第六章 反旗

第1話 裏路地



 さて。

 ファルコは今、土竜国の王都にいる。


 王城のお膝元、けっこうな賑わいを見せる宿やら居酒屋の立ち並ぶ界隈で、ファルコは今、その女と人通りの多い狭い道を歩いていた。

 あちらこちらの店からは、客引きをする女や男の陽気な声やら、酒盛りをする男らのどら声が鳴り響き、雑多な料理のにおいが漂ってくる。

 空はすっかり、夜の星々の領分へと変わった時刻だ。


「……どこまで行くのよ」

 と、隣を歩く女が不機嫌な声でそう言った。


 結局あのあと、ひどく面倒くさそうにしながらも、ミカエラは彼と共にこの国に来ることを了承したのだ。

 優秀な上級魔法官であるアネルの魔法も強力なものだけれども、只人ただびとである彼がそれを使うには、いちいち高価な「風竜の結晶」を消費しなくてはならない。そうしてそんな悠長なことをやっていられるほど、レオンたち一派の懐具合は温かくはないのだった。


 ファルコが「こいつを連れて行きてえんだけど」と話を持っていったとき、レオンもアネルもひどく妙な顔はしていたけれども、特に反対はされなかった。まあ「連れて行く」というのには語弊がある。なにしろ、こちらはこの女に「連れて来てもらう」立場だからだ。

 それに、まださほど彼らの信用を得たわけでもない自分につける目付け役としては、ミカエラはある意味最適な人選だろうと思われた。なにより、ファルコがいかな知力と膂力りょりょくを持っているとしても、彼女ならその裏をかき、いくらでもその息の根を止めるすべを持っている。

 そんなわけでつい先ほど、二人は彼女の魔法によって、王都の入り口のすぐ脇のあたり、ひと目につかない場所へ「跳躍」してきたばかりなのだった。



 ファルコはいつもの古びた革鎧姿。

 隣を歩くミカエラは、貴族の女らしい服装はせず、街の女が着るようなワンピースに淡い草色のフードつきのマントを羽織っている。見た目についても、あの屋敷にいるときのような貴族の未亡人の姿はやめて、彼女本来の姿のままでいる。

 たとえ服装は目立たぬものでも、フードの陰から見える陶器のような白い肌や赤い唇、つややかな黒髪と情熱的な美しい瞳は、道ゆく男らの目をつぎつぎに引いているようだった。

 なにより、その肉感的な体つきだ。マントで相当隠れていても、その豊かな胸や細い腰から匂いたつような色香は隠しようもないものだった。

 行きずりの酔客の男らが、ちらちらとミカエラの姿を目で追っている。さほどあからさまでない者がほとんどだけれども、中には堂々と無遠慮に、しかも明らかに卑猥な色を篭めた目でじっくりとミカエラの肢体を舐めるように見る者もいた。


(ちっ……。めんどくせえ)


 ファルコは何となく、彼女に向けられるそうした下卑た視線が気に食わず、無言のうちにも次から次へとそいつらを殺気のこもった眼光で威嚇していた。ファルコの鷹さながらのひと睨みを受けると、男らはそそくさとミカエラから視線を外し、ばつの悪そうな顔でさりげなく裏路地の方へと逃げんでいった。

 さもありなん。男らはどれをとっても、とてもファルコの体格には及ばない者らばかりだったからだ。

 定めし自分は、この女の「恋人いろ」だとか、「用心棒」だとでも思われているのだろう。どちらのほうが嬉しいかということはこの際、ファルコも思考の外に放り出していた。要は、この女に余計なさえつかなければ問題ないのだ。

 それは女のためと言うよりは、たかってきた虫のほうの身の安全を守るためであり、ひいてはこんな所で変な騒ぎを起こして、不要な悪目立ちをしないために他ならなかった。



「ちょっと。どこまで歩くつもりなの」

 女がとうとう、痺れを切らしたようにそう言った。

「人目に立たない場所から、さっさと王宮まで跳べばいいだけのことでしょう。どうしてこんな――」

 どうやら女の方でも、周囲の男らの不躾な視線は不愉快であったらしい。おろしたフードをさらに手で下げるようにしながら、低い声で詰ってくる。

 ファルコはちょっと口端を歪めて傍らの女を見下ろした。

「まあ、そう慌てなさんな」

 自分が定宿にしている宿屋は、あともう少し先だった。


「一旦、宿に部屋を取ろうぜ。あんたはそこで待ってりゃいい。俺が先に陛下につなぎをつけにいってから、改めて行きゃあいいだろ。あんたのこたあ、俺から紹介してやっからよ」

