第5話 竜の訓練



「さよか……。クルト君、ようやってくれたな。キミがおってくれて、ほんまワシらも感謝やわ」


 皆から一連の話を聞き終えて、さすがのエドヴァルトもちょっとしみじみとした様子でそう言った。

 雷竜神との交流を果たし、竜としてのまことの「覚醒」に至ったことは良かったのだが、そのためにニーナは一度は人としての意識を失いかけた。しかし、幸いその場に居たクルトの声によってその心を取り戻し、その後は大きな問題もなく、一行は雷竜宮へと戻ったのである。


 そうしてそのまま、もちろん非公式であるものの、ニーナはクルトやカールと共に雷竜王宮で受け入れてもらえることになった。

 つまりニーナはアルベルティーナという本名と身分を隠してここにとどまるのだ。ここでは一応、彼女はエドヴァルトの遠い親戚に当たる貴族の娘という触れ込みで皆に紹介され、今後、何かひとたびことが起これば、彼女が竜に化身して水竜国と雷竜国の防衛の重要な部分を担うということになっている。


「でもさあ、あのアレクシスは、ニーナさんのこと知ってるんだろ? 名前がちがったって、意味なくねえ?」

 色々と心配でクルトがそう訊ねたら、「それはもちろん、そうやけども」と、エドヴァルトも太い腹を揺らして苦笑した。

「そらもう、こんなん聞いたら、あのきっついぼんぼんが『アホかいな』言うて笑うんは目に見えとるよ? けどまあ、そこらが政治の『建前』っちゅうか、なんちゅうかなあ――」

 からから笑って、エドヴァルトが説明してくれた。


 当然ながら、あの火竜王アレクシスにとって、彼女の正体など自明のこと。

 しかし、こちらは飽くまでも「エドヴァルトの親戚の娘ニーナ」を引き取ったというていを貫く。そうして「水竜国の王女アルベルティーナのことなど、知らぬ存ぜぬ」を通すのだ。

 クルトにはまだ分からない話だけれども、政治の世界にはこうした「建前」も十分に必要、かつ重要なのだ。

 話を引き取ったヤーコブ翁からもそのように聞かされて、クルトは「そんなもんなのか……?」とずっと変な顔をしていた。


 雷竜王エドヴァルトは、臣下である将軍らにその旨については説明し、いざというときに巨大な白き竜の姿を見て、将兵らが動揺しないようにと、重々申し渡していた。

 王宮仕えの臣民らには、このことは「雷竜国と水竜国、双方の守護竜による大いなる加護がおりたのだ」と、ごく大まかに説明されていた。



 そしてそのまま、クルトはカールと一緒に、広い雷竜宮の片隅に与えられた美しい離宮のひとつに匿われる形になったのだ。

「クルトさん、剣術の稽古は最近はいかがですか」

「え、あ、うん。カールにも相手してもらって、ちゃんと毎日やってるよ。これでも結構、腕があがって来てるんだぜ」

 それを聞いて、ニーナは心から嬉しげに微笑んだ。

「そうなのですね。良かったら、私も鍛錬にお付き合いさせていただけませんか?」

「えっ。ニーナさん、いいの……?」

「ええ、もちろん。というか、クルトさんがお嫌でなければ、是非お願い致しますわ」

「おいやって……いやいや、そんなわけねえよ!」


 先日、クルトの胸で遂に大泣きしてしまったニーナは、あれ以来なんとなく、クルトを子ども扱いすることが少なくなったようだった。

 いやもちろん、前だってそんなに子供扱いでもなかったのだけれども、ここへきて数段、扱いが変わったように思うのは、クルトの気のせいではないようだった。


「ニーナさん。でも、時々はドレスとかも着て見せてよ。せっかくエドちゃんが色々用意してくれて、侍女さんたちだってこんなに付けてもらってるってのに、ちっとも着てくれないじゃんか――」

