第3話 土竜宮にて
さて、その夜。
その風変わりな訪問客を迎えるため、土竜国王太子テオフィルスは、宰相である初老の男ハンネマンを伴って土竜宮の謁見の間で待っていた。
とはいえごく内密の会談であるため、普段使われている大きな広間の方ではなく、身内で集まったりする際に使用される小ぶりの応接室のような場所である。
国王バルトローメウスについては、病床にあることを理由に、今回の内々の会談には参加しないことになっている。
何と言っても、相手はあの「風竜の魔女」なのだ。突然こちらの命を狙って攻撃をしかけられたとして、自分たちはともかくも、あの老いた父王には逃げる術などないのだから。
そんなわけで、今回はこの部屋の外側にぐるりと土竜国の魔法官らと武官らを密かに配置し、いざというときのための準備も怠りなくした上で、会談の実現と相成ったわけであった。
壮年の王太子テオフィルスは、いつもの黒い軍装を身に纏い、ゆったりと自分の席に座ったまま、出されている茶などを時々すすりつつ泰然とした様子で待っている。
対する宰相ハンネマンは、後ろに流した長めの白髪と帽子飾りを揺らしつつ、腕組みをし、落ち着かない様子でうろうろとその側を歩き回っていた。鋭い瞳で周囲をぎらぎらと見回しながら、今か今かとその時を待っている。
困ったように微笑んで、王太子がハンネマンに声を掛けた。
「まあ、落ち着け。ハンネマン」
「いえ、しかし。殿下をこうまでお待たせするなど――」
と、ハンネマンが言いかけたときだった。
まるで空気のなかから溶け出るようにして、その部屋の中央部、毛足の長い幾何学模様の敷物の上に、見慣れた巨躯の男の姿と、彼からすると子供のようにも見える小柄な女が姿を現した。
女のほうは、濃い緑色ワンピース姿で、町の女風の装いである。
黒髪を結い上げた、どこにでも居そうな平凡な見た目の女だった。
「おう、殿下。待たしたな」
巨躯の男は無造作に片手を上げて王太子にそう言うと、いつものようににかりと笑って見せた。
王太子は鷹揚にそれに向かって頷いただけだったが、ハンネマンはしかめっ面をして、巨躯の男を睨むようにしていた。
この宰相は、この男に向かって「王族の皆様に対して、そういう口の利き方はいかがなものか」と何度も苦言を呈したことがあるのだ。しかし、男の口調も態度も一向に改善されたためしがなく、ここに至ってはもう、とうにそれを直させるのを諦めたといった風だった。
ファルコは構わず、隣の女の紹介を始めた。
「こっちのが、前にも言ってた例の女だ。諸事情あって、今は顔を変えてるが、名はミカエラ。あのレオンの
「顔を変えていると? どういうことだ」
早速、話の腰を折ったのはハンネマンである。
彼ははじめから、非常に胡散臭い目つきでミカエラの姿を睨むようにしていた。
ファルコはちょっと、肩を竦めるようにして言った。
「まあ、あれよ。これが『風竜の魔法』の威力ってことらしくってな。人の目を誤魔化すことができるんだってよ。素顔のほうはまあ、いよいよこいつが風竜国の王妃になる、ってなったら公表するこったから構わねえだろ? とにかく今は、このまんまで話、させてもらいてえと思ってよ」
それを聞いて、ハンネマンが猛禽を思わせる両眼をかっと見開いた。
声を低め、傲然と二人に向かって立ちはだかるようにして言葉を発する。
「話にならぬわ。こちらが土竜の王太子さまだと知って、
それを片手で押し留めたのは、立ち上がってごくにこやかに二人を迎える様子だったテオフィルスの方だった。
「まあ、まあ。良いではないか」
相変わらず、その相貌は落ち着いたもので、おだやかに優しい声音もいつもの通りだ。
「いまこの段階で、我らに素顔を晒せぬというは、まずまず無理からぬ話であろう。まずは互いに、信頼関係を築くことこそ肝要。それが父上のご意向でもある。そうであろうが、ハンネマン」
「しかし、殿下――」
「よい、よい。わたしの一存ということで、まあ見逃せ」
鷹揚な物言いでそう言われて、やむなしといった様子でハンネマンが黙り込んだ。
「さて、ミカエラ殿と申したかな。姿はそのままでよいゆえ、まずはゆるりとなさるがよいぞ……」
「恐れ入りますわ、王太子殿下」
女は特に、何事もなかったかのようなしれっとした様子で少しスカートを持ち上げると、さらりと貴婦人としての一礼をした。
◆◆◆
さてそこからは、ミカエラは勧められるままに応接用の椅子に腰掛けて、そのまま一同は話に入った。ファルコはミカエラの座る長椅子の背後に立ったままである。
一連の話を聞いて、王太子が口を開いた。
「……なるほど。遂に話はそこまで行ったのだな。あのレオンが重い腰を上げてくれたようで何よりだ。それはあのヴェルンハルト公と妹フランツィスカが
王太子の声音には、落ち着いた中にも深い感慨が見て取れた。
「しかしここへ来て、いざ動くとなってみれば、軍資金が心もとない。それを援助してもらえぬかと、平たく言えばそういうことだね」
「はい、そういうことでございますわね」
ミカエラは特に、相手が王族だから宰相だからといって、緊張する様子など微塵もなかった。しかし面白いことに、今回はあのひどく相手を見下したような強烈な態度は、終始、ずいぶんと