「……わたくしを、土竜王に紹介するというの? あなた正気?」

 ミカエラが呆れたようにそう言った。

 この女としては、ファルコを風竜国からこちらへ運び、土竜王とファルコの間で行なわれる話を盗み聞くだけで十分、という心積もりだったのだろう。

 が、あいにくとファルコにはそんなつもりは毛頭なかった。


「はあ? なんでだよ。最初はなっから、『わたしは怪しゅうございます』って言ってく馬鹿もねえだろうがよ。こっちでこそこそすりゃあするほど、あっちは警戒するってもんだ。心配すんな。ちゃあんと、『レオンの女です』って、きっちり紹介してやっからよ――」

「…………」

「その方が、あとあと話もしやすくなんだろ? なんたってあちらは、レオンの爺さまと伯父貴なんだからよ」

 それを聞いて、何故かミカエラが不機嫌な様子で押し黙った。

 繊細かつ面妖な女の内面など、この無骨一辺倒の自分ごときに分かるはずもないわけなので、ファルコはそのあたりも、きれいに無視してしゃべり続ける。

「危なくなりゃあ、得意の魔法で逃げりゃあいいこったし。まあ向こうが、『風竜の魔女』にいきなりは会っちゃくれねえかもしんねえけどよ――」

 ファルコにそう言われてしまうと、ミカエラはぐっと言葉に詰まったようだった。

「まあそんときゃ、俺らの話だけ、どっかで隠れて聞いてくれてりゃいいだろうし」


 そうなのだった。

 先日も言ったとおり、バルトローメウス王と王太子テオフィルスについては、ファルコもこれまで個人的に色々と恩義もあり、信用のできるお人柄だということは分かっている。

 しかし、かれらの傍にいる宰相の男、あのハンネマンだけは、どうも性根を見せない性質たちだ。

 まあ一般的な政治家として、それは当然のことでもある。

 が、今回に限っては、裏であれやらこれやらと、あのレオンを利用しようと動かれるのはいかにも剣呑。そして、別に自慢するわけではないが、そういう政治家連中の微妙なについて、これまで自分の勘が外れた事はないのだ。


 だからファルコは、何よりもそのために、ミカエラをここへつれてきた。

 彼女の魔法は、他人の密談を聞きだすのにも役に立つ。

 人格的には色々と問題ありだが、こと諜報活動において、この女の能力ほど重宝するものもあるまい。今回は、たとえあちらの王家の人々にこの女を紹介できなかったとしても、あのハンネマンの腹のうちを探っておくことは肝要なのだった。

 もちろん、紹介できれば御の字だ。

 そんなようなことをつらつらと語って聞かせながら、ファルコはどんどん道を行く。


「なんつっても、あんたは将来、風竜国のになるご身分の女だからな。今のうちにこっちの王家に顔つないどくのも、別に悪い話じゃねえだろうよ。心配だったら、しばらくは魔法で顔を変えて会やあいいこったろうし。そういうの、出来んだろ?」

「…………」

 フードの下で、少し不満げな顔になったらしいミカエラを、ファルコはちょっと腰をかがめて覗き込んだ。

「あれ? なんだよ」

 巨躯のファルコからすると、ミカエラはもう、大人と子供が歩いているかと思うほどに背が低い。その頭が、やっと彼の胸板あたりに届くか届かないかぐらいなのだ。

「どしたあ? そうは紹介されたくねえの?」

 それはつまり、レオンの身内である者らに対して「彼の将来の妻です」と紹介されるということがだが。


「あんだけ『レオンの許婚』だの『わたくしを王妃に』とか、さんざっぱら言いまくっといて、ここに来て随分とおとなしくなっちまったもんだなあ? どしたのよ」

 そう揶揄されて、ミカエラは憤然としてファルコを見上げた。

「まっ……まさか。そんなことはありませんわ……!」

「へ〜え。そりゃ良かった」

 半眼になってにやりと笑ってやると、ミカエラはまた、ぎろっとファルコを睨み返してきた。


(どうも、たまんねえな。)


 女にこういう顔をされるのは、嫌いではない。

 べつに被虐趣味などはないと思うが、自分はどちらかと言えば、しおらしくて従順で、男の言う事をなんでもはいはいと聞くばかりの女なんぞ、つまらなくて欠伸が出るほうだ。

 どうせならこうやって元気よく噛み付かれて、言いたいことをばんばん叩き付けてくるような、そんな威勢のいい女の方が遥かに好みだ。

 勿論、あのレオンが惚れ抜いているという、高貴で芯の通った清らかな姫殿下も悪くはないが、どうもそういうのはこの自分には、敷居が高すぎて水が合わない。

 ファルコは何となく楽しくなってきて、気がつけばもう、さらにこの小さな女を刺激するような台詞を吐いていた。


「あんたさあ。あんなこたぁ言ってるが、ほんとのほんとはひょっとして、あの野郎と本気で夫婦になれるなんて思ってねえんじゃねえの?」

「なんですって……?」

 フードの下から驚いた目が見上げてくる。ファルコはしれっとそれを見下ろして、にやにや笑いをやめないまま言った。

「だあってよ。今だって、レオンは別に、あんたに指一本、触れてきちゃいねえんだろ? それにこの先、たとえあの野郎が風竜王になったってだぜ? 『忙しいから』『疲れてっから』って、いくらでもあんたに触れずにいられる野郎だろう、ありゃあ……」