「あら、嫌だわ。だってつい着替えるのを忘れて日が沈んでしまうと、みんな次の日にはどこかへ消えてしまって……もったいなくて、とても着られないのですもの」

 ニーナは本当に困った顔になっている。

「え〜っ。エドちゃんは『それでもええで〜』って言ってんじゃん。美人なのに、もったいないって。俺、もっとニーナさんのドレス姿見てみたいのに!」

「……もう。おやめください。恥ずかしいわ……」


 そんな風に、しまいにはちょっと赤面するニーナが、なんだか可愛くてしょうがない。

 最近のクルトには、レオンがこの人のどこに惚れているのかが、だいぶ分かるようになってしまっている。そして、飽くまでもレオンの代わりにここにいる自分としては、レオンの見られないものを勝手に見るのは悪いという気持ちもあるのだけれども、やっぱり見たいものは見たいのだ。

 だってこの人は、ちゃんと手を掛ければもう、目もくらむぐらいの美しいお姫さまに変貌するのだから。


「だったらちゃんとさ、侍女さんたちに言っとけばいいじゃんか。『日が沈むまでには着替えるから、時間を見ておいてください』って。ね? それならいいでしょ?」

「それは、まあ……そうですけれど」

「ね! 午前中は勉強とか、剣術の稽古とか、俺、がんばるし! だからニーナさんも約束! ね!」

「もう、クルトさんったら――」


 ずっと我慢していた感情をあそこで解き放って以来、ニーナはもう、クルトの前で無理に大人の顔を作ろうとはしていないらしい。以前よりもずっとたやすく、笑ってくれたり、時にはちょっと膨れっ面になってくれたりすることさえある。それがクルトには、なんだかとても嬉しかった。

 決して彼のことをあきらめたわけではなくても、悲しい気持ちも、寂しい気持ちもちゃんとあって、それをクルトの前で晒してくれた、そのことがとても嬉しかった。

 それは、ただ行きずりに危地から救い出してやっただけの餓鬼としてではなくて、自分を一人前の人間として扱ってくれた、そういうことだと思ったからだ。


 いま、ニーナは昼間にもあの小さな姿になってクルトの荷物にまぎれこみ、カールも一緒に時々そっと城を抜け出しては、人目に立たない場所へ行き、竜としての身体の使い方であるとか、その能力の使い方などの訓練もしている。

 いざという時のため、自分の攻撃範囲であるとか、魔法の扱いかたであるとか、そんなことを十分に見極める必要があるのだそうだ。

 場所はエドヴァルトが準備してくれた山の中で、城からは随分と離れた所にある。

 しかしニーナは、すでに自分の身体を人から見えなくする魔法も使いこなすようになっているため、ある程度王都から離れたら、竜の姿で二人を乗せて、その場所まで移動することも可能になっているのだった。


 竜として覚醒したニーナの攻撃能力は、半端なかった。

 大の男が何十人、何百人いなければ囲めないような大岩でも、彼女の発する白い「吐息」のようなもので、あっという間に砕けたり、溶け落ちたりするのだった。それだって、ニーナ本人に言わせれば相当に手加減して、ほんの少しの力を出しただけだというのだから驚きだった。

 もしも彼女が本気をだしたら、この山そのものがまたたく間に消し飛ぶ恐れもあるのだと聞いて、いつも遠くの物陰から見ているクルトとカールは、ちょっとぞっとしたものだった。



◆◆◆



 ニーナがクルトの希望に応えてくれたのは、そういう「竜の訓練」から戻った、とある午後のことだった。


 いつものように、訓練から戻って湯浴みをし、離宮の中央にあるやや広い応接の間に戻ってみたら、そこにドレス姿のニーナが立っていたのだ。

 以前にもそう思ったけれども、初夏に相応しい、さわやかな新緑色の軽やかな装いになったニーナは、神々しいように華やいで、やっぱり本当にこの世の人とは思えないほど美しかった。

