 ニーナもこのクルトの剣の稽古に付き合ってくれることは多いのだったが、今日は他に所要があるとかで、今はカールが付き合ってくれていた。

 そのニーナ自身、昼間、人の姿でいるときには毎日剣の稽古を欠かさない。これについては、レオンもニーナもまったく同じで、人の姿でいるときには暇を惜しむようにして、必ず剣の鍛錬は欠かさなかったものだった。彼らと旅をしている中で、クルトもそういう剣士としての習慣というのか、心構えのようなものを自然と教わってきたような気がしている。


 雷竜王エドヴァルトは、ニーナからの頼みもあってクルトに学問のための師と剣術のための師をそれぞれつけてくれていたのだが、彼らは王宮仕えの文官や武官であるため、自分の仕事もあって四六時中こちらに来てくれるわけではない。

 だからこうして、勉強時間の合間などには、クルトはカールと一緒に剣を振ることが増えているのだった。



「けど、悲観しなくていいからな。レオンの見立ては間違ってない。お前、確かに筋はいいよ。それだけ身軽なのも才能だろうし――」

 稽古の合間、庭の隅で汗を拭き、革袋の水筒から水を飲みながらカールが言った。

「そ、……そっか」

 クルトは珍しく褒められて、ちょっと気恥ずかしくなってそっぽを向いた。

 レオンとは違って、閃くような剣の才能があるというのではなかったが、それでもカールもまた、クルトにとっていい剣の師だった。

 何よりいいのは、彼が自分を「天才だ」と思う性質たちの男ではないことだ。自分の身の丈に合う剣術をその努力で練り上げることについては、むしろレオンよりは彼に教わるほうがクルトの身につく感じがあった。

 レオンはやはり、そもそもの才能からしてクルトとは雲泥の差でありすぎたから。もちろんレオンも、自分を天才だなどとうぬぼれるような男ではないけれども。


 と、ちょっとカールが言葉を切って、無意識になのか、はるか東のほうの空を見ながらぼそっと言った。

「どうしてやがるんだろうなあ……あいつ、今ごろ」

 ちょっと溜め息交じりの声だった。

 それは恐らく、今なんとなく口にした、あの黒髪の男のことだろうと思われた。クルトもそれにつられて、一緒にそちらの空を見やった。


 春先の空は、ふわりと明るい水色だ。

 なんだか、空気までが輝いているように感じられる。

 庭園にやってきている鳥たちも、新しく訪れたあたたかな季節を喜ぶように、あちらこちらで楽しげにさえずり交わしている。


「なんか、久しぶりに会って、ちょっとびっくりしたんだよな。こう……見た目も、剣もなんだけど、凄みが増したっていうか、なんていうか――」

 カールの声は、まるで独り言を言うように、自然にこぼれ出たという感じだった。

「なんかもう、俺の方が年上だなんて信じらんないぐらいになっててさ。そりゃまあ、無理ないよな。あんな体にされちまって、八年も姫殿下と放浪してさ……苦労したんだなって思ったよ」

 カール本人も、どうやら別にクルトに聞かせようと思って言っているのではないらしい。

「でも……やっぱ、あいつはあいつだった。姫殿下のことがほんっと好きで……大事で大事で、しょうがなくてさ……。なのに」


 そこでふつりと、彼の言葉は途絶えた。

 「なのに」のあとに続く言葉は、クルトにも十分に理解できた。


 それなのに、あいつは姫殿下を置いてった。

 それも、姫殿下のために置いてった――。


 と、離宮のほうから自分たちを探す侍女の女性の声が聞こえてきて、クルトとカールは現実に引き戻された。


「カール様! クルト様! ニーナ様が、お探しでいらっしゃいます……!」


 二人はさっと立ち上がると、一度だけ目を見交わして、急いでそちらへと歩いて行った。




◆◆◆




「いんや、なかなか来られんと、悪かったねえ。変わらず元気にやっとった?」

「あ、はい。お陰様で、何不自由なく過ごさせていただいておりますわ、伯父様……」


 その後、ニーナとクルト、それにカールは、雷竜宮の一画で雷竜王エドヴァルトの急な訪問を受けていた。


「突然ゴメンなあ。ちょ〜っと今回、君に頼みごとができてもうて。クルト君ら、剣の稽古中やったみたいで悪かってんけど、ちょっと話、さしてもろうてもええかいなあ?」

「はい、もちろんですわ、伯父様」


 今日の彼女は薄桃色のドレスを身にまとって、まさに春の女神さながらの美しさだった。しかしその顔は、エドヴァルトの様子を見るなり、すぐにぴりっと緊張したものに変わっている。


「な〜んや、えっらい要らんこと、土竜宮の宰相のオッサンがやらかしよるみたいでやなあ――」

「はい? それは、どういう――」


 エドヴァルトはやや太い腹回りをちょっと揺らすようにしながらやってくると、クルトたちの座っているのとは反対側のソファにどさっと腰を下ろした。

 するとすぐに、彼の背後からちょこまかとついてきていたヤーコブ翁が、小さな書簡をもってこちらに近づき、それをニーナに渡して来た。

 ニーナはすぐにそれを広げ、文面に目を走らせ始める。


「ほんま、なに舐めてけつかんのやろねえ。これでもワシ、一応、雷竜王やねんけど。土竜国あっちから火竜国へ手紙届けよう思うたら、いやでもこの国、通らなあかんぐらい、分かってはるやろうに」