どうやら彼女は彼女なりに、レオンの親戚筋にあたる人々に対しては、一応の敬意を払う心積もりがあるようだった。
(すんげえ猫、かぶってやがんなあ――)
ファルコはなんだか、それが妙におかしくて、思わずぶふっと横を向いて噴き出した。
それをぱっと見咎めて、ミカエラが振り向いて凄まじい目で睨んできたが、ファルコはもちろん「は? 俺はなんにもしてねえよ」の顔で、ひょいとそっぽを向いただけだった。
そのしれっとした顔のまま、ファルコは王太子に向き直った。
「ま、そのこともあるけども、レオンの出自の証明だとか、二十年以上まえのヴェルンハルト王暗殺の件だとか、証明しなきゃなんねえことも色々とあるわけだ。レオンもレオンなりに調べちゃいるが、まだこれといった証拠が挙がってねえのよ」
それは事実だった。
しかもレオンには、あの風竜の地での足場がまだまだ足りない。人脈づくりもやっと端緒に就いたといったところだ。これまでのところ、まだなかなか、二十数年も前の国王崩御事件を蒸し返してまで語ってくれるような人物は見つかっていないということだった。
「あのアネルって人の証言だけじゃあ、どうやったって
テオフィルスは巨躯の男にゆったりした態度で頷いた。
「うむ、それはそうであろうな。たとえ
それを聞いて、ファルコは途端ににやっと笑った。
「さすが、殿下は話が早えや。レオンの伯父貴だけのことはあらあ。そのあたりも含めて、こっちにもご協力願えねえかと、まあレオンの話はそういうこった」
言いながら、ちらりと皮肉を込めた目線でハンネマンを見つめたら、案の定、ぎろりと睨み返された。ファルコはちょっと首をすくめ、心の中で舌を出した。
そこから、テオフィルスは少し考えるようにしていたが、やがて静かに口を開いた。
「こちらとしては、もともと正統な王位継承者であり、大切な妹の子でもあるレオンハルトが王位を継ぐこと、堂々と後押ししたいのは山々ではあるが。さりとて、現段階では、わが国側ではおおっぴらには動けまい。あのムスタファとゲルハルト公を不必要に刺激するのも問題があろう」
「左様にございますな。下手をすれば即座にも内政干渉と取られ、痛くもない腹をさぐられ、あげ足を取られかねませぬ」
すかさず横からハンネマンがそう言った。
テオフィルスは初老の宰相に目だけで頷いて見せてから、ミカエラとファルコに向き直った。
「そのようなわけで、しばらくは秘密裏に、費用の援助という形で手伝わせていただくというのでも構わぬであろうか。そちら、『風竜の魔女』どのにも、できれば諸事、ご協力を願えればと思うのだが、構わぬかな?」
「わたくしが? どのようにでございましょうか」
ミカエラは相変わらず、一応のしおらしげな態度を崩さないまま、そう訊ねた。
「うむ。まずは、軍資金の輸送問題だ。こちらからそちらの国へなにがしかのものを運ぶとなれば、どこかで風竜国の間諜に勘付かれる危険も増すというもの。そなたの魔法の力を使えば、即座にもこちらからそちらの国へ、必要物を届けられるのではないのかな?」
ちょっと考えてから、ミカエラは言った。
「それは……そうでございますわね」
それを聞いて、王太子テオフィルスはにこっと笑った。
それは相手を安心させるような笑顔だった。
「なになに。ご婦人に、さほど重いものは持たせぬよ。基本的には、いくばくかの『竜の結晶』をお渡ししようかと考えている。一度では無理そうならば、何度かに分けて運べばよかろう。あれならば、僅かで値千金に匹敵するのだからな」
「なるほどでござますな、殿下。それでしたら、さほど目立つこともありますまい――」
隣から、ハンネマンも頷いている。
テオフィルスは落ち着いた茶色の瞳を再びミカエラに戻した。
「かつての暗殺事件の真相を暴くための証拠集めに関しても、できればそなたに極力、協力して貰いたい。土竜の間諜があれこれと国内を嗅ぎまわっていると思われるのは、こちらとしても色々とまずいのでな――」
「左様にございますわね。まあそれは、できるだけご協力させていただきますわ」
(へえ。)
横合いから聞いていて、ファルコはちょっと意外な気がした。
それもこれも、レオンが王座を奪還するためには必須の事項だ。だからこの女が積極的に協力するのはまあ、おかしな話ではないけれども。
しかしこの女がこうまで素直にそれを
まあそうは言っても、相手は「風竜の魔女」である。
そしてレオンのちょっとした態度如何によっては、いつでもすぐにこちらの敵に回るという危うさを秘めた女なのだ。
だから、もしこの先なにかがあって、突然手のひらを返されたような場合でもどうにかなるようには、こちらも手を打っておく必要があるとは思われた。
その夜は、だいたいそんなもので、このはじめての密会はお開きとなった。
土竜王国の王太子と宰相に向かって、ミカエラはまた貴婦人らしい一礼をすると、巨躯のファルコとともどもに、また煙のようにしてその応接の間から姿を消した。
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