「…………」

 ミカエラが俯いたので、その顔はフードに隠れてしまったが、ちらりと見えるその唇はぎゅっと噛み締められていた。


(お〜お。やっぱりか――)


 そうじゃないかとは思っていたが、どうやらファルコの予想は大当たりだったようだ。

 レオンをニーナから引き離し、こちらへ連れて帰って来てからこっち、この女とてあの男の体にしなだれかかってみたり抱きついてみたり、口付けをねだってみたりと、そんなようなことはひと通りしたのだろう。

 しかし恐らく、それはことごとくあの堅物のクソ真面目野郎によってなされたり、かわされたりしてきたということだ。それはまあ、「お前を王妃として娶る」という約束なわけだから、あの男も正面きって「やめろ」とまで言ったり、拒絶したりはしていないのだろうが。

 ファルコは少し、溜め息をついた。


「だ〜から、言ってんじゃねえかよ。『あんた、そんなんでいいのかよ』ってよ――」


 そもそもからして、無理があるのだ。

 あのレオンが風竜王になると言い、この女を妻にすると言ったのは、あくまでもあの水竜の姫を救うためだったのだから。

 決してこの女を憎からず思い、愛してもよいと考えたわけではない。

 それもこれも、結局はあちらの姫のため。

 あちらの姫を、心から愛すればこそだろう。

 むしろあんなやりかたで二人を引き裂き、「自分のものになれ」とごり押しをした以上、もう二度と、かの男の心はこの女のものにはなるまい。


(……哀れなもんだ。)


 ファルコは密かに、心の奥でひとりごちた。

 本当にあの男の心を手に入れたいなら、ほかにやりようがいくらでもあっただろうに。

 それこそ自分のような、そちら方面で無駄に経験豊かな人間に相談のひとつもしていれば、この女だって今頃はもっと、ずっと幸せな夜を手に入れていたはずなのだ。


(まっ、しゃあねえわな。)


 可哀想だが、それは仕方のない話。

 この女の自業自得だ。

 過去に何があったにしても、それを理由に無関係の他人をそうまで虐げ、時には命まで奪いすらして、あとあと口を拭っていられるなどと思うのは、盗っ人猛々しいというものだろう。

 自分のやらかしたことというのは、いつかは必ず、そいつの頭上に落ちてくる。


 まして人の気持ちなんぞというものは、決して変えられるものではない。

 こっちで「どうにかできる」と思うこと自体が傲慢なのだ。


 追えば追うほど、相手はただただ逃げるだけ。

 そんなもの、「恋の鞘当て」のであろう。



 ファルコはそんなことを思いつつ、周囲を見回しながら顎を掻いた。

「ま、そうは言っても、あいつも男は男だからな。婚儀さえ無事に済ましちまやあ、抱くだけは抱いてくれんじゃねえの? あんたはまあこの通り、女としちゃあ随分と大した見てくれだしよ。見ろよ、あんたとすれ違うやつ、十人が十人とも、あんたを振り向いて見てやがる――」

「なっ……。何を見てるのよ! 死にたいの?」

 かっとなったように、甲高い声でミカエラが叫ぶ。

 それを無視して、ファルコは言った。

「それだけだったらまあそりゃあ、あの堅物のクソ真面目野郎にだって、いくらでもできるってもんだろうさ。けど、そんなのと風竜王妃の座がありゃあ、あんたはこの先、死ぬまで満足して生きていけるって、本気でそんなこと思ってんのか?」

 それは、あくまで冗談ごかしには言っていたが、結構本気の台詞だった。

 急に低くなったファルコの声音に気づいたのか、ミカエラはふと、言葉を失ったようだった。


「だとしたら……くっだらねえな」

 ぼそっと言った独り言を、女は耳聡く聞きつけた。

「……なんですって?」

 が、ファルコはそれには取り合わず、目前に目指す建物を見つけると、ぐいと歩度を速めただけだった。

「お、そこそこ。あそこが俺の定宿よ――」

「ちょっと。あなた、待ちなさいよっ……!」


 下町の喧騒の中、巨躯の男の黒い影と、それについて小走りに行く小さな影が、裏路地の暗がりの中へと消えていった。

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