第4話 密談



「ああ、いやだいやだ。あのハンネマンという御方も、相当の策士だわね。まったく、何枚の仮面をかぶっていらっしゃることかしら――」


 王宮から戻ってきたミカエラは、「跳躍」の魔法によって自分たちの宿に帰ってくるなり、さも不快げな顔でそう言った。

 彼女が顔の前でさらりと一度手を振ると、これまで町のどこででも見かけるような凡庸なものだった女の顔が、途端に光輝くような妖艶、美貌のそれに変わった。とはいえ、これが彼女の素の顔である。


「ほ〜。ってこたあ、いろいろ収穫があったわけかい。で、どうだった? ねえさんよ」

 宿の一階でやっている居酒屋から、適当にあがなってきた骨付きの鶏肉だの、雑穀パンだのを齧りながら待っていたファルコは、彼女の弁を受けてそう言った。

 すると途端に、ミカエラはじろっとこちらを睨んだ。

「やめてくださる? その呼び方。わたくし、そんな年増じゃありませんことよ」

「へえ。けど、『お嬢ちゃん』っつったら怒るんだろ?」

「……当たり前ですわ」

 ますます女の気分が急降下してゆくのを、ファルコはただ、臍のあたりが痒いような、妙な思いで見ていた。

「ま、冗談はおいといてだな。あのあと、なんつってたのよ? あのハンネマン閣下はよ――」


 そうなのだ。

 実はあのあと、ミカエラとファルコはまっすぐこちらに戻ったのではなかった。

 ファルコはこの巨躯で人目に立ちやすいため先にこちらに戻してもらったが、その足ですぐ、女は一人で王宮に戻ったのだ。そうして、あのハンネマンや、王太子の同行を姿を見せずに観察していた。

 勿論王宮には、彼女を警戒している武官らや魔法官によるさまざまな防御が施されている。特に魔法によって敷かれている結界に触れたりすれば、いかなミカエラでも彼らに見つからないわけにはいかない。

 だからもちろん、細心の注意を払ってミカエラはその結界の間を擦り抜けた。そうはいっても、それは並大抵のことではない。単に「竜の結晶」を用いて只人ただびとの手によって施される魔法よりも、こちら眷属の魔法のほうがはるかに上位であるがゆえに、こうしたことも可能になるのだ。

 ただし、その結界内で大きな魔法は使えない。暗殺などはもってのほかだ。

 そんなことをすればあっという間に、あちらの魔法官たちに彼女の存在は知られてしまうことだろう。


 王太子の方は特に問題はなく、なされた話をごく淡々とそのままに、かの王、バルトローメウスに報告してから自分の寝所に戻っただけだった。

 しかし案の定、ハンネマンはそうではなかった。


 宰相ハンネマンは、王太子テオフィルスが話の顛末を父王に報告するべく、ご寝所へと戻ってゆかれるのを見送ってから、足早に自分の執務室へ取って返した。

 ミカエラは、そこで語られたハンネマンと、その手下てかであり身内でもあるらしい貴族の文官との会話の一部始終をファルコに語って聞かせた。

 それは、以下のような話だった。



「お戻りなされませ、ハンネマン閣下」

「うむ、待たせたな」

「いえ。で、ご首尾のほうはいかが相成りましたでしょうか」

「うむ……思った通りだ。レオンハルトは、陛下と王太子殿下を頼り、反乱のための軍資金の無心と、王位奪還のための二十年前の顛末の証拠集めまで、手伝えと申してきおった」

「それはまた……よくよく、陛下と王太子殿下を信頼してのことなのでございましょうな」

「まあ、無理もない。今となっては、彼奴きやつと直接に血の繋がっておるのは、この世に我が土竜王陛下のみということなのだからな」

「で……閣下は今後、いかように?」

「うむ……」


 しばしの沈黙。

 ハンネマンと話をしている貴族らしい男は、少し神経質な声質でまた言った。


「先般、おっしゃっておられました通り、こうしてレオンハルトに恩を売り、のちのちは見返りに、八年前より奪われたままであるわが国の領土、権益の返還を求めるということでよろしゅうございましょうな……?」

「当然よ。あのあたり一帯は、お前の家の持ち物、つまりは我が一族のものでもあった。いずれ必ず、返させることには変わりない。できれば軍を動かさずにそうできれば万々歳なのだがな――」

「は。我が一族の者らは皆、あの土地にありました鉱山と、豊かな農地から多くの利益を得ておりました。あの風竜国フリュスターンによる侵攻からこちらというものは、我が家の財務状況はただただ、疲弊の一途を辿っておるのでございます」