 エドヴァルトの物言いは、相変わらず茶飲み話でもしているような軽さである。

「生憎と、ウチの間諜らあ、腕のいいのんぞろいやけんねえ。こないな怪しい手紙もった商人やら、そない簡単つーつーに通しとったら、この国やっとられへんっちゅうの――」


 けたけた笑う王とは対照的に、ニーナの表情はどんどんかき曇ってゆくようだった。


「こ、……これは」

「なに? ニーナさん、何て書いてあるの……?」


 ニーナの隣に座っていたクルトは、彼女の手許を覗き込みながらそう聞いた。

 とは言え、それを見てみても、まだ比較的簡単な文章を訥々と読めるぐらいになったばかりの彼にとっては、公文書に使用される文体やら修辞などはまったく理解不能だった。

 もしかすると、なんらかの暗号などが用いられているのかも知れなかった。

 ニーナはクルトの変な顔に気がついて、簡単にその内容を説明してくれた。


 土竜国ザイスミッシュのとある高貴な御方――ニーナもエドヴァルトも、それは宰相ハンネマンという男で間違いないだろうと言った――が、あの火竜王アレクシスに対してなんらかの協力を仰ぎたいと言っているらしい。

 そしてそれは、風竜国に起こらんとしている内乱で、恐らくは勝利するのであろうレオンハルトに対して何らかの恩を売り、今後に役立てたいとの思惑があるのだろうと。


「つまり、土竜国の宰相は、バルトローメウス陛下や王太子テオフィルス様とは思いを異になさっていると――」

「ま、そういうこっちゃろね〜。レオン君のほんまもんのお爺ちゃんのバルちゃんやら、おっちゃんのテオ君やらとは、そら考えることは根本からちゃうやろし。もともと、風竜国がこないだの戦で取り上げた領地やらなんやら、そのハンネマンちゅうおっちゃんのもんやったらしいしなあ」


(……あ。そういうの、知ってるぞ――)


 クルトはふと、そう思った。

 このところ、文字を教わるだけでなく、大人が使うような色んな言葉についても本を読んだり師範やニーナから教えてもらったりして、クルトにも色々な語彙が増えて来ているのだ。


(『じゃない』、とかなんとか言うんだよな、それ――)


 そんなクルトの内心を知ってか知らずか、エドヴァルトは少年の表情をちらっと見ると、またあの楽しげな顔でにこにこ笑った。


「けどまあ、手紙がここで止まったんは幸いやったわ。他にもおんなじ書簡、出されとる可能性はあるけんども、そうと分かっとったらなんとでもなることやし。あっちこっちの検問、ちょいと厳しいしといたさかいな。な〜んも心配せんでええよ。あとはこっちで、に処理しておきまっさかい」


 エドヴァルトはもう、手のひらをひらひらさせて、ひたすらに楽しげだ。


(いや、『てけとー』ってさ……)


 クルトがちょっと呆れて半眼になって横を見たら、そばに立っていたカールもほぼ、クルトと同じ顔になっていた。

 ヤーコブ老人がそんな二人に「まあまあ」と言わんばかりに苦笑して、ニーナの手から問題の書簡を引き取り、エドヴァルトのそばに戻った。


「それよりこの件、一応レオン君にも知らせておかなあかんやろ。それも、できるだけはようにや。で、頼みっちゅうのは他のことやない。アルベルティーナ、君、ちょちょいっと空とんで、レオン君とこ行って来て貰われへんやろか?」

 言いながら、エドヴァルトが指先をくるくると空中で回転させる。

「えっ……?」

 ニーナが一瞬、虚を衝かれたようになって硬直した。

 クルトも勿論、びっくりである。


(な、なに言ってんだよ、このおっさんは――?)


「ワシ、今から一応、手紙書くし。なんやったらもう、クルト君とカール君も一緒に、レオン君がいまおるっちゅう『風の城塞』たらいうとこ、行って来てくれへん? まあ、あのミカエラが魔法の結界たら張って守っとるみたいやけんど、今の竜のアルベルティーナやったら、それでもすぐに入れるやろし」

「い、いえ! わたくしは、そんなこと――」


 そんなもの、ニーナでなくても呆気に取られるような申し出だった。

 あの夜、ニーナはレオンをそのミカエラに奪われて、レオンからは面と向かって「この女を妻にします」とまで言われているのだ。

 そのレオンとミカエラがいま一緒にいるのであろうその「風の城塞」に、このニーナを向かわせるなんて。

 無神経と言うにも、程があろう。


(なに考えてんだよ、エドちゃんってば……!)


 このあまりの突拍子もない申し出に、場の三人は、ちょっと呆然として言葉を失い、雷竜王の血色のいい顔を見返していた。だが、王はそんなことにはまったく頓着しない様子で、ぱっと何かを思い出したかのように、勢いよくソファから立ち上がった。


「ほな、頼んださかい! あとの詳しいことはまあ、このヤーコブにでも聞いといて。ゴメン、ワシちょっとこれから、中央ギルドのおっさんらと会食やねんわ〜。あーもう、いそがし、いそがし。ほんま国王て、いそがしわあ――」

 そう言うなり、エドヴァルトはぱっと立ち上がって、来た時と同じくまたつむじ風のようにして、太めの体で部屋から飛び出て行ってしまった。


「…………」


 あとにはただただ、ぽかんとしたニーナとクルト、それにカールが残されているばかりである。


「あ、も、申し訳ござりませぬ、アルベルティーナ様……」

 ヤーコブ老人が申し訳なさそうにそう言って、改めて風竜国への行程と、レオンらにすべき話の概要について説明を始めてくれた。


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