 侍女のみなさんの尽力によるところが大きいのだろうが、その金色の髪もきれいに編みこまれていて、そこに真珠を縫いこんだ飾り紐が彩りよく入れ込まれている。


 昔、この宮殿にやってきたニーナのことを見知った者もいることなので、いま彼女はほとんどこの王宮のなかを歩き回ることはしていない。今日は、そんな三人のことを気遣って、エドヴァルトが特別に八名ほどからなる弦楽隊をこちらへよこしてくれていたのである。


「踊りませんか、クルトさん」

「え!? お、俺……?」

 すい、とたおやかな腕を差し出されてそういざなわれ、クルトは目を剥いた。

「いや、なに言ってるんだよ、ニーナさん! 俺に踊りなんて、無理に決まってるじゃんか――」

 必死で顔の前でばたばた手を振ってみせるが、その手をあっさりとニーナに捕らえられてしまった。

「大丈夫。簡単な足はこびから、少しずつやってみましょう」

「いや、いいって。俺はそんなの――」

「いいえ。いけません」

 やけにきっぱりと言い切られて、クルトは口をぱくぱくさせた。


 一体この人は、急に何を言い出したのだろう。

 こんな田舎育ちのガキ風情に、みやびな踊りなんか教えてどうしようというのか。


「だってクルトさんは、これからどんどん、こういう場に出ることになるのですよ。今から覚えておいて、損ということは決してありませんわ」

「な……え、なに言ってんの、ニーナさん……」


(これから? これから何があるってんだよ――)


 と、ニーナが不意にクルトの手を両手に包んで少し膝をかがめ、クルトに目の高さを合わせるようにしてまっすぐこちらを見つめてきた。

「あなたこそ、何をおっしゃっているの、クルトさん」

「え……」

「よい機会です。少し、お話しておかなくてはいけませんね」


 そう言って、ニーナは一旦、側のソファの方へとクルトの手を引いてきて、そこに一緒に座った。

「実は、レオンとも話していたのです。聞いてくださいますか?」

「え? レオンと……?」

 まだ妙な顔をしているクルトに向かって、ニーナは静かに頷いた。

「クルトさん。今までわたくしたちは、なんだかほとんど成りゆきのようにして、あなたについてきて頂くばかりでした。けれど、あなたはもう、わたくしとレオンの恩人と申しても良い方なのよ」

「…………」

 クルトはびっくりして、目を丸くした。

「ですから、もし今回の事態がどのように収束することになったとしても、今後、わたくしかレオンが必ず、あなたにお礼をするつもりでいたのです」

「お、お礼って……いや、俺は――」


 何を言ってるんだ。

 冗談じゃない。

 そもそも、クルトが自分から、この人たちについて行きたいと無理を言って、ここまで連れてきてもらっただけではないか。

 そればかりではない、この人たちには沢山の迷惑だって掛けた。

 今回のことだってそうだ。自分が二人の足を引っ張るようなことをしていなければ、もっとずっと、今のニーナは幸せな気持ちでいられたかもしれないのに。


 が、言いかけた言葉を、ニーナの手がそっと遮るようにした。

「いいえ。これほどのことをして頂いて、なんのお礼もしないわけには参りません。もちろん、あなたのご意思は尊重させていただきますけれど……もし、もしもクルトさんさえ良かったら、このままわたくしのもとに居ていただけないでしょうか」

 ニーナの手は温かくて、その言葉はいつもに変わらず、真摯でまっすぐなものだった。

「そしてもし、今後わたくしに何かがあっても、父、ミロスラフに頼んで、あなたを水竜国クヴェルレーゲンの王宮仕えができるように取り計らっていただこうと思うのですが」

「えええ……?」


 クルトはまさに、驚天動地の状態だ。


(お、俺が……水竜国で……?)


「そして出来れば、将来は水竜国で、文官なり、武官なり、あなたの好きな仕事を選んで働いてくだされば嬉しく思うのです。いかがでしょうか――」


(王宮仕え? この、俺が……?)


 クルトはもうぽかんとして、その美しい人を阿呆のように見上げていた。


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