 男の声が、切々とそんなことを訴える。

 状況を理解しているはずの男たちもそうだったが、特に着飾ることの好きな女たちは、家の収入減について夫や父から口を酸っぱくして言われても、なかなかこれまで慣れた贅沢から手を引くのは難しいもの。

 彼女らは相変わらず、新しい趣向を凝らした装飾品やら、珍味やらを味わうことに忙しいのだ。

 ハンネマンの声がうんざりしたものになった。


「何度も聞いた。心配するな。レオンハルトなど、水竜でいち武官として育っただけの若造に過ぎぬ。いくらはかのヴェルンハルト公に生き写しであるとしても、別人は別人よ」

 その声音には、レオンハルトやファルコの前では決して見せないような明らかな嘲りの色が滲んでいた。

「なんら王族としての教育も素養もなく、下賎に育っただけの男なぞに、わざわざこちらから手を貸して、一国をれてやろうというのだ。そのぐらいの見返りは、当然あってしかるべきよ。のみならず――」

 と、ハンネマンがじわりと唇を舐めたようだった。

「は……?」

「もとより、奪われたものを返還させるなどは道理にすぎぬ。この際、このに見合うだけの、より多くの領土なり、権益なりを頂戴するという手もあろう。今後はその『貸し』をちらつかせ、内政に大いに口を出させて貰おうではないか。この八年、我が家の舐めてきた辛酸の一部なりとも、あの若造に舐めさせてやる程度のこと、さしたる罪にはなるまい……」

「あ、兄上、それは……あ、いえ、宰相閣下――」

 相手の男は慌てて呼び名を言いなおし、平伏したらしかった。



「は、な〜るほどねえ。宰相閣下は、あのへんの土地の持ち主のご一族だってかい――」


 ミカエラの話を聞き終えて、寝台の上に座ったまま、ファルコは頭の後ろに腕を組んで伸びをした。

 やはり政治家の考えるのは母国、というより己が一族の更なる繁栄と権力の囲い込み。目立たぬように行なう内政干渉も、まあお決まりといえばお決まりだ。

 あのレオンを「ただの若造」と舐めきってうまく懐に取り込めると思っているのだとしたら、なかなかこの国の宰相閣下も目算が甘いとしか言いようはない。しかしまあ、そうやってうまい具合に舐めてくれていた方が、こちらとしては色々とやり易いのも確かではある。


(とは言え、尻尾を握られるわけにゃあ行かねえわなあ――)


 ファルコは太い親指でざらつく顎をちょっと撫でた。

 そんな男を、ミカエラは立ったまま、少し奇妙な表情で眺めるようにしている。

「ん? 何よ」

 女の奇妙な目線に気がついて、ファルコはにかりと笑った。ミカエラの菫の瞳が、部屋を照らす獣脂じゅうしの蝋燭できらりきらりと光って妙にきれいだった。

「……あなた、いったいどういうつもりなんですの」

「ほえ?」

 女の言わんとする事は即座に理解していたが、それでもファルコはすっ呆けた。「何の話だ」と問うより先に、ミカエラはずいとファルコに歩み寄り、寝台に座ったファルコを睨み下ろした。


「あなたは一応、レオンに雇われた身分なのですわよね。実際、あなたはどちらなの。今もまだ、土竜王の手下として動いてるの? それともレオンに、忠誠を誓うつもりがあるのかしら」

「あ〜。だよなあ……」


(やっぱ、そう来るわな。)


 実のところ、自分の今の立場について、ファルコも色々と考えないわけではない。

 初めは間違いなく、恩義のある土竜王からの要請でレオンを探し、二人を引き合わせ、その後雇われるという形でここまであの男について来た。その結果、あの火竜国での顛末では命の危険のある状況にまで噛むことにもなった。

 実際、あの凄まじい魔力の衝突劇のなかで、自分の命も終わっていた可能性だってなくはない。本来の自分であれば、いくら千金を積まれたとしても、自分の命を危険に晒してまでその雇い主に仕えるなどということはしない性質たちであるにも関わらず。

 約束どおりの金さえ払って貰えば基本的に裏切りはしないけれども、それが切れればお互いの関係はそこまでのこと。今までの自分の仕事のやりようからすれば、それがごく自然のありかただったし、何の文句を言われる筋のことでもなかった。

 しかし。


(どーもここんとこ、調子が狂っていけねえや)


 自分はもともと風竜国の人間であり、父はそこに仕える武官だった。

 その父と母を殺した現国王ゲルハルトと、それを唆したムスタファへの恨みもある。できることならやつらをその座から引き摺り下ろし、当然の報いをその身に受けさせてやりたいと思う。その点に関しては、自分もあのレオンハルトと思いは同じのはずだった。

 また、気恥ずかしくて他人に言うことなどないが、生まれ育った祖国に対するどうしようもない郷愁も確かにあることも間違いはない。

 自分がいったいどうしたいのかも、もう分かっているとも思う。

 ただ、そう言い出す機会がこれまでなかっただけのことで。


 ファルコはがりがりと、その茶色い毬栗頭いがぐりあたまを掻いた。

 ミカエラは相変わらず、射るような視線でじっとファルコを凝視している。

 つまりミカエラは、ファルコに向かって「いつまでただの『雇われ』でいるつもりなのか」と問うているわけだ。

 ムスタファ一派からの監視と捜索の手も厳しくなって来ている折、身内に自分のような中途半端な者を飼っておくことはレオンのためにはならないことだ。今のこの台詞もすべて、この女はこの女なりにあの男のことを心配してのことなのだろう。


「悪ぃな。今はまだ、なんとも言えねえわ」

 途端、さらに厳しくなったミカエラの瞳をまっすぐに見返して、ファルコはすぐに「けど」と続けた。

「もうちょっと、あのレオンって野郎の性根が見えてからとは思ってる。……ま、そう悪いようにはしねえからよ。少なくとも、ちゃんと金さえ頂いてるうちは、裏切るとかはしねえしよ」

「……そんなこと、してごらんなさい――」

 ぎら、と女の瞳が怪しく光って、その中央にくぱりと黄金色こがねいろに輝く虹彩が現れでたのを見て、ファルコは苦笑した。

「はいはい。だから、心配すんな。そう思ったら、いつでもりな。あんたにゃそれができるんだからよ」


 分厚い手のひらを顔の前でひらひら振って見せると、ミカエラはすぐにその瞳の色をもとにもどした。


「んじゃま、せいぜい宰相閣下にゃ『お手柄』を持っていかせねえようにしねえとな。やっぱここは、あんたが頑張らなきゃなんねえようだぜ」

 それを聞いて、ミカエラが途端にちらっと嫌そうな目になった。

 あまり便利にこき使われるのは、どう考えてもこの女の性分には合わないのだろう。

「ま、そんな顔すんなって。それもこれも、惚れた男のためだろうがよ――」


 皮肉な物言いはもちろんわざとだったのだが、不思議なことに自分の台詞が自分自身にも針を刺したような気持ちがして、ファルコは「ん?」と心の中だけで首をかしげた。

 ファルコの変な表情には気づかないまま、ミカエラはまったく別のことを考えて不快な顔をしているようだった。

 またきちりと親指の爪にかじりつき、悪い癖が出ているようだ。

「分かってますわ。せいぜい、土竜に『協力』した上で、あのハンネマンに『お手柄』は立てさせないようにして見せますわよ――」


 ファルコの部屋から出ていきざま、女の口から「見てらっしゃい」と小さく言う声がして、ファルコはちりりと胸の奥の焦げるような思いがした。


(ちっ……)


 気がつけば、舌打ちをしている。

 そのままごろりと、自分の寝台に転がった。


 それもこれも、あの女があの男を愛すればこそ。

 ミカエラは愛する男があんな宰相の男に小馬鹿にされて、腹に据えかねてもいるのだろう。

 それはいい。それを原動力にして、あの女は新たな風竜王誕生のための大きないしずえになってくれるはずなのだから。

 自分としても、親の仇といってもいい風竜国の王ゲルハルトと宰相ムスタファを引きずり下ろせるならば本望だ。なんの不満があるものか。

 それなのに。


(……俺は、何をいらいらしてんのよ。)


 なにより理解できないのは、自分の下腹に溜まってくるこの不快感だった。

 ファルコはいきなり、寝台からがばっと跳ね起きると、傍にあった粗末な机の上から麦酒の入った酒壺をわしづかみにし、まるで水でも飲むようにして一気にそれをあおった。

 質の良くない濁った酒は、それでもそれなりに喉と胃の腑をいてくれた。


 そうしてまた、ファルコはばたりと寝台に転がった。

 あとは何も考えずに、目をつぶる。


 春先の王都の下町からは、まだ酔客らの喧騒が聞こえてくる。

 ファルコはしばらくその声を聞いていたが、それでもいつのまにか、先ほどの酒が身体に回って、彼を眠りの世界へと導いてくれたようだった。




 そして、翌朝。

 まだ暗いうちにその宿をでた巨躯の男と小柄な女の影は、ふた事、三言ひそひそと言葉を交わしたかと思うと二手に分かれ、王都の下町の裏通りへそれぞれに姿を消したのだった。

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